2.湯気
毒入りの紅茶を飲めと催促してくる妻の真意が分からない…。どうすれば良い、何を言えば良いのか分からない状況の中、俺は何とか口を開いた。
「普通…毒が入っていると知っていて、飲むと思うか?」
「それは、飲まないのが普通ではないのでしょうか?」
「…そうだよな。それならどうして、俺に毒が入っている事を教えたんだ? 俺に毒を飲ませたいなら、何も言わない方が良かったんじゃないか?」
「毒が入っている事を、知って欲しかったからです。」
「………。」
毒は人を死に至らしめる、恐ろしい存在だ。種類によっては命に別状はなく、腹痛等の体調不良で済む物もある。しかし、指輪の黒ずみ加減からして、素人から見ても紅茶を飲めば死ぬだろうと想像できた。
毒を入れたという事は当然、リイナは俺に殺意を抱いているという事になる。何も言わなければ、リイナが望んだ通りに俺はとっくに紅茶を飲んで死んでいただろう。毒が入っている事を知って欲しいと思う理由は一体何なのだろうか?
……いや、そもそもまずはこの質問をしなければいけなかった。
「リイナ、俺の事を殺したいほど、恨んでいるのか? それとも、嫌っているのか?」
「いいえ、セブラン様の事を憎んだり、嫌った事などありませんよ。」
「そう…なのか? では、何故俺に毒を飲ませようとするんだ?」
「……何故だと思いますか?」
リイナは質問に答えない。表情は相変わらず微笑んだままだ。俺を憎んでないのに毒を入れた理由…考えても分からない。お互いの顔を見つめ合ったまま、何の進展もなく時が過ぎていく…。
「……俺が毒を飲まずに、リイナの事を誰かに伝えに行ったらどうする?」
俺が全速力で走れば、リイナからは簡単に逃げられる。リイナが邪魔をしても、男女の力の差で俺が負ける事はまずあり得ない。
「…2つ考えがあります。この毒はセブラン様が用意し、私に飲ませようとしたのだと主張します。『私が紅茶を用意している時に、セブラン様は隙を見てティーポットに毒を仕込んだのです。偶然、私の指輪が紅茶に落ちて毒が入っていた事が分かりました。』と言うのが1つです。」
リイナが毒だと言ってテーブルに置いた茶色の小瓶は、第三者が見ればどちらの物かなんて分からない。俺の事を恨んでいないと言っていたのに、罪を着せようと言うのか…。
「………それで、2つ目は?」
「セブラン様が部屋を出た後、私は紅茶を飲みます。この毒は即効性で、数秒後に効くそうです。2つ目の選択ですと、セブラン様の主張を周りがそのまま信じようと信じまいと、私にはもう関係なくなりますね。」
「っ、…死ぬ……だと?」
バンッ! と宙で固まっていた手がテーブルを叩く。同時にティーセットが振動でカチャカチャと音を立て、ティーカップの中の紅茶はゆらゆらと揺れた。
「俺が紅茶を飲まなければ、何故リイナが死のうとするんだ!?」
リイナが死ぬだなんて…そんな事はあってはならない。
「……セブラン様、私からも聞いて良いですか?」
「っ、……何だ?」
「どうして、紅茶を飲んでくれないのですか?」
「…毒が入っているからだ。」
普通は毒が入っている事を知っていれば飲まない。お互いにそれは当たり前の認識だと確認した筈だ。もっと簡単な言い方をすれば、毒を飲めば死んでしまうからだ。
「…セブラン様、貴方は死にたくないのですか?」
「…何だと?」
リイナは相変わらず、微笑んだままだ。
「本当はもう、死にたいと思っているのではないですか?」
紅茶の香りは相変わらず部屋中を満たしている。しかし、湯気はもう立たなくなっていた。