第115話「中村英子:コンテナ」
5月31日、午前11時39分。
指定された場所についた私を待っていたのは、帽子にマスクをした女性だった。
「バイトの米田です。」
「年齢確認するから免許見せて。」
私が声をかけるとぶっきらぼうに、手を出してきた。
事前に作ってもらっていた仮想身分証を差し出すと、女はカードスキャナで読み取りをした。
ICチップの中身もきちんと情報が書き込まれているのか不安になり、私は一瞬だけ呼吸が止まった。
10秒程度で免許証が返されると、女が「乗って。」と言い、ワゴンの後部座席に乗るよう指示された。
乗車すると、中にはどこにでも居そうな女性たちが面倒そうに座っていた。
お互いに会話している様子はなく、空気は重かった。
車内には、消毒でも香水でもない、鼻を付くような匂いが漂い、鼻の奥に絡みつく。
ワゴンが動き出し、窓の外はスモークガラスで見えなかった。
運転席との間にカーテンが引かれており、ナビ画面も見えない。
そんな状況にもかかわらず、誰も行き先を聞かない。
それが、この車の暗黙のルールなのだろう。
私は、太ももの上で指を組み、爪の先が皮膚に食い込むのを感じていた。
警察手帳、無線、私物携帯、何も持ってきては居ない。
ここまで来たら戻れないという事実を、頭の中で静かに確認する。
「……今日、何の担当か聞いてる?」
前の座席に座っていた女性が、振り返らずに言った。
声は低く、抑揚がない。
「搬送と受付、ってだけ」
私は余計な情報を足さないように、出来るだけ短く答えた。
「じゃあ当たりの日だね。」
あまりに軽いその言葉の意味を考えないようにしながら、私は視線を戻した。
時間的には数十分なのか数時間なのか分からないが、ようやく車がとまり、扉があいた。
降りた瞬間に周囲を確認すると、森下の報告書にもあった甘南備の裏手だった。
建物のシャッターが半分ほど開き、目の前に階段が広がっていた。
その奥から冷えた空気が流れ出てくる。
中は薄暗く、天井の蛍光灯が間引かれたように点いていた。
私達は中に誘導され、中に入るとシャッターが下りた。
「スマホ、全部ここ入れて。」
入口に置かれたプラスチックケースを指差される。
誰も文句を言わず、次々に端末を放り込んでいく。
私も、それに倣って公用スマホの電源を落として置いた。
連絡手段が完全遮断されることは予想通りだが、改めて確認すると胃の奥が重くなる。
「説明はあと。まず着替え。」
倉庫の一角に、簡易的なカーテンが張られていた。
中には、サイズも色もバラバラな作業着が積まれている。
私は無地のグレーの上着を取り、袖を通した。
布は薄く、やけに軽いことから用済み後に廃棄しやすい素材だと、直感的に分かる。
「準備できた人から、奥。」
私達は指示に従いながら、奥へ進むと床には台車。
その脇に、黒いコンテナがいくつも並んでおり、サイズを見るとまるで棺のようだった。
「これ、中身なに?」
誰かの問いかけに返事をしたのは、さっきの女だった。
「薬と商品。中開けないで。運ぶだけ」
一瞬、場の空気が張り詰める。
「……やばい系?」
その問いに、女が面倒そうに答える。
「フェンタニルとかじゃないよ。リスペリドンとプロポフォール、ただの医療用麻酔と抗うつ剤だから。」
「ヤバくない薬なのに、こんなところから運ぶ仕事なの…?」
質問した女が恐る恐る尋ねた。
「それ以上は守秘義務違反。あんたの母親攫われたいの?」
それ以上の説明はなく、再び無言の空気が流れた。
私は近くにいた女と一緒にコンテナの取っ手に手をかけ、持ち上げると、思ったよりずっしりと重かった。
「落としたらバイト代無しね。」
女の言葉に、誰かが小さく舌打ちした。
私は腕に伝わる重さで、直感的に理解した。
これはおそらく、眠らされた男性達《商品》何だと。
私は、呼吸のリズムを意識的に整え、心の中で、驚いた顔をしてはいけないと何度も呟いた。
ここでは、何も考えていない顔が一番安全だ。
「……行くよ」と相方の女が、短く言った。
私は頷き、コンテナを乗せた台車を押し出した。
「……何回目?」
不意に、相方が小さく聞いてきた。
「なにが?」
「ここ来るの」
私は一瞬考え、首を横に振り「初めて」と端的に答えた。
「じゃあ一個だけアドバイス。会場に運び終えたら目を合わせない方がいい。」
「……何と?」
「商品と。」
そう答えた相方は以降何も話さなくなった。
「車の荷台に積んで。」と言う女の声に従い、コンテナをシャッター付近の階段前まで運んだ瞬間、短い警告音のような電子音が鳴り響いた。
驚きながらもゆっくりコンテナを下すと、階段の上には面倒そうな態度の女性がいた。
「搬送中止、何か車のナンバー登録の件で警察が来たみたい。私が店舗で対応するから、あんたらは休憩。」
目を細めて顔を見ると、捜査書類にあった大原麻子によく似ていた。
大原はそれだけ言うと、階段上の扉に入り、ガチャリを鍵をかけたようだった。
「じゃあ、いったん休憩。適当に座ってて。」
指示を出していた女がそう言うと、相方の女は床に座り始めた。
私は、指示をだしていた女に近づき耳元で「トイレに行きたいんですけど。」と囁いた。
女が一瞬こちらを見て返事をする直前に、再びさっきより大きな電子音が鳴った。




