7 わくわくドキドキする死体です。
『お母さまへ』
封を開ければ、中から文字のぎっしり詰まった、温かな便箋が一枚出て来た。
知っている文字で一生懸命書いてくれたのだろう。話す時よりたどたどしいその言葉に、私も懸命に目を凝らした。
『おとといときのうは、おにわに行ってごめんなさい。お父さまにあやまったら、そんなにおこられませんでした。木やさくは、もうふさげないから、あとはじぶんでかんがえなさいと言われました。だから、ぼくはかんがえて、やくそくをまもることにしました。
せいなる日まで、お母さまと会わないやくそくですが、お手がみはかかないやくそくはしていないので、おこられないとおもいます。
お手がみをかかないやくそくをお父さまとするまえに、ぼくは、お母さまとまいにちお手がみをかくやくそくをしたいのですが、お母さまはどうですか?
キャンディはたべましたか? からだはあったかくなりましたか? またほしかったらおしえてください。
ヘリオスより』
……まあ! 確かに。お手紙交換なら会わずに出来るから、約束を破ったことにはならないわね。しかも、先に私と約束してしまおうと考えつくなんて……本当に可愛くて賢い子。これではお父様も敵わないわね。
『仕方ないな』と息を吐いていた昨日の辺境伯様を思い出し、顔が綻んでしまう。
ふと文字の下を見れば、色鉛筆で何かの絵が描いてある。剣を持った……騎士? 上手ね。
…………そうだわ!
閃きに腰を浮かせかけるも、盛り沢山のテーブルを見て思い止まる。
待って……先にチョコレートを食べて……お花に水をあげて……お手紙のお返事を書いてからじゃないと……何だか忙しいわ。たったの二日前まで、退屈だなんて言っていたのが嘘みたい。
まさか死体になってから、こんなにわくわくした気持ちを味わえるなんて。
逸る気持ちを抑え深く座り直すと、篭から茶色い包みを一つ取り、温もりを確認しつつ舌の上に乗せた。
『ヘリオスさまへ
すてきなお手がみをありがとうございます。
たからものをみつけたみたいに、うれしくてわくわくしました。
じぶんでかんがえて、お父さまとのおやくそくをまもったこと、とてもりっぱだとおもいます。
わたしもヘリオスさまとお手がみをこうかんしたいです。でも、わたしはお父さまと、“けっこん” というおやくそくをしていますので、まずはお父さまにおゆるしをいただかなくてはなりません。
もしもこのお手がみが、お父さまからヘリオスさまのところにとどいたら、つぎのお手がみをかいてください。
キャンディも、お父さまからいただいたチョコレートも、とてもおいしくて、こころもからだもぽかぽかです。
ごちそうさまでした。
セレーネ』
手紙を小さく畳むと、封筒の代わりに、夜中に仕上げたばかりの空色のハンカチで包んだ。
……どうかお坊っちゃまに届きますように。
ええと、次の布と糸は……。お坊っちゃまの手紙の絵を見ながら裁縫箱を漁っていると、辺境伯様が大きな篭を抱えて部屋にやって来た。
「夕べ貴女の侍女から頼まれたものです。どうぞ」
中にはキャンディに……チョコレートにクッキー? とにかく山盛りの菓子が入っている。テーブルに置いたその振動だけで、幾つかポロリと落ちる程。
辺境伯様自らお持ちくださるなんて……
目線を上げれば、アイスブルーの瞳が、私を食い入るように見つめている。
……あ、そうか。ジュリから色々聞いて、容姿の変化に興味を持たれたのかもしれない。
パチリと目が合うと、辺境伯様は少し慌てて言った。
「……お顔の血色が良くなりましたね。目の色もスッキリして」
目の色? さっきチョコレートを食べて、また何か変化があったのかしら。
「不調が改善されるのでしたら、幾らでも用意致しますので。給仕にでも気軽に申し付けてください。私から伝達しておきます」
「ありがとうございます。夕べ頂いたチョコレートも、本当に美味しくて。身体も温まりました」
キャンディと同様、あまりの美味しさに一度に五個も食べたら、ペンを持つ手が熱くてひりひりした程だ。今は少し落ち着いてきたけれど。
「……本当に美味しいのですか?」
「はい。とっても」
辺境伯様は顎に手を当てながら、思案顔で言う。
「何故かは分かりませんが……それなら安心しました。どんなに良い効果があっても、美味しくないものを食べるのは苦痛ですからね。私は、忙しくてどうしても食事を摂る余裕がない時にだけ、これを食べます。一粒で満腹になり、大体一~二食分の栄養も補給出来る。更には体温を上げ、免疫力を高めてくれたりと非常に便利なのですが……味だけはどうしても」
舌が思い出したのか、苦いものを食べた時みたいに、顔をしかめる辺境伯様。
「息子の魔力入りの食べ物を美味しいと言ったのは、息子本人以外には貴女が初めてです」
────夕べ、チョコレートの篭を届けてくれたジュリから聞かされた、お坊っちゃまの素晴らしい魔力。手をかざした食べ物を、たったの一口で満腹になる、夢みたいな食べ物に変えてしまうらしい。
もし私にも、そんな魔力があったなら……一日にたった一切れのパンや、干した林檎の皮だけでも、ひもじい思いをすることはなかったのに。お腹がよじれるようなあの空腹感を思い出すと、今でも苦しくなる。
「……素敵な魔力ですね。農作物が不作続きの時や、災害時には、たったの一口でみんなのお腹が幸せになるのですから。お坊っちゃまの魔力は、きっと神様からの贈り物です」
思ったままを口にすると、辺境伯様のお顔がパッと輝いた。
「そう思ってくださいますか? まだ幼く魔力のコントロールは未熟だが、成長すればもう少し味も良くなると思うんです。保存がきくので、さっき挙げてくださった以外にも色々な使い道が……」
ハッと口をつぐむと、辺境伯様は饒舌な自分を恥じるように横を向いた。無表情なのに溢れてしまう、その温かなものを見て、私は可愛く賢いあの “約束” の話を切り出した。
「……全くあの子は」
聴き終えた辺境伯様は、ふっと息を漏らしながら微笑む。目元がくしゃりと垂れたその顔は、今までとは違い、まるで少年のように無防備に見えて……
ドクリと、心臓が激しく跳ねる。また止まってしまうのでは、と不安になり、手でギュッと胸を押さえた。
「好奇心旺盛なのにも困ったものだ。本当によく……」
さっきまでの笑顔が、一瞬で陰り哀しみに満ちる。下を向くと、瞳を少し瞬かせながら、私へ手を差し出した。
「……手紙、ください。“約束” のお返事を、息子に届けます」
大切に包んだ空色の返事を渡せば、長い指が、虹の刺繍を哀しげに撫でた。
◇
あれからずっと騒がしい心臓。ジュリに診てもらおうかどうしようか、でも気のせいかしらと、一人胸を押さえ続けながら逡巡していた。
『目の色もスッキリして』
辺境伯様の言葉を思い出し、とりあえず確認して気持ちを落ち着かせようとドレッサーへ向かう。
大きな鏡に映っていたのは……朝よりも更にふっくらした頬と、濁りが薄くなり、元の金色を取り戻しつつある瞳だった。