第105話「依頼」
5月27日、午前10時22分。
「今日は、ご足労頂き、ありがとうございます」
山崎が立ち上がって深く頭を下げ、俺も同時に頭を下げた。
池袋警察署の会議室で俺たちに向かい合っているのは、警察官ではなかった。
ビルの管理人、個人商店の店主、企業の上役等肩書きはばらばらだが、共通点が一つある。
全員、池袋防犯協会の会員だということだ。
「今回、防犯協会の白川様より、『甘南備』という店舗のことで心を痛めていると、うちの佐藤が伺いました。その事について是非ご協力をお願いしたく、本日はお声がけいたしました。」
ざわり、と小さな空気の揺れが起きた。
「甘南備という店と、大原麻子さんという店主のことについて、皆さんご存じの事、生活の中で見たこと、忌憚なく教えてください。」
俺は黙ったまま、その反応を見ていた。
商店主の女性が、腕を組んだまま口を開く。
「要するに、大原さんが何か犯罪をやったってこと?」
「いえ、ただ皆さんのお話や、我々が確認したことで何か不審な点があるので、それを整理したいんです。」
山崎は首を振った。
「出来れば、いつ、どこで、何が気になったのかということを教えてくれませんか?」
白川が微笑みながら答えた。
「皆さんもあの水煙草屋さんを不審だって思ってらしたでしょう?私もそう思っていたから佐藤さんに相談したのよ。そうしたら、佐藤さんからも不審な人を見かけたとかで、情報が欲しいらしいわ。そうでしょ?」
白川の出してくれた助け船に、俺と山崎は思いきり頷いた。
「はい。実は、私も気になる場面を目にしていまして…」
会議室の空気がわずかに和らいだ。
「例えば?」
先ほど腕を組んでいた商店主の女性が、今度は身を乗り出してきた。
「この間、宿直勤務で深夜に警らしていたんですが、甘南備の近くで車が停まり、水にぬれた段ボールを少女がたどたどしく運ぶ場面に出くわしました。」
俺は、事実だけを、少しだけ強調して話した。
「職務質問をしようと思ったところで、車で去って行ってしまったので話は聞けませんでしたが、あんなに深夜にしかも若い方が荷物の搬入をすることがおかしいと思いまして。」
「そうよね!私も同じもの見たのよ!」
誰かが俺の言葉に反応した。
「何か定期的に夜、びちゃびちゃの段ボール運んでるのよね。普段は日中に宅配業者が来てるのに、あれはちょっとおかしいわよね!」
「そうそう、それに月一くらいでワゴン車何台も止まって、見えないように何か積み込んでるのよ。それもちょっと気味が悪かったのよね。」
「それにあの店、共生区では珍しく男性従業員が多いのよ。でも入れ替わりが多くて、1か月も続いたの見たことないわよね。」
「それに、あそこの店主の大原さんさ、ずっと店に寝泊まりしてるみたいなのよ。一回店に入ったことあるけど、奥が寝泊まりできるようになっているみたいでね。」
「そうそう!私も朝方、シャッターが上がる前に裏口から出てくるのを、何度か見たわ。服も同じ時が多いし、いっつも寝不足みたいな不機嫌な顔してて、挨拶返さないのよ!」
「……そうよね。あの方、本当に挨拶、返さないのよね…」
白川の最後の言葉で、会議室に小さな笑いが起き、すぐに消えた。
皆、覚えていることを口にしているだけだった。
「それと、夕方にたまに来るワゴン車って3台くらいなんだけど、何かを積んでる間はずーっとエンジンはかけたまま。停まる時間も長いのに。」
「そうなんですか。他に気付いたことはありますか?」
山崎が、メモを取りながら訊く。
「窓もスモークとかカーテンがあって見えないんだけど、一回だけちらっと、毛布みたいなので覆った何かを3人がかりくらいで運んでたのを見たの。箱っぽくはなかったわ。」
会議室の空気が、また一段階、沈んだ。
「箱じゃない、ですか。」
「ええ。何かわ分からないけど、かなり重そうだったような気がするわ。」
誰かが、喉を鳴らした音がした。
「ありがとうございます。すごく参考になるお話でした。」
全員が、少し意外そうな顔をした。
「もう一つ、皆さんにお願いがありまして、防犯カメラの設置を許可して頂けませんか。具体的には甘南備ともう一か所別の場所が見えるように、設置等は私達がやりますので。」
俺は、はっきりと言う。
「相手方には気づかれないように望遠のカメラを設置したいんです。勿論皆さんはただ、いつも通り生活して頂ければ大丈夫ですので。」
商店主の女性が、ふっと息を吐いた。
「それなら、出来るわよ。」
「ええ、いつもお世話になっている池袋署さんの頼みですもの。皆さんも良いわよね?」
白川の微笑みで、協会員が次々に頷いた。
「この池袋、もっといい街にしてくださるってことだものね。防犯カメラの設置も、防犯運動も、私達が出来ることはやるわ。」
そう言いながら白川が微笑み、俺は再び気持ちが高ぶった。
白川の言葉に、会議室の空気が完全に定まったためだ。
「ありがとうございます。では、カメラの仕掛けは追ってご連絡を致しますのでよろしくお願いします。」
「ありがとうございます」
山崎も俺に続いて改めて頭を下げる。
それで会はお開きになって人が散り始めた。
会議室に残ったのは俺と山崎、それから白川だけになった。
「佐藤さん」
白川が、少しだけ声を落とす。
「……あの水煙草屋さん。本当に悪いことしてるって訳じゃないのよね?」
俺は、一瞬だけ言葉を選んだ。
「今のところは、何とも言えません」
嘘は言っていない。
「でもこの街の皆さんが声を揃えること自体が、おかしいと我々は思っています。私はその不安を取り除きたいと思っています。そのためのお願いです。」
白川は、ゆっくりと頷いた。
「分かったわ。月末の件も含めて、できることをしますね。」
白川はそう言って少し微笑み、ゆっくりと会場を去った。




