6.毒(リイナ視点)
近頃、具合が良くないとは思っていた。でも、まさか命に関わっているとまで思っていなかった。
弱々しく、儚げな様子でベッドで横たわるヴィオラ様の姿に、何とも言えない気持ちになった。ヴィオラ様の傍に、ずっと居るのは嫌だと思っている。でも、死んで欲しいとまで思ってなどいなかった…。
「リイナ……、私ね、セブランの事が好きなの。」
言われなくても知っている。二人は両想いなのだから。
「それにね、リイナの事も好きなの。二人は、私の大切な人達よ。二人には、幸せになって欲しいの。」
…何を言われるのだろうか。何故だろう、嫌な予感がした。
「私が居なくなったら、セブランと結婚して。リイナがセブランを、セブランがリイナを幸せにして欲しいの。」
…………ヴィオラ様は何を言っているのだろうか。セブラン様とリイナに結婚しろだなんて、幸せになれだなんて。まるで意図が分からない。
「…分かりました。」
整理がつかない私は、長年の癖で返事をしてしまった。ヴィオラと、最後の約束をしてしまっていた。その後、ヴィオラは死んだ。悲しくなければ、虚しくも無かった。ヴィオラに対する良心は、この約束で完全に消え去っていた。
ヴィオラはもう死んだのに、守る必要なんてないと思っているのに、セブラン様と結婚すると約束してしまった私は、その約束を切り捨てられずにいた。でも、セブラン様が拒否すれば、仕方がないと割り切れると思っていた。
「…リイナ、俺と結婚しよう。」
悲しみと喪失感でやつれたセブラン様の告白に、私は全てを察した。ヴィオラは、セブラン様にも私と結婚するように言ったのだ、と。セブラン様の背後に、微笑むヴィオラの姿が浮かび上がった。
…あぁ、ヴィオラはまだ死んでいない。ヴィオラは今後も、私の人生を縛り続けるつもりだ。
私は、セブラン様の事を愛していない。セブラン様だって、私を愛していない…ヴィオラを愛している。約束なんてどうだって良い、断わればいいだけだ、分かっている。
「………はい。」
分かっているのに、結局、私は出来なかった。こんな自分が、情けなくて、惨めだった。
両親は私が伯爵家に嫁ぐ事を喜んでいた。元々、私に対して愛情なんてなかった。酷い扱いをされたわけではないけれど、男爵家の事を優先する人達だった。セブラン様、伯爵家の方は反対する声が多かった。当然だ、男爵家との結婚なんて何の利益もないのだから。世間では、身分よりも愛を優先する事も無い訳ではない。でも、私達は違う。政略結婚でも無ければ、愛情結婚でもない。これは、ヴィオラの為の結婚だ…。
私はきっと、この先セブラン様を愛する事はない。セブラン様を嫌ってなんていないけれど、今のセブラン様は私にとって、ヴィオラのような存在としか思えなかった。それに、セブラン様はヴィオラが死んでから、死にたくて仕方がない、といった様子で痛々しかった。
「リイナ、指輪は希望通りに銀で作って貰ったよ。」
「ありがとうございます…。」
セブラン様の言葉に、私は感謝を伝えた。指輪を銀にして欲しいと頼んだのは、この結婚は祝福されるものでは無いと思ったからだ。管理が難しく、指輪には向いていない素材こそが相応しいと思ったからだ。装飾も邪魔でしかないと思い、意味のない輪で良いと思った。
……その時、ふと思い出した。銀は毒に反応すると。
私は最低な事を思いついてしまった。でも、このままでは誰も救われないではないかと言い聞かせた。結婚さえすれば、ヴィオラとの下らない約束は守った事になる筈だ。だから……私はもう、自由になったって、良いよね? 折角だから、最後にセブラン様の為に紅茶を淹れてあげましょう………。
◆◇◆
すっかり冷めきってしまった私が用意した紅茶を、セブラン様はようやく飲む決心をしてくれた。
私の人生は、ヴィオラに縛られていた。いや、今も縛られている。私はヴィオラを憎んでいる。
セブラン様の事を憎んだ事など無い。セブラン様が善い人か、悪い人かで言えば勿論善い人だろう。でも、セブラン様はヴィオラの事しか考えていない。
「………俺が死んだ後、リイナは大丈夫なのか?」
…やめて。形だけの言葉であっても、私を気にかけないで。貴方は自分自身と、ヴィオラの事だけを考えていれば良いの。気にしなくていいと伝えると、すぐに頷いてくれた。そう、それで良いの…。
セブラン様が毒を飲んだ後、私は適当に理由をつけて逃れるつもりだ。セブラン様がヴィオラを想っている事を知っている人は少なくはない。私が知らないうちに紅茶に毒を入れて死んだ事にすれば何とでもなるだろう。私がセブラン様を殺す理由なんて、誰も思い付かない筈だから。
紅茶を飲むセブラン様の背後に、何とも言えない顔をしたヴィオラの姿が浮かび上がった。私はヴィオラに初めて、笑顔を取り繕う事なく心の中で話しかけた。
『あぁ、ヴィオラ様。貴女の最愛の人が今からそっちに行きますよ。』
『これからは、セブラン様に面倒を見て貰って下さい。あの世でも、生活があるならですけど…。』
『私は、この世で生きていきます。この先の私の人生に、貴女は必要ありません。』
紅茶を飲み干したセブランと目が合った。
『貴女は本当に邪魔でした。だからセブラン、今度こそ…』
「はやくしね。」
ここまでお付き合い頂き、ありがとうございました。




