第127話「倉橋和美:告白」
私は恐らく、優秀な子どもだった。
勉強も運動も良くできる方で、小さい頃は誰かに負けたことはない。
そのまま、自分は出来る人間だと、思っていた。
ただ、誰かに認めてもらうことは少なく、よく生意気なやつだと嫌がらせをされていた。
母は家に寄り付かず、いろんなパートナーが居たと聞いている。
そんな母親の手は借りたくなくて、勉強して高校も大学も無償の特待生だった。
特に大学は医学部の中でも特待生として、誰よりも成績が良くて、誰よりも熱心に勉強していた。
だからこそ自分は例外だと、どこかで思っていた。
医学部での講義、生命倫理に絡めて、『精液は大切な国家資源であり、それを使って生命を宿すというのは尊いもの。それは感動的で人生が豊かになるもの。つまり、その命の源は厳に管理されるもの。』と習う。
私も勿論それは理解していた。
いや、理解していたつもりだった。
でも、研究室に残った夜、冷凍庫の奥に並ぶ試料を見たとき、私は思ってしまった。
これを使えば、私は母親になれると。
家族を作りたいとか、そんな綺麗な理由も僅かにあったかもしれない。
ただ、優秀な自分の中に、次の命がいる事実があれば、この世で最も尊い人間になれるなんて信じて疑わなかった。
もっと自分を認められる存在が欲しかった。
そんな稚拙な思いだったかもしれない。
だから私は、医学生という立場を利用し、不正に精液を入手した。
そして、受精するか試したいという半端な気持ちで使い、そして妊娠した。
一発で妊娠した自分はやはり選ばれた人間なんだという思いと、これは大変なことをしてしまったという気持ちで、私の気持ちはぐちゃぐちゃになった。
つわりの期間が長期休みだったのが幸いしたが、休み明けに登校すると学校は大騒ぎだった。
白を切りきれず、結局私が盗み、妊娠していることが明らかになった。
これは許されない、これは犯罪だ、これは研究者として、医師として、そして、人として、越えてはいけない線だった。
だが、私の腹の中にいるのが男児だと分かった瞬間、世界の態度が変わった。
「出産は認める。」
「ただし、親権は放棄すること。」
「子どもは国の施設が管理する。」
「産後の進退は全て資源庁が管理する。」
「盗んだ分の精液を返す意味で、安定供給できる方法を生み出すこと。」
刑事責任を訴追はされなかった代わりに、私は借りを背負わされた。
生殖本能の強さを安定させる脳の研究という形で。
出産後、私の子は生きていたが、目を開けなかった。
呼吸はある、心拍もある、それなのに、意識だけが戻らない。
私は、その事実がどうしようもなく悲しく、辛かった。
例え、自分と無関係になる子だとしても、何とかこの子を生かしてあげたい。
そのうちに、男性脳波パターンの応用研究を始めた。
それは、自身の研究をしながらも、研究者としての知識を、母親としての願いに使うためだった。
骨や筋力を維持する電気刺激、神経回路を保つ信号、脳が眠ったまま死なないようにと。
最初は、失敗ばかりだった。
付けられたわが子の名前を脳波パターンに組み込んで何度も流したり、外部刺激とリンクさせた脳波を流したり、考え付くことを全て試した。
それでも、何年もずっと、わが子は目を覚まさずに、体だけが成長した。
だが、ある日、脳波が安定している男性として住田という検体に合った。
安定した脳波だからこそ、わが子に使えると直感的に思った。
住田の脳波を使ったとき、モニターがわずかに反応した。
その時、私の心臓がどくどくと激しく脈打つ感覚は、今でも覚えている。
だが、わが子の目は、開かなかった。
何回試しても、脳波に反応はあっても目は開かなかった。
私はそれを記憶が無いからだ、と考えた。
その直後、記憶障害で運び込まれてきた、一人の警察官がいた。
とても強い記憶を持っていたその警察官の名前は、御厨葉子。
私は、やってはいけないことを、もう一度、選んだ。
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「本来、目覚めるはずのない状態でした。医学的には、生きているだけの存在だったはずなんです。」
私の指先が、白衣の裾を掴む。
「そこに、住田さんの安定したパターンと、記憶障害で搬送された御厨さんの脳波が、偶然重なりました。」
自分で言っている『偶然』という言葉が、どこか空々しく感じた。
「その結果、その子は目覚めました。」
私は、ようやく佐藤を見た。
「正義感が強く、恐怖に支配されない思考と、矜持を持って職務を遂行してきた記憶を持ったまま。」
風が強くなり、甲板の照明が揺れた。
「ちなみに、その子の名前ですが…私の血縁とは登録できませんから、その子の苗字はこの国に一番多い苗字の『佐藤』にされました。」
一拍おいて、私は再び口を開く。
「…そして、……名前は『管理された場所でも悠々と、どんな時も真摯に、そう生きてほしい』、……そんな願いを込めて登録してほしいと、資源庁に頼みました。」
私は話し終えると、短く息を吐き、佐藤に視線を向けた。
目の前にいる佐藤が理解した表情で、私の目を真っすぐ見据えた。
「……私の記憶、それを植え付けたのは、倉橋さん。…あなたですか。」
問いは、ほとんど確認だった。
私は、静かに頷いた。
「ええ。」
その一言に、責任も、後悔も、全てが含まれていた。
「そして……私の実母が………あなたであると。」
佐藤は、すぐには何も言わなかった。
否定も、怒りも、混乱も、そこには無かった。
それが住田や御厨の影響かは分からない。
ただ、甲板の向こう、闇の海を一度だけ見てから、再び私を見た。
「……それが本当であれば、…私が紛い物の記憶を頼りに、刑事として生きてきた、……そういうことですか。」
私は答えなかった。
それでも、佐藤は視線を逸らさず、静かに言った。
「それでも…」
言葉を探すように、一瞬だけ間が空く。
「それでも、今の私は、私です。」
その言葉に、胸の奥が僅かに痛んだ。
救われたわけでも、許されたわけでもない。
ただ、選択の結果として、彼はそこに立っている。
それだけが、確かだった。
「……この国で私が歩んできた経験は、私だけのものですから。」
そう言いながら視線を逸らした佐藤は、どこか儚さを帯びた物憂げな表情を浮かべていた。
船は、何事もなかったように進み続ける。
闇の向こうに、本土の灯りが、かすかに滲んで見えた。




