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ルクシオは盛大に見送られた。たった三人の仲間を引き連れて、私の仕立てた服を着て。私の工房はにわかに広くなってしまった。
さて田舎町に帰ろうか、と私が荷造りしていると、国王陛下がやってきた。
「勅令だ。勇者ルクシオが戻るまで、お前達もここに留まり無事の帰りを待つように!」
もしかしてこの王は暇なのだろうか。こんな王城の隅っこまでわざわざ足を運ぶとは。
「こうしなければ、お前帰る気だろう」
「はあ、まあ、はい」
「やれやれ。ルクシオはお前のことを父のように慕っているというのに」
父。その言葉に、私は笑みを浮かべようとして失敗する。
「仕事はいくらでもあるだろう。なにしろ勇者の服を仕立てた装備職人なのだから」
「……流行りもの以外でお願いしますね」
「おや、流行りものは嫌いだったか?」
勝手に椅子を持ってきて、国王は私の隣に腰かける。
「お前が望むのならば、古巣に戻る手続きもしてやるが」
「断る」
「惜しいな。……ああ、本当に惜しい」
国王は私から目を逸らして、頬杖をついた。
「王となった余の隣には、お前がいると思っていたのに」
もう三十年も昔の夢を、この王はまだ語る。もう私も王も諦めた、埃まみれの想像図だ。
私とて、惜しいと思ったことはある。けれど、私にもう剣を握る資格はない。国王が求めているのは私の剣だ。それに応えられない以上、私はただの田舎の装備職人でいたほうがいい。
「茶くらいなら付き合うが?」
「お前とは茶の趣味が合わないから嫌だ」
さては、毎回粗茶を飲ませることを根に持っているな。仕方ないだろう、私にとって茶は喉を潤すためのものでしかないのだから。
「それよりお前は、妻にでも顔を見せてやれ」
今度は私が顔を逸らす番だった。なにしろ三十年以上会っていない。まだ国王と会った回数のほうが多い。下手をするとルクシオとのほうが交わした言葉数が多い。
そもそも向こうも身分のある身である。こんなしょぼくれた田舎爺が会いに行って何になる。
「残念ながら、そのような時間もないもので」
「嘘が下手だ。相変わらず」
しっかり粗茶を飲み干して、国王は工房を出て行った。
ルクシオの旅立ちから一年。
魔王討伐の報せが王都に届いた。王都を旅立った四人の勇者たちは、全員が命を拾ったという。しかし勇者たちは王都に戻らず、代わりに勇者の鎧が届けられた。
天翔ける竜種の鱗で作られた、この世に二つとない堅牢な鎧である。その胸元が、大きくひしゃげていた。
華々しい勇者の凱旋を待っていた王都の民は、荷台に並べられた鎧を見て、一様に口をつぐんでいたそうだ。ファウからの報告に、私は胸がざわざわとしてならなかった。
竜種の鱗は鋼より硬い。それが変形するなど、どれほどの戦いだったのか。それほどの衝撃を受けて、勇者は本当に無事だったのか。
なぜ帰ってこない。
鎧は王城にも持ち込まれた。既に勇者たちを迎えるための聖堂ができている。四人の瞳と同じ色の飾り窓がはめ込まれた、小さいが豪奢な建物だ。鎧はそこに安置されることとなった。
四人が無事に王都へ戻るように、聖堂には連日王都の人々がやってきた。私も一度だけ足を運んだ。勇者一行の装備職人は皆、戦いで傷ついた鎧を見上げ、無事を祈って工房に戻ることを繰り返していた。
やきもきしながら半年が経った。相変わらず、勇者一行は帰ってこない。時折、今どこで何をしている、という報告だけが届く。ファウが耳ざとくそれを聞きつけては、私に教えてくれていた。
魔王軍の残党狩り。未だ活発に瘴気を吹き出す澱孔の処理。各地に住み着いた魔族の討伐と、瘴気に侵された土地の浄化。勇者一行はそうして各地を巡っていた。
何もこれまで、魔族が全くいなかったというわけではない。澱孔もダンジョンも各地に存在する。これまでは国王軍が対処していたものだ。魔王軍がいなくなったのならば、魔狩人や勇者の役割は再び、国王軍の仕事となる。
なぜ帰ってこない。
そんな日々を過ごしていると、ファウに手紙でも書けと言われた。確かに、報告が届くのだから手紙も届くかもしれない。
しかし私は装備職人である。勇者の身内でもなければ、命令を出せる立場でもない。
「あらまあ、あなたそんな遠慮をする性格でして?」
茶を飲みに来た王女殿下が、呆れたようにそういった。ファウから事情を聞いたらしい。多少おてんばが鳴りを潜めたとはいえ、未だ王国最強の戦士な彼女である。そんな彼女が、偏屈爺の工房にわざわざ足を運んで、茶を啜るのは何故なのか。粗茶しかないのに。いや、ここ数年はファウが王都の流行りに乗って、何やら香ばしい豆茶を淹れるようになったので、以前よりは良い味なのだろうが。
「何を書けばいいやら分からないのですよ」
「帰って来いとお書きなさいな。そうしたらあの子、きっとすっ飛んでくるわ」
「まさか」
うだうだと話をして、王女は仕事に戻っていった。私は、白い便箋を前に腕を組む。
結局筆を執れたのは、その日の夕暮れだった。
魔王討伐の労い。無事の確認。王都の様子。ファウがドレスを手掛けるようになったこと。それから、凱旋式典の衣装を考えているということ。採寸する日が待ち遠しいこと。
帰ってこい。無事なら顔を見せろ。そう思いながら、そんな言葉は一つも書かないで、私はペンを走らせる。
帰って来たくないならそれでもいい。勇者というのは偶像だ。あの山猿が、自由を謳歌したいというのならばそれもいいだろう。
けれど、あんまり日があきすぎると似合う服も変わってくる。採寸をしないことには型紙も作れない。だから、早く帰ってこい。
手紙を伝令に託し、私の気持ちはようやく少し落ち着いた。そろそろ、式典用の宝石を発注しなければ。
手紙を出して二十日ほど経った。
私はその日、珍しく工房を留守にしていた。王都に異国の商人が来たとかで、いい生地を仕入れに赴いていた。王城にも商人はやってくるが、王族貴族向けの品は別格に値が張る。反対に庶民向けであれば、質もそこそこ、値段もそこそこの珍しいものがいくらでも手に入った。
王城での目利きはファウに任せ、私は背負い鞄一杯の布を担いで工房に戻った。
ルクシオが待っていた。
「おかえり、ヴィンさん」
右足の膝から下がなかった。左目には眼帯をしていた。顔にも手にも、見える場所には傷跡が残っていた。星の色をしていた髪はすっかりくすんで、老人のような灰色に。ふっくらとしていた頬も顎も、大人の形になっていた。
「……おかえり、ルクシオ」
私は荷物を置いて、茶を淹れた。
夜中に帰ってきたらしかった。仲間は王城の客間で、まだ眠っているそうだ。昼食がまだだと言うので、粗茶に私の昼食を添えてやった。一丁前に遠慮をしたので、パンを口に押し付けた。するとぺろりと平らげた。
ルクシオは、旅のことは何も話さなかった。椅子に座って、残った片足を投げ出して、ぼんやりと窓の外を見ていた。ルクシオが何も言わないので、私も黙って仕事に取り掛かった。
ファウが本格的に仕事をするようになって、私の工房も手狭になった。それでも、田舎のあの店よりはよほど広い。店のカウンターも商品棚もない代わりに、今は客人のための茶飲みスペースがある。丸窓からは、王城の裏庭がよく見えた。
どれくらいの時間が過ぎただろうか。ルクシオはよっこらせと立ち上がって、私の机のそばに来た。義足の代わりに足にくくった木の杖が、こつこつと音を響かせた。
「それ、俺の?」
私のスケッチを指さして、ルクシオは不器用に笑った。私がそうだと答えると、スケッチを上から下まで見て、「かっこいい」と呟いた。
「足、痛むか」
「もう痛まない。ちょっと不便だけど、勲章みたいなもんだよ」
これも、とルクシオは眼帯を指さす。
「しかし、ハイヒールは止めたほうがよさそうだ」
「俺ぺたんこの靴がいいなあ。歩きやすいし」
「式典にそれは相応しくないな……」
ルクシオは少し笑って、また椅子に腰かけた。
「どうして、すぐに帰ってこなかった?」
私が問うと、ルクシオはぎゅっと足を胴に引き寄せた。そのまま、教師に叱られた日のように、唇を尖らせて視線を泳がせる。
「その……。ええと。怒らないか?」
私が首をかしげると、ルクシオは「怒らないって言って」と念押しした。仕方ないので、私は怒らないと約束する。
ルクシオは、足元から布の包みを取った。私はそれを受け取り、作業机の上で広げる。
服が入っていた。私がルクシオに作ったとっておきだ。長い時間着ていたのだろう。肘や襟はよれ、腰回りにはベルトの皺ができている。泥汚れもそのままだ。首元から膝上までの上衣。私の自信作でもあった。
その胸元が、大きく切り裂かれていた。
「魔王との戦いの中で、鎧が壊れてしまって。邪魔になったから脱いだんだ。そうしたら……」
「怪我は」
「えっ?」
「鎧を脱いだんだろう。怪我は!」
私はルクシオに詰め寄った。そのまま襟をつかんで、左右に開く。
ルクシオの胸に、傷痕は一つもなかった。
腕や顔が嘘のようだ。身に着けていた服があんなに派手に引き裂かれているのに、その攻撃は、ルクシオの体に届かなかったということか。
「……大丈夫だよ。血、ついてないだろ」
確かに服には、泥の汚れしか残っていない。しかし、そんなことがあるのだろうか。
私は信じられないという思いでルクシオを見る。襟を直し、ルクシオは私を見て、それからぷっと吹き出した。
「あんたが作った服じゃないか」
それは、そうなのだが。
しかし、何だ。世界を救ったこの青年はまさか、服を破いたから私が怒るとでも思っていたのか。私の服が命を守ったのならば、それ以上のことはないというのに。
ルクシオは気が抜けたように、テーブルに突っ伏していた。魔王軍にたった四人で挑んだくせに、変なことを恐れるものだ。
私は大穴のあいた服を片づけて、採寸道具を取りに行く。凱旋式典の日付はすぐにでも決まるだろう。少しでも早く、仕事に取り掛からなければ。
「ヴィンさん」
振り返ると、ルクシオはテーブルに頭を乗せたまま、こちらを見ていた。
「ただいま」
甘えたように言うものだから、つい、その頭を撫でまわしてしまった。
対魔王軍のルクシオの戦績
全戦全勝