第137話「始期と終期」
6月1日、午後11時23分。
夜の庁舎は昼間とは様相が変わり、人の気配はほとんどない。
照明を落とした廊下は奥行きを失い、どこか別の建物のようにも感じられた。
しかしこの捜査本部だけは例外だった。
作業に没頭した捜査員は誰も帰ろうとせず、各机の上に置かれた端末の光だけが、静
かに明滅している。
会話は少ないが、その分コピー機の駆動音がやたらと大きく、一定のリズムで耳に残った。
俺は捜査資料用の机に、2つの証拠品を並べた。
1つは倉橋和美の手帳、もう1つは甘南備やLUXEで使用されていた薬の一覧が記載された紙。
どちらも、通常であれば絶対に知り得なかった重たい現実を、淡々と記録している。
これからこれらを、他の証拠品や捜査報告書と突き合わせ、勾留請求に耐えうる形に仕上げていく。
夜が長くなる理由は、それだけで十分だった。
「……まずは、時系列の整理からか。」
山崎が、金属音を静かな室内に響かせながら、椅子を引き寄せた。
「ええ。メモの方は日付の特定が困難ですから、幅を持たせて流れを報告書化します。」
俺はそう答え、白手袋を嵌めて手帳の149ページ目を開いた。
ざっと目を通した時にも確認していたが、やはり祖母井からのメール受信日付は明記されていない。
だが、前後の記載を追えば、おおよその時期は割り出せる。
「祖母井のメールの記載の後、台風で弁天島地下の雨被害を心配している部分がありますね。」
「気象庁の過去データ漁れば、終期は良さそうだな。」
俺は端末を操作し、祖母井の犯罪日時付近の台風情報を確認した。
該当する台風は、メール受信の三日後に接近しているようだった。
「もしこの台風であると仮定すると、終期は問題ないな。あとは、その前段の記載の時期特定か……」
「……記載内容からの時期特定をするには、少し情報が曖昧ですよね。」
俺はそう言いながら、さらに数ページ戻り、別の記載を指した。
「まだ参考レベルなんですが……この辺りから、少し内容が変わってきます。」
山崎が、俺が指示した箇所に視線を落とす。
「研究の進捗と直接関係ないメモが挟まると言いますか……」
「関係ないって、どういうことだ?」
山崎は、俺の手元を覗き込んだ。
「被験者の反応や薬剤の話じゃないんです。」
俺は、指で行を追いながら続ける。
「被験者の条件に関する情報量が、急に増えています。」
「条件だと?」
「年齢、職歴、同居人の有無、住居ランク……それから、精液収集可能頻度。」
俺は淡々と読み上げた。
「何となくですが……研究の進捗が進んだことで、資源庁側が選別条件を追加しているように見えます。」
「一理あるな。」
山崎が低く唸る。
「しかも、この情報群は倉橋単独では調べられない内容ばかりだ。……資源庁のDBの内容と突合したくなるな。」
「あと数分でログ関連は複写終わりますし、とりあえずログ解析します?」
俺と山崎の会話を聞いていたのか、水越が端末から顔を上げた。
「頼む。」
「了解です。……今見ますね。」
水越の言葉の後に、カタカタとキーボードを弾く音が続いた。
「……あー、……やっぱりですね。」
画面を見つめたまま、水越が続ける。
「祖母井の男性DBの検索ログが、不自然に増え始めた時期があります。これまで検索していなかったのに、ある日から急に検索量が増え始めてます。」
「……偶然かもしくは、職制変化との関連は?」
「今見ますね……えっと……祖母井の職員情報を見ても同時期の職制変更はありません。異動も、プロジェクト参入も無しです。」
少し間を置いて、水越は続けた。
「そして……検索量が跳ね上がったのは、祖母井のメールと同日です。」
室内の空気が、わずかに重くなった気がする。
「……なら、始期と終期は問題なさそうだな。」
山崎が結論を出す。
「報告書化しよう。倉橋の供述内容と、この手帳の精査結果で、ひとまず良さそうだろう。」
内山みのりが保全していたメールを基に、倉橋が資源庁外の身分であることを祖母井に告げたうえ、その後に倉橋がメールを受理していた。
客観資料と参考人供述により、祖母井の認識の否認が崩せそうだった。
「ええ。問題なさそうですね。……そして、祖母井が否認してくれたおかげで、思わぬ証拠が浮かびましたね。」
「そうだな。」
山崎は机の上の紙束に視線を落とす。
「この手帳も、まだ精査しきれていないものも沢山ある。これらの分析にも取り掛からないとな。」
「……あ、ちょっと待ってください!」
山崎の言葉を遮り、水越が声をあげながら画面を切り替える。
「祖母井のアカウントで、通常業務では使わない属性検索と、例のDB改ざんが連続しています。」
水越の切り替えた画面を俺は見た。
「これ、全部紐づけしたら、一連の詐欺スキームからのランク改ざんして監禁する一連の流れの疎明として使えそうです。」
「検索結果のランク、書き換えられてるか分かるか?」
「書き換えられています。」
水越は即答した。
「間違いなくランク調整してますね。データ参照時に資産状況も抽出条件に入っていますから、細かく人定確認している様子が伺えます……」
水越がそこで一度言葉を切り、一呼吸終えて再び口を開く。
「精液提供が出来なくなった瞬間に生活困窮に陥る、身寄りの無い男性を探しているようにしか見えません。システムログは心の機微を表しますので。」
「……なるほど、消えても問題になりにくい男性の抜粋か。」
山崎が静かに言った。
「……そう言ってしまえば、そうですね。」
水越の声は低い。
「問題として声を上げることが、されにくい男性ばかり……ということですね。」
俺は視線を手帳から離さず、水越の言葉を継いだ。
「祖母井によるDB検索と書き換えが行われ、その情報を前提に、男性を詐欺に嵌めた被験者確保と資金集めが始まった。」
「研究開始じゃない。犯罪開始だ。」
山崎が言い切る。
「そうでした。……それが、資源庁のバグを使って男性の人権を踏みにじったのは、本来男性を保護し、国家を存続させる資源を安定供給する任を負った組織によるものです。」
しばらく、誰も口を開かなかった。
コピー機の音だけが、相変わらず一定の間隔で鳴っている。
「……よし。祖母井は、秘密漏洩だけじゃなく、余罪による再逮捕も視野に入れよう。」
山崎が、ようやく口を開いた。
「余罪として再逮捕するための犯罪事実の選定は、どう考えているんですか?それ次第で解析の優先度が変わります。」
水越の眼鏡が照明の光を反射させた。
「すでに4人が起訴されているLUXEの監禁、それの教唆が一番スムーズな気がするな……」
「それをやるなら、あの人も一緒に……ですね。」
俺の一言で察した山崎がうなずいた。
「勿論だ。証拠隠滅を指示する人間を、取り締まらないなんていうのは通らない。」
「それなら、倉橋のこの証拠品もきちんと内容確認しないといけませんね。」
そう言って俺は、倉橋から人に提出を受けた書類を指さした。
一枚一枚は、単なる薬剤名と数量、使用時期を記しただけの記録に過ぎないが、それらが意味するものは明確だった。
これは、研究のための管理記録ではない。
犯罪が、どこまで進んでいたかを示す、静かな告白だろう。




