第112話「山崎玲奈:横顔」
5月31日、午前9時13分。
私が佐藤から、『祖母井の自宅への捜索差押え着手』と連絡を受けたのは1時間も前だ。
自宅の捜索において祖母井自身を立会人にすることが出来たと報告がされたため、資源庁本庁舎の正面玄関の自動ドアをくぐった。
受付付近には、官庁特有の厳かな空気があり、人の出入りはあるが、物音は少ない。
「警視庁です。捜索差押許可状に基づき…」
私が一歩踏み出した瞬間、受付前に立つガードマンが腕を広げた。
「失礼ですが、事前に当庁職員とのお約束はありますか?」
「警察です。施設への捜索差押許可状があります。」
私が警察手帳を見せながら食い気味に答えると、ガードマンは訝し気な表情になった。
「あ、いえ、警察だとしても当庁職員とのお約束が無いことには。発券機でQRコードの発行して頂かないと。」
「裁判所の許可を得た強制執行です。事前通告などありません。通していただけますか?」
なるべく語気を強めて説明するが、ガードマンは一向に応じてくれない。
「何度も言いますけど、お約束の無い方は入れません。この施設のルールですから。」
私とガードマンの声が大きくなってきたところで、受付の女性がどこかに電話をしているのが見えた。
「いえ、こちらは強制執行なので、あなたの許可すら本来はいらないんです。分かったら早くフラッパーを開けてください。」
「こっちは施設に約束が無いと通せないルールなんです。分からないのはそっちですよね?」
「これ以上静止するようなら、公務執行妨害であなたを現行犯逮捕します。フラッパーを開けますか?」
私の主張にガードマンは一瞬身じろいだ。
「開けないのであれば、仕方ありませんね。では、5月31日、午前9時…」
「うちには押収拒絶権がありますよ。」
私の言葉を遮るように、背後から声が飛んだ。
振り返ると、庁内バッジを付けた職員が数名、半円を描くように立っている。
その中心にいる女性が、いかにも慣れた口調で続けた。
「ここは国家維持の重要な省庁です。機密情報がいくつもありますから、強制執行には応じられません。」
そう言いながら30半ばの女性が私を睨んだ。
「それに貴方はまだ令状も見せていないではないですか。まぁ、たとえ本物の令状があっても、当庁の判断なしに触れさせるわけにはいきませんけど。」
私は一瞬、奥歯を噛み締めた。
佐藤は押収拒絶権を盾にするだろうと言っていたが、ここまで露骨だとは思っていなかった。
「犯罪事実は国家公務員法違反です。押収拒絶権の履行はそのまま捜査妨害ととられかねませんよ?」
「ですが、庁の管理者に判断権があります。生憎、当庁は多忙でして、たかが地方公務員の要望を即時に上げ、長官から了を貰うことは不可能です。お引き取りを。」
そう言って女性は余裕の微笑みを浮かべながら、蔑んだ瞳を向けてきた。
「……はぁ…随分、手際が悪いわね。」
昔から良く聞きなれた声がして、空気が変わった。
声のした方を見た瞬間、視界に入ったのは見慣れた女性だった。
濃紺のスーツ、髪は一分の乱れもなくまとめられ、自分と同じように背は低い。
しかし自信に満ち溢れた女性だ。
「調査対策官の山崎澄玲です。当庁職員で私の名前を知らない職員は居ないわよね?」
その名を聞いた途端、職員たちの背筋が目に見えて伸びた。
「……お母さん。」
私の声は、思った以上に低くなった。
母は一瞬だけ私を見たが、すぐに先ほど意見をした女性に視線を戻す。
「あなたがどの局か知らないけど、本件は内部調査案件としても重大だと認識しなさい。警視庁の捜索を妨害する理由は、庁内に存在しませんよ。」
「しかし、調査対策官……当庁が捜索差押えを受けた前例など…」
「調査対策官程度では施設管理者の判断にはならないと言いたいの?」
母の声音は静かだったが、有無を言わせない強さがあった。
「……失礼しました。」と件の女性が頭を下げる。
「さて、警視庁の皆さん。システム企画課のフロア丸ごと捜索差押えを許可します。勿論、サーバ、端末等の電子機器類に関しても例外無く確認頂いて構いません。」
母は踵を返し、私達に視線だけで合図した。
「案内します。こちらへどうぞ。」
エレベーターに乗り込むまで、誰も言葉を発しなかった。
昇りながら、私は母の横顔を見た。
幼い頃から、何度も見てきた横顔、怒られた記憶しかないが、今日は何だか頼もしい。
「……お母さん…何で?」
私が小さく問うと、母は前を向いたまま答えた。
「知らせがあったのよ。それが私の職務にも関係すると判断しただけのこと。」
母は、抽象的な回答だけをし、再び無言になった。
エレベーターの扉が開き、システム企画課と書かれた部屋に入った。
そこに広がっていたのは、整然と並ぶ端末と、サーバ室と書かれた大きな扉が奥にある部屋。
私は一歩、踏み出した。
「警視庁です!全員スマホを机の上に出して、作業を止めてください!」
私の声がフロアに響いた瞬間、空気が一斉に張り詰めた。
キーボードを叩いていた音が、ぱたりと止むみ、椅子を引く音、誰かが息を呑む気配がした。
「……何なんですかいきなり!」
近くに座っていた職員が立ち上がり、こちらを睨む。
「こちらは業務中です!事前連絡もなく…」
噛みついてきた職員の言葉を待たず、「捜索差押えです。」と、私は即座に遮った。
「祖母井課長の国家公務員法違反につき、裁判所発付の令状に基づく強制執行です。あなた方は業務中かどうかは関係ありません。」
私は、捜索差押許可状を示した。
職員たちの視線が一斉にそれに集まり、ざわめきが広がった。
「全員、着席したまま動かないでください。スマートフォン、私物端末も含め、机の上に出してください。」
「ちょ、ちょっと待ってください!」
若い職員が声を荒げた。
「ここは国家生殖資源庁ですよ?個人情報や国家機密がありますし、データに触るのには上長の許可が…」
「黙りなさい。」
私の後ろにいた母が、一歩前に出た。
「調査対策官の山崎です。全業務を停止し、全職員は警視庁の捜索差押えに全面的に協力しなさい。必要な許諾は全て私が許可します。」
私に並んだ母の顔は相変わらず冷たいが、凛とした精悍さがやけに目に残った。
「それは調査対策官の下命と判断していいのでしょうか?」
近くにいた職員が恐る恐る尋ねた。
「勿論です。個人端末、サーバ室、書棚等、必要と言われたら全て見せなさい。拒否することは職務命令違反と捉え、懲戒の対象になると思いなさい。」
先ほど受付で私を睨んでいた女性が、遅れてフロアに入ってきた。
「サーバ室は庁内でも限られた人間しか入れません。調査対策官の許可があっても…」
「あなたは何を言っているの?」
母の低い声が、はっきりと響き、ゆっくりとこちらを振り返る。
「祖母井課長は不在で、秩父局長はこの場に居ない。つまり、今、ここの管理責任は、私に一任されていると解せるのでなくて?」
「……っ」
女性は言葉を失った。
「あなた方は、ただただ普通に仕事をしているつもりでしょうけど……どれだけの例外と隠蔽が紛れ込んでいるか。今日は、それを洗い出す日になるかもしれないわね。」
母の言葉に、職員たちの表情が硬直した。
「横から差し出がましい真似をしましたね。さて、警視庁の皆さん、捜索を開始してください。」
母は、私にだけ視線を向けて、そう言った。
その横顔は、まるで出てくるものを知っているように見えた。




