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突然現れた魔王軍がアルガレプトの平野に国を興して十年が経った。
この国はただでさえ内憂外患で、人間同士の小競り合いが絶えないというのに、降ってわいた魔王軍が貴重な平野を街にしてしまったものだから最悪だ。魔族は星の内まで続く澱孔から現れて、そこから噴き出す瘴気が絶えず平野の土を汚している。平生、洞窟に隠れ住んでいた魔物とは比べ物にならない数だった。
都の王族は考えた末、神殿に預言はないかと縋ったそうだ。確かに星の瘴気ともなれば人間の手に負える話ではないだろう。
巫女に降りた神はこう言った。
『五年ののち、箒星の勇者が東の果ての村に生まれる。瘴気を撃ち払う剣が魔王の心臓を貫くとき、再び地上に平穏が訪れる』
希望が見えればやる気を出すのが人間である。
待たされて十年目、今頃五歳の勇者は田舎の村で、自分の使命も知らずに過ごしているのだろう。
ところで、魔王軍は多数の魔族を率いて現れた。魔族は人間や動物が澱孔に落ち、数百年かけて瘴気に適応した姿だと言われている。知性を保っている高等魔族は軒並み人間によく似た姿をしているそうだ。
瘴気とは否応なしに生命を蝕むもの。それに適応したということは、すなわち、生物としてそもそも格が違うレベルで強い。そんな生物がその辺を闊歩し、畑を荒らし、人里を脅かすようになった。国王軍ではとても手が足りていない。
そこで登場したのが、軍に属さないまま剣を振るう対魔族の戦士たちだ。逃げ惑うことに飽きた人間たちの反撃である。
……と言えば勇ましく見えるが、魔狩人と呼ばれる彼らの目的は、魔族を倒すことで得られるその肉体――つまり、魔族の素材だ。
魔族の素材は金になる。
先に述べたように、魔族は生物として強い。そんな魔族を形作っている肉体も当然、そこらの動物では比べ物にならないほど強い。牛の皮より魔牛の皮のほうが柔らかく、しなやかで、伸びがよく、それでいて頑丈だ。有鱗族の皮膚などはそのまま鎖帷子代わりになる。
加え、魔族の内臓は薬にできる。瘴気を大量に取り込みながら生き続ける魔族。その内臓には当然のように瘴気の浄化機能がある。
つまり魔狩人たちの目的は、魔族から人を護ることではなく、魔族の素材を手に入れることだ。それを保護、支援する国立の魔狩人組合も、目的は魔族の素材である。魔狩人は魔族を狩り、ギルドはその素材を高値で買う。この世の終わりかに思えたアルガレプト平野の占拠も、新たな経済を生み出したと思えば悪いことばかりではない。
さて。
魔狩人たちはいわばこの時代の花形、勇者が現れるまで人と国を守った戦士と語り継がれるだろう。しかしそんな彼らが活躍するには、無くてはならない存在がいる。
我々、装備職人である。
勇者とて、麻の襤褸と木の枝では何に挑むもないだろう。彼らが地を踏みしめる靴を作り、肉体を護る服を作り、鎧を作り、武具を作るのが我々の仕事である。
私は中でも、服飾を得意としてきた。この二十年、田舎町で細々と仕立屋を営んでいたが、時代が時代である。針と糸で縫えるものならば何でも取り扱ってきた。さすがに鉄の鎧は外注になるが、魔狩人たちの命を最後に守るのが、私が仕立てた服であれば、これほど嬉しいことはない。
……ことはない、のだが。
「店主さん! こういうのが都で流行りなんだ。作れるかい?」
見せられた図案を、私は床に叩きつけたくなるのを何とか堪えた。
男性用装備らしいが、何と上半身がほとんど裸である。そのくせ腰にはごてごてと鎖やら毛皮やらがついているし、素肌に剣を背負うためのベルトを巻いている。へそから肩までむき出しのくせに、肘から先には手甲を巻いている。
「出来なくはないですがぁ……」
都の流行りってなんだ。腹をしまえ。胸をしまえ。首もしまえ。人間はそのあたりを怪我するとすぐに死ぬ。
「素材が足りないか?」
「まずこのぼわぼわは何でできているんです?」
「さあ? 獅子の鬣みたいで強そうだろう」
「何故、上がむき出しなんです?」
「軽いほうが動きやすいじゃないか。重い服を着込んでたらすぐ疲れっちまう」
そんな体力もないなら魔狩人なんてやめちまえ。
天井を仰ぎ、私は長く息を吐く。目を輝かせるこの青年に告げるのは酷だが、まあ、命よりはプライドのほうが安いだろう。
「こんな服で狩りに出たら、魔猪の突進一撃で死にますよ」
「大丈夫だって、俺鍛えてるし」
青年が自分の腹をぽんと叩いた。
「はあ、では」
私は、椅子に立てかけていた棍棒を取る。青年が身構えるよりも、私の一撃が青年の腹を撃ち抜くほうが速かった。
青年は目をひっくり返して、ふらふらと数歩後ずさる。体を二つに折って、床に崩れ落ちた。吐かなかったのはえらい。しかし、声も出せないほどとは。
「はい、死にましたね。こちら魔猪のうりぼうと同じくらいだと、お得意様からのお墨付きを得た一撃です」
「オ……おぁ、あ……」
「初心者セットにしておきましょう。安価な布の下着と魔牛の皮鎧です。採寸するのでそこに立って」
青年がずりずりと移動する。その根性は認めたい。彼には死んでほしくはないものだ。
私の仕立てたものが死装束になるなんて、冗談じゃない。
何事にも流行りすたりというのはあるが、服に関してはこと、この流行りに乗らなければ死んでしまうような人間は少なくない。しかし、命を預かる魔狩人の装備まで着飾りにしてしまうのはいかがなものか。
「こういうチェーンが流行りでかっこいいんだ。首にこう巻く感じで」
首吊り待ったなし。却下!
「装備にも棘があったほうがかっこよくないか? 肩とか肘とか! 攻撃力も上がるし」
自分への攻撃力もな。却下!
「あの、こういう装備、軽くて動きやすいし女性向けだと伺ったんですが」
下着じゃねーか! 却下! 誰だそんなこと吹き込んだバカは!
私が見栄えのよろしくない初心者セットを叩きつけるたび、夢見る新人魔狩人たちはとぼとぼと帰っていく。
見栄えのする装備、というのは上級者の特権だ。それこそ一撃も食らわず狩りを終えられるような。そしてそんな連中は、私のような田舎の縫製業者に仕事を持ち込みはしない。
それでいい。私の仕事は地味でいいのだ。私の店の刻印が入った皮鎧が、あの無謀な新人たちの命を守ってさえくれれば。幸いなことに、これまで初心者セットを売りつけた魔狩人たちは全員、おかげで命を拾ったと二着目を買いに来てくれている。
先日私が腹をぶん殴った青年は、無事魔猪を仕留めたと報告に来た。腹になかなかの痕を残していたうえに骨が折れたと言っていたが、まあ、命があって何よりだ。鎧がなければ上半身が弾け飛んでいただろうから。
「それで、今日は店主さんに良い話を持ってきたんだ」
魔猪の毛皮を土産に、青年が私の手を止めさせる。仕方なしに革針を置いて、私は聞く姿勢になった。
「腕の立つ魔狩人がいて、素材はいくらでも採ってこれるんだがそれを服にできる装備職人がいないって悩んでいてさ。店主さん、あんたの噂を聞いて、ぜひ会いたいんだってさ」
「私に?」
「ああ」
青年はカウンターに体をよりかけて、にこにこと笑う。
「だって、あんたの店で装備を買った魔狩人は今のところ、誰一人死んでないんだから」
私に、見栄えのする装備は作れない。せいぜい、勇み足の新人たちが、生きて戻ってこれるようにする程度の代物だ。
しかしまあ、腕を認められるというのはいい気分だ。私はありがたくその話に乗ることにした。
くだんの魔狩人は三日後、魔猪の青年に案内されてきた。別に一見さんお断りとかではないのだが。
まあ、確かに。顔見知りが連れてきていなければ、私も名うての魔狩人だとは思わなかっただろう。
「ミスター。あなたが、数多の魔狩人の命の恩人だという職人さん? お噂はかねがね」
フードの下にあったのは、鮮やかなプラチナブロンドと白い肌が眩しい貴婦人の顔だった。薄く化粧もしているらしい。
「わたくしにふさわしい装備を、あなたならきっと仕立ててくださると思いましたの」
その細い指で、陶器のような腕で剣が振れるのだろうか。それとも魔術師なのか。私が平生の癖でじろじろと値踏みをしていると、その貴婦人はにっこりと、笑顔で私の視線に顔を重ねてきた。
瞳は夜空色。吸い込まれるような色だ。ああ、確か都の貴人には、代々瞳や髪の色で後継を決めるなんて話が――。
「……ええーっと」
私はぱりぱりと頭を掻く。隣の青年は気付いていないのだろうか。まあ確かにこんな田舎で、そんな発想を持つ人間は少ないか。
しかし残念ながら、私はその瞳を持つ人間と昔、じかに会ったことがあるもので。
「何をしてるんですか、王女殿下」
あらあらうふふ、と笑ってごまかさないで欲しい。
「仕立ててくださる? 私の命を守るお洋服。デザインはお任せで」
そう言って、王女殿下は店の中に木箱を運んできた。
「余った素材はあなたのお好きに」
箱の中には、魔族の素材がぎっしりと詰まっていた。なめし革だけでも四種もある。飛翔種の羽毛も袋にみっしり。これは有鱗種の皮膚だ。それらを取り出した下、一番スペースを取っていたのが、黒々とした巨大な―――竜種の鱗。
竜種! 住処によってその特性は異なるが、共通しているのは堅牢な鱗と見上げるほどの巨体だ。その鱗が一枚あるだけで、装備のレベルは格段に上がる。私がいつも注文している鎧職人も、これを見れば渾身の一作を作ってくれるだろう。
「これは……どこでこれほどの素材を?」
さすが王族、財をもってかき集めたのだろうか。私がそんな目で見上げると、王女殿下は小首をかしげた。
「もちろん、わたくしが狩ってきましたのよ?」
「まさか!」
「あらまあ失礼な。お試しになる?」
私も、安易な嘘は見抜ける自信を持っている。なるほど、実力者というのは本当らしい。しかし強い装備を求めるということは、王女殿下はもっと過酷な狩りに出ようとしているということで。そんな危険を冒していいのだろうか。王女殿下が。
「……このお仕事をお受けするのは、あなたが危険を冒すことを認めることになります。私には、それは……」
「あら、そう?」
王女殿下は私の隣にしゃがみ、両手に顎を乗せている。村娘のような仕草だ。
「でも、あなたは作りたいでしょう?」
にっこり、浮かぶ笑みは随分こなれていて、この笑顔でいったい何人の男を篭絡してきたのだろうなどと下衆の勘繰りをしてしまう。
こんな超高級素材を渡されて、気分が高ぶらない職人がいるだろうか。いや、いない。それをこの女性に似合うように仕立てろと。何と心躍る仕事だろう! その女性が、王女殿下でさえなければ。
「……フルアーマーは着られますか?」
私が問うと、もちろんと王女殿下は頷いた。
魔猪の青年が去って、私は王女を仕事部屋に入れる。採寸をして、いくつか既存の図案から好みのデザインを選んでもらうとしよう。
手早く採寸を終え、納期を決めてから王女殿下は店を出た。まずはなじみの鎧屋に連絡をしなくては。