第122話「邂逅」
5月31日、午後9時04分。
弁天島の桟橋に、俺たちの船が静かに接岸した。
「佐藤、他の捜査員も来るんだよな?」
「えぇ、この辺に詳しい捜査員を呼んでます。船の手配が出来次第来る予定です。」
「そうか…なら、先に現場見とくか。」
関に言われ、周囲を確認する。
端の反対側には、恐らく倉橋と大原が乗ってきたであろう船が揺れていた。
エンジンは落とされ、波の音だけが残る。
足元の木材は潮に削られ、長く手入れされていないことが一目で分かった。
「……ずいぶん、管理が荒いな。」
その光景を見た関が、低く呟く。
桟橋からすぐの場所に鎮座する、無機質な建屋は、想像よりも外壁が痛み、潮風の影響で一部が錆びていた。
「ですが、ここで大量の電力消費があるのは間違いありません。」
俺の視線の先には金網に囲われた電力関連の装置があった。
端が錆びた<感電注意>の看板が、その古さを物語っている。
俺は、研究施設と言うには貧相だなと感じながら、桟橋を渡り始めた。
「人は、いるはずなんだよな。」
関が周囲を警戒しながら言う。
「監視カメラは見えます?」
「……あるな。」
関が顎で示す。
建屋の目立たない位置にいくつも、古い型のカメラが設置されている。
最新式ではないが、必要十分な量と角度だった。
「山崎係長達が来た時も、見られていたんでしょうね。」
「お前がウチに飛ばされる直前の話か?…話を聞く限りじゃ、そういうことだろうな。」
建屋の正面入口に近づくと、電子錠が目に入る。
その横に、カメラ付きだが、古いインターホンがあった。
「……鳴らすか?」
関がそう言いながら、俺を見たため、首を振った。
御厨を見ると、キャップに飾りがついた大き目の万年筆をスーツの胸ポケットに刺しながら、俺に同意した。
「少しだけ、周囲を観察してからにしましょう。応援もまだ来てませんし。」
その時だった。
ズキリと、胸の奥に鈍い痛みが走り、俺は思わず足を止めた。
「佐藤主任、どうした?」
俺に御厨の声がかかった。
「……大丈夫です。」
俺はそう言いながら、視線が勝手に建屋の壁へと引き寄せられていた。
コンクリートの向こう側に何かがあると、確信に近い感覚があった。
「……地下、ありますね。」
俺が言うと、関が眉をひそめた。
「は?」
御厨は何も言わず、ゆっくりと建屋全体を見回した。
非常口、換気口、太い電力ケーブルの引き込み先、俺の目には、それらが同時に異常だと映っていた。
「……そうだな、上物の割に、インフラが重すぎる。かなり深い地下施設の可能性があるな。」
御厨が小さく息を吐き、関がぼそりと呟く。
「そいつは…最悪だな…」
俺たちが電力ケーブルを見ながら、建屋の裏手に回ると、搬入口があった。
大型車両が横付けできる作りだが、タイヤ痕は新しいものがない。
その代わりに、コンテナを引きずったような痕跡が、地面に残っている。
「……こいつは、何か運んでるな。」
同じく痕跡を見ていた関が言った。
「都合の悪い物を一斉に処分、ですか。」
その時、建屋の中から、微かに音が聞こえた。
俺の頭の奥で鳴っていた一定のリズムの金属音だった。
「……この音……。」
「何か聞こえるのか?」
御厨の言葉に俺は、頷いた。
「機械音です。中から……。」
御厨は、しばらく考え込むように黙り込んだ。
そこに、唐突に声が聞こえた。
「佐藤さん、ご無沙汰しています。」
落ち着いた女性の声がした方を振り向くと、そこには倉橋和美が立っていた。
「皆さん、カメラに写っています。早くこちらにどうぞ。」
倉橋はそう言って、壁の間の見えにくいところにあったドアを開いた。
驚いて何も言えない俺たちの顔を、倉橋は確認するように視線を走らせた。
倉橋の姿は見慣れた白衣姿ではなく、憔悴しているようにも見えた。
「……ずっと見張っていたのか?」
御厨が、冷静な声で倉橋に言った。
「いえ……虫の知らせ、でしょうね。」
倉橋はそれだけ答え、背後のドアを軽く押さえた。
中から漏れた光は、白く、冷たい。
「ここは非常口ですから、長い時間は開けられません。その代わり、共連れが出来ます。」
倉橋は、あらかじめ用意していたかのように言葉を続ける。
「このまま外に立っているのは、危険だと思いますよ。」
関が一歩前に出る。
「お前、どこの誰だ、どういう意味だ。」
関の言葉を受けて、倉橋は少しだけ視線を伏せた。
「倉橋と申します。あなた以外はご存じでしょうけど。」
その言葉に、俺の背中がひくりと震えた。
倉橋は、建屋の奥を一瞬だけ見た。
「もう、記録と失敗作の処分は始まっています。それに…資源庁は今、佐藤さん……あなたを必死に探しているようです。」
倉橋は一瞬黙り、数秒後に口を開いた。
「…資源庁が抱える一連の闇を、男性の身で取締ろうとしたあなたを。」
その瞬間、頭の奥で、あの音がはっきりと鳴った。
「佐藤さん。」
倉橋が、まっすぐに俺を見た。
「私は……あなたには、ここに来て欲しくなかったと思っています。」
「……どういうことですか。」
俺が答えると、倉橋は苦笑に近い表情を浮かべた。
「でも、来てしまったなら……せめて、真実を記憶に刻んでください……」
そう言うと倉橋は、ドアを大きく開いた。
真っ暗な島がそこだけ白く光ったようで、その光が俺たちを飲み込む。
ドアの中に入り手招きする倉橋に抗えず、俺たちは光の中に一歩踏み出した。
その先に何があり、倉橋が何をしようとしているのか。
この時の俺には分からなかった。




