3.香り
「セブラン様、無理をする必要なんてありません。」
俺を気遣うような声で、リイナは話し続ける。
「私達は結婚したのですから………ヴィオラ様の願う通りに。」
「っ、それは……。」
ヴィオラの名前が出た瞬間、俺は息が詰まったかのように、胸が苦しくなった。
◆◇◆
「おはよう、セブラン!」
俺と目が合うと、周りに花が咲いたと錯覚するほどの柔らかい笑みを見せてくれた、俺の一番大切な女性…それがヴィオラだ。
ヴィオラは伯爵家の令嬢で、今から2ヶ月前に病気で死んでしまった…。
「ヴィオラ、顔色が良くないみたいだが…。」
「大丈夫よ、いつもの事だわ…。」
ヴィオラは身体が弱かった。一日中保健室で過ごしたり、学園を休む事が多かった。
「ヴィオラ様、大丈夫ですか?」
「リイナ、大丈夫よ。後でリイナの紅茶を飲んだら、すぐに元気になると思うわ。」
「…褒めていただき、光栄です。」
身体が弱かった事が、人と交流を持とうとしない理由だったのかもしれない。しかし、ヴィオラの傍にはいつもリイナがいたので独りになる事はなかった。ヴィオラとリイナは幼馴染で仲が良かったが、伯爵家と男爵家という身分の違いにより、リイナは「ヴィオラ様」と呼び、身分相応の言葉遣いで接していた。
「あのね、セブラン。リイナの言葉は堅苦しいし、私の事を呼び捨てで呼んでくれないのよ。」
と言って、ヴィオラが拗ねている事があった。立場と身分を弁える事は当たり前だ。それに、誰かに聞かれた場合、非難されるのは男爵家のリイナの方だ。仕方がない事なのだが、ヴィオラは不満そうであった。それだけ、リイナの事が好きだったのだろう。
ヴィオラと過ごす時間が多くなれば、俺がリイナとも過ごす事になるのは自然な事だった。3人で集まり笑い合う。時々、リイナが紅茶を淹れてくれる…そんな毎日が楽しかった。
「…私ね、もう長くないんだって。」
楽しい日々は、突然終わりに向かい始めた。
「…何を、言っているんだ……冗談だろ?」
身体が弱い事は勿論分かっていた。でも、命を奪うほどの病だったなんて…。嘘だ、何かの間違えだ、まだ希望はある、認めたくない、ヴィオラが死ぬだなんてっ…!
「私ね、セブラン。こんな時に言うのは卑怯だって分かってるけど……貴方の事が好きなの。」
愛する人からの告白なのに、何故、こんなにも悲しい気持ちになるのだろう。
「一つだけ……お願いを聞いて欲しいの。」
返事をする事も出来ず、呆然とする俺にヴィオラは願いを口にした。
「…リイナの事をお願い。リイナは私の傍にずっといてくれた、大切な幼馴染なの。リイナと………リイナと結婚して。」
俺にとってリイナは友人だ。恋愛対象ではない。けれど、
「………分かった。」
……ヴィオラ、それが愛しい君の願いならば、何としてでも叶えよう。
その後、俺はリイナに結婚を申し込んだ。周りからは反対してくる声もあった。もっと身分の良い家柄の令嬢と結婚しろと。しかし、そんな声はどうでも良かった。ただ、リイナに断られた場合はどうしようかと考えていた。しかし、リイナはいつもと同じように微笑みながら受け入れた。
こうして俺とリイナは、夫婦となった。
◇◆◇
「セブラン様が私と結婚して下さったのは、ヴィオラ様の為ですよね? 私達はずっと一緒に過ごしておりましたから、セブラン様がヴィオラ様に想いを寄せている事は分かってました。」
ヴィオラへの想いを隠していたつもりはなかった。けれど、リイナに打ち明けた事もなかった。俺が分かりやすかったのか、リイナが人の気持ちに気が付きやすいのか…。
「…ヴィオラ様が亡くなられて、セブラン様は私に求婚されました。愛する人を失って、すぐに気持ちを切り替えられるような人ではない事は分かってます。私に求婚をしたのは、ヴィオラ様の為だと分かったのです。」
リイナは俺を憐れむような、悲しそうな声で話す。
「……本当は、ヴィオラ様の後を追ってしまいたかったのに、私と結婚する為に出来なかったのでしょう?」
紅茶の香りはいつの間にか消えていた。