第108話「夜の二人」
5月29日、午後10時11分。
廊下の電気は既に消され、廊下に出ると自身の足音が良く響く時間だ。
俺は自席で、明後日に向けて最後の詰めの作業をしていた。
机には、各捜査員から上がってきた報告書の写しが積まれており、そのうちの一つを手に取った。
<捜査報告書(監視映像分析結果等) 司法警察員 巡査 森下萌>
内容としては、深夜に大原が甘南備からおせおせ学園に向かい、倉橋と思われる女性と共に荷物を甘南備に運んでいたものだ。
後藤によるコンビニ店舗の決済状況確認により、大原麻子であることはほぼ確定していた。
さらに、水越による歩容認証結果も添付されており、もう一人の人物は倉橋和美である蓋然性が高いことも分かった。
防カメ確認から解析を含めた裏付けまでの流れを、森下が綺麗になぞっていたことから、森下自身の成長も感じる良い仕事だ。
俺は、報告書を机に置き、別の報告書を開いた。
<捜査報告書(荷物運び及び受付募集のバイトについて) 司法警察員 警部補 中村英子>
中村が高額なイベントスタッフ募集に応募した経緯と、運営者とのやり取りをまとめた報告書だ。
人を、道具として扱う文言に溢れ、内容の詳細が事前に連携されない如何わしさを感じる。
日取りは、弁天島で得た情報と同様の31日だ。
俺は、その日付の部分にしばらく視線を落としたまま、指で紙の端を押さえた。
「本当に…これでいいのか……?」
呟きながら俺は、<5月31日の取り込みスケジュール>と題したファイルを開いた。
今回の捜索差押えは万が一にも漏れるわけにいかないため、ギリギリまで各捜査員には伝えない方式だ。
捜査会議自体も行わず、各班の現場責任者が直接指示を出す方式を取る。
伝達は、現場責任者と主要メンバーにこのファイルを渡してある。
潜入要員として中村。
甘南備・おせおせ学園は後藤、森下、若葉。
祖母井自宅は俺。
資源庁は山崎、水越。
麻麻商事は横峯。
そして、池袋の動線監視及び緊急時の応援部隊として、関が控える。
各班毎30名以上の捜査員を投入予定ではあるものの、うまく機能するか不安が残る。
一連の行方不明事案から見え隠れする闇、その全容解明に至る証拠が揃えられるだろうか。
しかし、御厨が裏切っている可能性があるため、これ以上内容を知る人間を増やしたくはなかった。
「31日はもう明後日か、腹を決めないと…」
特に、資源庁のシステム企画課の文字を見るたび、御厨から聞いた言葉が、頭の奥で再生される。
『今月の31日……資源庁のシステム企画課に捜索差押えが入ります。』という言葉が。
警察が、法を犯した者を庇うために情報を流すなんて、許されることではない。
そんなことを考えていたら、勢いよくドアが開いた。
「佐藤主任、まだ残ってたか。」
台車に令状請求資料を積んだ状態で山崎が戻ってきた。
「係長、資料運びくらいは手伝いますから、連絡してください。」
「いやいや、その時間が無駄だよ。持ち回りでの決裁なんて1人で十分だ。」
山崎はそう言いながら、令状請求資料を降ろし始めた。
「決裁は無事終了したということですよね?」
「ああ、正直御厨理事官を後閲で飛ばしたから、竹村課長には大分チクチク言われたけどね。そのまま部長室に連れていかれて、当日の流れもざっくりその場で説明して了を貰った。」
「これで、一応御厨理事官に詳らかにせずに取り込みが出来ますね。お疲れ様です。」
山崎は俺の労いに片手で応え、椅子に深く腰を下ろした。
「これで認識の差は、甘南備への入り方と、オークション会場か……」
山崎は天井を見上げるようにして、短く息を吐いた。
現状、理事官との認識の差は、甘南備への入り方と、オークション会場への対応だけだ。
その差がどう働くのかは分からない。
俺は、山崎の正面に座り直し、机の上のファイルを軽く叩いた。
「そうですね。理事官の認識では、中村主任と私がオークション会場に向かった後に踏み込む手筈です。ですから、祖母井自宅と資源庁が捜査の中心では無いと思うでしょうし、甘南備の捜索差押えも甘いと思っているはずです。」
「……人命優先のため、押収に関する意識が甘くなるだろうと油断するということか。」
「そうあって欲しいとは思っています。データ改ざんの疎明は骨だと水越さんが言っていましたから。」
山崎は、机に置いた令状請求資料の一冊を指で弾いた。
「そうだな。全て上手く運ぶといいが…」
俺は頷いた。
「ええ、そのために出来ることはします。全力で。」
俺の言葉に山崎は、少しだけ口角を上げ、すぐに目を伏した。
「……佐藤主任、私を資源庁の割り当てにしてくれてありがとう。」
「……いきなりどうしたんですか?……ただ、今ので何となく察しましたが。」
山崎は何かを言いたげだが、言葉がなかなか出ないという表情だった。
「31日、もし、もし、甘南備やおせおせ学園に住田が居たら……正気を保っていられないと思って…ね……」
山崎そういうと自嘲気味に笑った。
「やっぱり…係長が行方不明事件を追っていたのは……」
「ああ。……住田正人が理由だ……階級を上げることに必死だったのも、結了になった行方不明事件を何とか捜査したくて…ね……」
そう言ってから、山崎は少しだけ声を落とす。
「……この時間、しかも取り込み前ですまないが、少しだけ、私の話をしてもいいか?」
山崎の申し出に、俺は力強く頷いた。
「ありがとう。それじゃ、少しだけ思い出話をさせてもらう。」




