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王女の一着を仕立て終えた私は、一躍有名になってしまった。王女殿下は竜種の巣を討ち払い、王領であったリリパル湖を取り戻したのだ。単騎で。
そう、単騎で、である。神話の怪物か、それともせっかちな勇者なのではないかと噂が立った。しかし王女はあろうことか、すべてこの装備のおかげだと私の店を宣伝してしまった。おかげで店は有名になり、人々の興味は私と鎧屋へ移った。我々はただ、王女の命が脅かされることがないようにと最善を尽くしただけなのに。
「ファウ、これも研ぎ直しを頼む」
「はーい!」
私には新しく弟子ができた。あの魔猪の青年である。三度目の狩りで蛇女に締め上げられて肋骨を折られた翌日に、「向いてなかったですわー」と弟子入りに来た。針や鋏の手入れ、それからデッサンが上手いので重宝している。骨が折れてもさっさか歩けるその体力は魔狩人向きではなかろうかと今更ながら思ったが、本人の希望だから仕方がない。
王女の一件からこちら、流行りに流されて奇抜な装備を欲しがる訪問者は減った。私は相変わらず地味で、見栄えはせず、しかし命だけは絶対に守る装備を作り続けている。まあこの盛況も流行りすたりの一つだろう、と、今日も私は鋏を握り、針を打つ。
「師匠、お客さんです」
そんな私のもとを、随分と立派な服を着た使者が訪れた。外套に光る金の飾り十字の中心に、藍色の宝石が埋め込まれている。
「貴殿の腕前を見込み、勇者の装備を揃えるようとの勅令が出ております」
店先で粗茶を啜りながら、使者は片手で勅令の巻物を差し出してきた。パピルスとは豪勢な。このあたりでは羊皮紙もようよう見ないのに。
私が勅令に目を通す間、使者は暢気な顔で店の中を見回していた。そうしている間にも客はやってきて、出来合いの籠手などを物色している。ファウの知り合いだったらしく、随分話が弾んでいた。結局ファウのセールストークに負け、ガントレットを一つ買っていく。
さてどうしたものか。国王は好待遇で私を迎え入れたいと言っている。何しろ勅令である。断ったら何があるか。せっかく弟子を取ったばかりだというのに。
仕方がない。若い魔狩人たちも可愛いが、勇者の力とならなければ、この国の未来もなくなってしまうかもしれない。さすがにそれは困るというものだ。
「使者殿」
私は勅令の下に自分の名前を書き込み、使者に返却する。
「準備にしばらくいただきたい」
「賢明なご判断、感謝します」
使者が帰り、私は渋々旅立ちの支度を始める。
しばらく店を開けることになる。今ある材料をすべて仕立ててしまおう。あとはなじみの鎧屋に預ければいい。採寸をして細かに作ったものには敵わないが、サイズ調整可能な出来合いにも需要はある。
入って早々店じまいになってしまったファウには申し訳ないが、彼には王都までの護衛としてこのまま同行してもらうつもりだ。ここから王都までは馬で五日、歩いたら二十日ほどだろうか。十日後には出発したいものだ。
そんなことを考えながら仕事をして、八日後。何とも見覚えのある男が店先に立っていた。
なめらかな白い絹の外套。フードの内側で、金糸のような髪が襟に乗っている。顔にはいささか老いが見え始めたが、夜空色の瞳は相変わらず爛々としていた。
王女の一件があったので、ファウもさすがにその人物の正体には感づいたようだった。店に案内しようとして、「わあ」と腰を抜かしていた。男は私を見て、にこにこと近付いてくる。なるほど、あの王女殿下に笑顔の圧力を教えたのはこの男か。
「戻る気になったのだな!」
よく通る、それはもう広場のあちらからこちらまで通る声で、男は言った。私は顔をしかめ、座れ、と椅子を示す。
「何をしにいらしたんです、国王陛下」
「友との再会を待ち遠しく思うのはいけないことか? 余とて人の子。知らせを受け取ったその日の夜にはもう我慢がならなくなってしまった」
「軽率にもほどがありましょう。友だなんて、二十年も前の話を」
「しかし、余の誘いに乗ってくれたのであろう? 元国王軍第八師団長、ヴィンツェンツ・アルトドルファーよ」
ああ、耳が痒い。私はやめろと手を振った。ファウが震える手で茶を運んでくる。さすがに一国の王に粗茶を出してもいいものか悩んでいたらしい。
だいいち軍にいたのは五、六年だ。挨拶もせずに去った私を、まだ友と呼ぶのか、この王は。
「仕立屋として、勅令に従うだけでございます」
「おや。お前なら古巣でも歓迎されよう」
「ご冗談を。私のことを知るものはもう、いないでしょうに」
私は王を横目で見る。
「お前が皆処刑してしまったのだからな、バルタザール」
王は満足そうに笑って、頷いた。そこで笑うから、私はこいつが嫌いなのだ。
粗茶で喉を潤して、王は椅子から立ち上がった。
「では仕立屋。お前の来城を待っている」
「お帰りに?」
「うむ。視察ついでに抜け出してきたゆえ、戻らねば」
今頃真っ青になって探しているであろうお付きたちを思うと、少し同情した。国王一人に出し抜かれる護衛もどうかと思うが。
「ヴィン」
外套のフードで目元を隠し、国王陛下はまた笑う。
「息災でなにより」
「……お前もな」
店の外では、王の黒馬が大人しく主人を待っていた。
陛下が去り、私は旅荷物を作りにかかる。二十日も待たせていたら、次は馬車か馬がやってきそうだ。まったく、我儘で人を振り回すのが好きなところは変わらない。
この国は十六で成人だ。勇者が剣を握れるようになるまであと五年、鎧を仕立てるまで十一年か。国の命運を託すため、王は方々から職人を集めているのだろう。
あの王女殿下の一件は、私の実力を試したのではなかろうか。今更ながらそう思った。
さて、私と弟子が王城に招かれて八年が経った。がらんとした宿舎兼工房には私物が増え、お調子者の弟子は随分顔が広くなった。私の日々の仕事は、国王軍向けの仕立て仕事と、魔族の素材を使った新たな服の開発だ。
年明けから、私の工房には新しい客が訪れるようになった。
「なあなあおっちゃん。最近はこういう意匠が流行りなんだってさ!」
「却下!」
少年は私に図案を奪い取られた。目を見張るような銀髪と鮮やかなアクアマリンブルーの瞳。表情を大人しくさえしていれば、十人が十人振り返るような美少年だ。健康でよく鍛えられた肉体と愛らしい顔。恵まれすぎたその器に田舎育ちの野生児の魂を入れれば、この少年が出来上がる。
「おっちゃん、今日は何作ってんの?」
「お前の服だ。魔族の炎にも負けない耐火装備をだな」
水棲魔族の革は軒並み、ぶよぶよとして扱いにくい。成長期のこの少年は見る間に背が伸びるので少し余裕を持たせたいが、それでは耐火装備の意味がない。訓練用だからと手を抜いて彼が燃えても本末転倒だ。
「ふーん?」
ぴんときていない顔で少年は首を傾げた。
「つまり、お前が火に負けないような服を作っている」
「えー。俺、火なんて怖くないけどなー」
少年は、私が焚いている火に指を向ける。革を炙るためのものだ。
「怖くないからと言って火に突っ込んだら熱いだろう」
「だぁいじょーぶだよ。しんとーめっきゃくすれば火もまた涼し? って先生も言っアッツゥイ!」
バカっているもんだなあと実感する。
これで、国中に待望された勇者だというのだからまさしく世も末だ。
「賢くならないと死ぬぞ」
少年勇者の手を冷やしてやりながら、私は爺臭く説教する。
賢いというのは立派な武器だ。何も学問に秀でろというわけではない。困難に直面した時、目の前の壁をどう乗り越えるかの手段が多い人間を賢いという。
少なくとも、炎の壁に備えもなく突っ込むやつは賢いとは言わない。
ところで、時刻は昼休憩をとうに過ぎている。
「お前、午後の授業は?」
「……あー……」
椅子の上で器用に回って、少年は私に背を向けた。
「あの先生、ムチ使うんだよね……」
「そうか」
私の工房は王城の片隅にある。偏屈な爺がいる、と、高名な家庭教師たちはあまり近付きたがらない。
しかし、未来の勇者が授業をサボってばかりというのも外聞が悪かろう。
「もうすぐファウが戻ってくる。木剣がそこに二本あるだろう」
「やったぁ! なあ、今日こそおっちゃんも稽古つけてくれよ」
「職人に道具以外を握らせるんじゃない」
お前の服を仕立てる腕が折れたらどうする。
少年は不満げに足を上下させた。どこで聞きつけたのか、この少年は私が元師団長だったことを知っている。案外、国王陛下がこっそり吹き込んだのではないかと勘ぐっている。
少年は十三歳。あと三年で成人だ。そのころにはもう少し落ち着きを身に着けていて欲しいものだ。背はずっと大きくなるだろう。そのたびに私は採寸をして、また修正だと文句を言うのだろう。
そして最後の採寸が終わって、仕立てが終わって、鎧も武器も、盾も、すべてが揃ってしまったら、彼は魔王を殺しに行く。
「……おっちゃん?」
「あっちの棚に蜂蜜菓子がある」
「わーい!」
もう少しだけ、ゆっくり大人になってくれないものだろうか。
少年を火に飛び込ませるための服を作っておきながら、私はそんなことを思っていた。
ファウ君は弟子入り時点で17歳です。