第111話「密輸」
祖母井の家は、妙なほど静かな雰囲気だった。
生活感がないわけではないが、整いすぎている。
整然とした書棚に、毛一本も落ちていないラグ。
リモコン類は壁に掛けられ、雑誌類すら置かれていない。
住居というよりモデルルームといった印象を受けた。
祖母井はリビングの椅子に腰掛け、背筋を伸ばしたまま、捜査員の動きを黙って見ていた。
腕を組むでもなく、落ち着かない様子もない。
自分の家が検められるという事実よりも、誰が、どこを見ているかを観察しているように見える。
「書斎、押収すべきものは見当たりません。」
「寝室も今のところは、特異な点が無いです。」
捜索担当の捜査員達から淡々と報告が入る。
祖母井の口元が、ほんのわずかに緩んだ気がした。
祖母井の手荷物にあったスマートフォンと手帳は押収しているものの、それだけで全容解明は困難だと感じている。
「……佐藤さん。書斎に何も見当たりませんが、念のため確認をしてもらえませんか?」
書斎担当の捜査員が、声を落として呼んだ。
俺は祖母井を立ち合いのため連れて、書斎に入った。
そこには大きな本棚が2架あり、ぎっしりと書籍が詰まっていた。
内容は、行政法、財政学、教育心理、ジェンダー論、それに西洋文学。
文庫本は一切なく、雑多なジャンルのハードカバーが並んでいる。
そして本棚の反対側には大きな鏡が壁に張り付いていた。
鏡の中心には1本の線が入り、2枚の鏡を張り合わせたようにも見えた。
「……壁に2枚の鏡を張り付けた?いや、埋め込まれているのか?」
俺が鏡に近づいて床材との間に手をかけると、取っ手のような感覚があった。
それを掴みそっと左右に動かすと、少し鏡がずれた気がした。
「みなさん、ちょっとこの鏡怪しいです。」
俺の声に反応して、近くにいた捜査員が二人、無言で寄ってきた。
鏡は床から天井まで一枚物のように見えるが、中央に走る一本の線がどうしても気になる。
「固定具、見当たりますか?」
「見えませんね。接着か、埋め込みか、でも動くかもしれません」
俺は指先に力を入れ、ゆっくりと鏡を押した。
すると、抵抗なく、数センチだけ横に滑った。
「可動式ですかね。洗面所の鏡棚の横スライド版みたいです。せーので開けましょう。」
捜査員が頷き、慎重に両側から鏡をずらしていく。
大きな鏡スライドすると、畳半畳程度のスペースに耐火ケースが3つあった。
「……中身確認しましょう。」
俺はそう言いながらケースを手に取り、祖母井の顔を見た。
祖母井は何も気にしていないと言いたげな涼しい表情をしていた。
「写真撮影もお願いします。」
そう言いながら1つ目のケースを開けると、中に入っていたのは、海外製薬会社名義の請求書だった。
社名は複数あるが、いずれも男性関連のグレーな治験等で話題になった企業ばかりだ。
品名欄には、薬品名ではなく、英数字のコードが並んでいた。
「……請求書の宛名は……CBD-THC株式会社、ですか。」
CBD-THC株式会社と言えば、LUXEの売上の一部が流れ込んでいた企業だったはずだ。
財務捜査の結果が、現実の証拠物と繋がりを見せ始めた。
2つ目のケースには、薄いファイルが束ねられており、中の紙片にはコード番号、投与量、反応時間という記載があった。
その横に、短い注釈に、<情動安定>、<従属性向上>、<拒否反応低減>等の言葉が並んている。
「……薬の作用を記したもの…ですね」
俺の言葉に誰も否定はせず、祖母井は沈黙を決め込んでいた。
3つ目のケースを開けると、中には手書きのメモと請求書、そして出納簿があった。
輸入関連のメモや請求書に見えるが、船荷証券や包装明細書は存在しない。
「……密輸みたいですね。」
メモによれば、各国から密輸したものを弁天島まで運び、そこから陸送で最終到達地は甘南備。
出納簿の数字を軽く追うと、LUXEの売上の一部が、この密輸ルートの維持に使われているようだ。
さらに、入っていたのは電気料金の請求書、それも月額1000万にも上る。
使用場所住所地は香川県小豆郡小豆島町馬木、弁天島だ。
請求年月日は先々月、まだ、何かが弁天島にあることに他ならない。
「……弁天島にも何かあるってことか?」
俺が小声で呟いた瞬間、背後から声がした。
「随分と楽しそうね。」
祖母井が退屈そうな表情で、こちらを見下ろしている。
その表情に、焦りは一切ない。
「それ、何だと思ってるのかしら?」
俺は振り返り、祖母井を見た。
「私視点では、薬機法や関税法に違反している何かの薬に見えますね。」
俺の言葉に、祖母井は小さく鼻で笑った。
「薬……そう呼ぶから、あなたたちは混乱するのよ。」
祖母井はゆっくりと立ち上がり、鏡の裏に現れた耐火ケースへと歩み寄った。
捜査員が一瞬、制止しようとしたが、俺は手でそれを制した。
祖母井はケースの中身に目を落とし、淡々と続ける。
「これは社会を安定的に回す矯正器具。社会適応のための補助具。教育の延長線にある、ただのツール。」
祖母井は一拍置いてから、俺を真っすぐ見た。
「この国で、『管理が必要な男』への、ね。」
その言葉に、部屋の空気が一段冷えた。
「男は、承認欲求が過剰で、被害者意識が強く、すぐに権利を主張し、それが叶わないと暴力に訴える。」
祖母井の声音には、憎悪も激情もなく、ただただ、何かを読み上げているような平坦さがあった。
「だから、教育が必要なのよ。抵抗しないように。従うことに安心を覚えるように。考えることを放棄できるように。」
俺は、無意識に拳を握っていた。
「……それを、甘南備で?」
祖母井は答えない代わりに、わずかに口角を上げる。
「さぁ?どうなんでしょうね?」
惚けたような口調の後、祖母井は深く息を吐いた。
「……佐藤警部補……あなた、本当に正義のつもりでやっているの?」
「はい。」
俺は即答した。
「祖母井さんの今の話を聞いて、少なくとも人を物として扱う思想を、認めたいとは思いませんでした。」
祖母井は、しばらく俺を見つめた後、静かに言った。
「なら、全て詳らかにできると良いわね。たかが警視庁警察官、たかが下っ端公務員、たかが男、それで国家生殖資源庁を取り締まれるのか、見ていてあげる。」
俺は祖母井の言葉に反応できなかった。
「さぁ、私の秘密漏洩でしたか?どうぞご自由に捜査し、自由に押収してくださいね。そして、次の捜査につなげてくださいね。ふふっ。」
祖母井は、ゆっくりと微笑んだ。




