単行本発売記念SS 『僕のお友達』
僕には『命』がない。
心臓もないし、呼吸もしていないから。
だけど『意識』はある。
円い硝子玉を通して、周りの景色はバッチリ見えるし、ふわふわの長い耳で、音もよく聞こえる。たっぷり詰めてくれた綿で、いろいろ考えたり覚えることもできる。
じゃあ『心』は?
うーん……よくわからない。そもそも心ってなんだろう。意識と繋がっているのかな?
「たくさん可愛がってもらうんだぞ」
僕を作ってくれたお爺さんは、そう言いながら、温かい手で僕の頭を撫でた。
「お友達を幸せにしてあげてね」
僕を綺麗にしてくれたお姉さんは、そう言いながら、僕を丁寧に袋へ入れた。
抱っこされて、どこかへ運ばれて、しばらく揺られて、また抱っこされる。
今までで一番熱い手に抱っこされた時、いよいよだなって、なんとなくわかった。
「先日、買い物に付き合っていただいたお礼です。どうぞ」
「お礼……?」
「はい。どうぞ、開けてみてください」
知らないお兄さんとお姉さんの話し声が聞こえる。
もうすぐ『お友達』に会えるんだ。可愛がってもらって、幸せにしてあげるんだ。
真っ暗な袋の中で、僕は胸をときめかせていた。
「ほら……早くしないと、窒息してしまうかもしれませんよ。こんなにリボンをきつく結ばれて……可哀想に」
大丈夫だよ。僕は呼吸していないから。
そう答えていると、僕を包んでいた袋が開いて、一気に視界が眩しくなった。
光の向こうに現れたのは、ものすごく可愛いお姉さんだった。つるつるの真っ白なお顔に、桃色のほっぺと唇。それにお月様の雫みたいな金色の瞳と、お月様の光みたいな金色の髪が、キラキラと輝いていた。
すりすりと寄せられたほっぺからも、ギュウと抱き締めてくれる腕からも、僕のことを気に入ってくれたんだと伝わって嬉しくなる。きっとこれから、たくさん可愛がってくれるんだろうな。
僕もお姉さんが大好きだよ! たくさん幸せにしてあげるからね!
部屋で二人きりになると、お姉さんは僕にいろいろなことを教えてくれた。
お姉さんの名前は『セレーネ』で、年齢は十七歳。今はこの家の後妻だけど、役目を終えたら出て行くらしい。そして本当は、一度止まってしまった心臓を、魔力で無理やり動かしている『死体』なんだって。
僕も生きていないから同じだね! って答えたら、セレーネは泣きそうな顔で、僕を抱き締めてくれた。
『ぬいぐるみ』の一番大事な役目は、『お友達』と一緒に眠ること。だけどセレーネは、死体だから眠れない。だから僕は、一緒に眠る代わりに、一晩中セレーネの話を聴いたり、遊んであげようと思った。
さっそく僕たちは、ブランコに乗って夜風に吹かれたり、星空の下でダンスを踊ったりした。
少し恥ずかしそうに笑うセレーネに、大丈夫だよ! すごく楽しいよ! って笑い返していた時、誰かが部屋のドアをノックした。
現れたのは旦那様だった。
セレーネの繊細な心臓が、僕の背中で壊れそうなくらい暴れている。
わかるよ。このお兄さん、声もお顔も、なんか怖いもんね。
旦那様とセレーネは、ソファに向かい合って座った。もし旦那様がセレーネをいじめたら、僕が守ってあげようと、ふわふわの身体に気合いを入れる。
「それ」
突然旦那様が、セレーネの膝に座る僕を睨む。
「そのぬいぐるみ、そんなに気に入ったのか?」
「……はい」
「そうして、ずっと抱いているほど?」
「はい……とても」
わあい! 嬉しいな!
喜ぶ僕を、セレーネは強く抱き締めてくれる。えへへと照れていると、旦那様はさっきよりもっと怖い顔で、僕を睨んだ。
ひいい……怖いよう。
旦那様はその後もずっと怖い顔をしていた。
元の顔が怖いんだから、わざわざ睨む必要ないのにさ。
そのうち声まで怖くなってきて、とうとうセレーネは、僕の背中に隠れてしまった。
ようし! 僕に任せて! とふわふわの拳を握っていると、不思議な感覚に包まれる。
気付けばなぜか、僕はセレーネの柔らかい膝の上ではなく、旦那様のゴツゴツした腕の中にいた。
捕まった……?
水に沈められる? 綿を抜かれる? 最悪……燃やされる?
やだ! やだやだー! 助けてー!!
必死に叫ぶ僕を、旦那様は自分の横にそっと座らせる。
そしてダンスを踊るため、セレーネと手を繋いで、中庭へ出て行ってしまった。
……とりあえず無事みたい。ほっ。
それからしばらくして部屋に戻ってきた二人は、ちょっとぎこちないような、変な感じがした。
大丈夫かな。喧嘩でもしたのかな。なんて心配していたらやっぱり! また何かに怒り出した旦那様は、ソファにお行儀良く座っているだけの僕をキッと睨んで、部屋を出て行った。
セレーネ、ごめん。僕……旦那様とはお友達になれない気がする。
次の日の夕方のことだった。
ハーヴェイ様が部屋にやって来て、僕の前のテーブルに、たくさんの箱や袋をドサリと置いた。
「全部うさぎへの贈り物です。さあ、開けてみてください」
えっ! 僕へ!?
昨日は僕が『贈り物』だったのに、今日は僕が『贈り物』をもらえるなんて。嬉しいな。
ハーヴェイ様は僕の向かいに座ると、箱や包み紙を開けて、中身を見せてくれた。布にレースにボタンにビーズに毛糸……全部、僕の服を作るための材料らしい。
わあっ、服をもらえるなんて嬉しいな。裸なの、少し恥ずかしかったからさ。しかも大好きなセレーネが作ってくれるなんて!
でも……
布の色や柄を見て、僕はだんだん不安になってきた。
そう、僕には一応『性別』がある。
どこで決まるの? って訊かれたら困っちゃうんだけど、とにかく生まれた時から、僕は『男の子』なんだ。
だからさ、できればスカートじゃなくてズボンがいいんだけどな。ほら、あの水色の布を使って作ってくれたらカッコいいと思う! まあセレーネとお揃いならピンクでも花柄でもいいけどさ。……せめてズボンにしてくれれば。
布とにらめっこする僕を、ハーヴェイ様はスッと抱き上げて中庭へ出る。
へえ。夕べは暗くて見えなかったけど、こんなに綺麗な花壇があったんだね。
僕を抱っこするハーヴェイ様の腕が、急に強張る。そして、さっきまでとは違う昏い声で、『マリーゴールド』と『本当の妻』の話を始めた。
僕には少し難しいけれど、話したくて話している訳じゃないってことだけはわかる。だってハーヴェイ様、なんだかつらそうだもん。
やがてハーヴェイ様は部屋に戻ると、セレーネの腕に僕を抱かせた。ハーヴェイ様の熱で毛がほかほかになったせいか、セレーネの身体が冷たく感じる。
大丈夫かな? セレーネもきっと、聞きたくて聞いた訳じゃないんだろうな。
今にも泣きそうな顔を、僕は長い耳でそっと撫でた。
それからセレーネはずっと元気がなかった。
カプレスク領の大切なお客様が帰った後は、「もう私の役目は終わったの」と、哀しそうな顔で僕に言った。
足が壊れて歩きづらくなってしまったせいか、毎日部屋に閉じこもって、一日のほとんどを針を動かして過ごしている。
ヘリオスの手紙を読んでは寂しそうにしているけれど、前みたいにお昼ご飯を一緒に食べることはない。ハーヴェイ様はどこかへ行ってしまったみたいだし、旦那様も部屋に来ることはなくなった。
もし僕が本当にお喋りできたら、セレーネをもっと笑顔にしてあげられたのかな。
話を聴くだけしかできない自分がもどかしかった。
そんなある夜、慌てた様子で部屋にやって来た旦那様と、久しぶりにヘリオスに会いに行ってからは、セレーネの表情が少し明るくなった。
またヘリオスと一緒に、お昼ご飯を食べられるようになったみたい。旦那様とも仲良くなって、毎日抱っこして食堂へ運んでもらっているみたいだ。よかったあ。
それからまた何日か経って、ハーヴェイ様がお屋敷に戻って来た。
セレーネは朝から張り切って、ハーヴェイ様がくれた材料で作った服を、何着も僕に当てている。
「私とお揃いの、この薔薇のお洋服にしようと思うわ。どう?」
そう言って鏡で見せてくれたのは、大きなリボンとレースが可愛い……ワンピースだった。
わーん! やっぱりズボンじゃなかった! こんなに似合っちゃうんだから、女の子に間違えられるのも仕方ないけど。
でも……セレーネが嬉しそうならいいか。
ハーヴェイ様も、双子みたいに素敵って褒めてくれたし。
旦那様は相変わらず僕とセレーネを引き離そうとするけれど、今日は機嫌が良さそうで、僕の頭をぐりぐり撫でてくれた。
その夜、僕はセレーネと一緒にベッドに寝転んで、ハーヴェイ様のお土産の星空を見上げた。
「わあ……」
夜っていいね。暗いし長いしちょっぴり退屈だけど、光がこんなに綺麗に見えるんだもん。
セレーネが僕の手を握り、『そうね』と優しく微笑んでくれた。
天井の星空をしばらく眺めていると、旦那様がやって来て、セレーネと二人で中庭へ出ていった。今度は外で、本物の星を見るみたい。声しか聞こえないけれど、なんだか楽しそう。
みんな優しくて、キラキラしたことがたくさんあって。今日はすごく素敵な一日だったね、セレーネ。
ところが次の日、旦那様が工事現場で、呪いを浴びて倒れてしまった。命は助かったというのに、なぜかまた、セレーネの元気がない。
足が完全に壊れて、歩けなくなってしまったからかな。ゆっくり休んでいればいいのに、役に立ちたいと言って、毎日誰かのために忙しなく出掛けていく。
はあ、一体どうしたらセレーネを幸せにしてあげられるのかな。たくさん考えたけど、僕が傍にいるだけじゃダメなんだ。きっと……旦那様じゃないとダメなんだ。
そんなある夜、セレーネは突然、床の上で眠ってしまった。
セレーネ、ダメだよ。ちゃんとベッドで寝ないと……って、なんかおかしいよね? 死体だから絶対眠れないはずなのに。
うわーん! 起きてよ~! 誰かあ!!
僕の叫びが届いたのか、タイミング良く侍女長さんが来て、旦那様が来て、お医者様が来て……
ついにセレーネが死体だってバレてしまった。
どうなっちゃうんだろうって心配したけれど、ジュリのメンテナンスでまた起きてくれたし、旦那様ともすっごく仲良しになった。
よかった……旦那様も、本当はセレーネのことが大好きだったんだね。
そりゃそうだよね! たとえ死体だって、セレーネはすっごく可愛いもん。僕の自慢の『お友達』なんだから!
心は元気になったセレーネだけど、身体は限界が迫っていてあまり元気がない。
神様、どうか僕の命をセレーネに……! って祈りかけて、僕には命なんかないことを思い出したよ。
たくさん可愛がってもらったのに、なんの役にも立てないなんて。情けないなあ、僕。
だけど神様は、僕の願いを叶えてくれた。
なんと、セレーネを生き返らせる方法が見つかったんだって。すごい!
セレーネは不安そうだけど、きっと大丈夫だと思う。だって、死体を生き返らせる方法が見つかっただけで、もう半分奇跡みたいなものだもん。もし僕が神様だったら、楽しくなって、ついでに残りの半分だって奇跡を起こしちゃうよ。
生き返るため、王都への旅支度を整えたセレーネは、僕をヘリオスの腕に預けて、お別れの挨拶をする。
「この子のこともお願いね。一人ぼっちにするのは可哀想だから」
ふふっ、大丈夫! ヘリオスのお守りは僕に任せて! ぬいぐるみの本領発揮だ!
みんなを乗せた馬車が見えなくなってもまだ、ヘリオスは僕を抱いたまま、寂しそうに立ち尽くしている。
大丈夫、セレーネは絶対、元気になって帰って来るよ。それまで僕とお留守番していようね。
屋敷に戻ると、僕はヘリオスの部屋へ連れて行かれて、焦げ茶の毛に青い目の、ぶたのぬいぐるみに引き合わされた。
「同じお店で生まれたお友達だよ。仲良くしてね」
一目見てわかった。この子も僕と同じお爺さんに作られた仲間だってことが。あと、ズボンを履いた女の子だってことが。
向こうもスカートを履いた僕を見て、少し驚いているみたい。お互い大変だよね。
ヘリオスは僕たちをソファの上に並べると、うーんと首を傾げる。何かに気付いたのか、僕とぶた先輩の服を交換して、着せ替えてくれた。
さすが子ども! 勘がいい!
「うん。こっちの方が似合うね」
念願のズボンにキリッとする僕と、ピンクのスカートにきゅんとするぶた先輩を見て、ヘリオスは満足気に頷いた。
昼間はお勉強や、小人のお家作りを頑張っていたヘリオスだけど、夜になってベッドに潜ると、くすんと身体を震わせる。僕は左側から、ぶた先輩は右側から、ヘリオスを挟むようにして一緒に眠った。
セレーネみたいに、抱き締めたり背中を撫でてあげることはできないけど、ふわふわの毛で可愛いほっぺをくすぐって、涙や鼻水を一晩中拭いてあげた。
それから一週間以上が過ぎて──
僕が信じていた通り、セレーネは元気になって、ヘリオスの元に帰って来てくれた。
「お母様!!」
「ヘリオス!!」
ヘリオスは僕を抱っこしたまま、セレーネの胸へ飛び込む。
んもう、二人とも、強く抱き付きすぎ。僕、真ん中で苦しいよ。苦しいけどすっごく嬉しいよ。
セレーネ、歩けるどころか、走れるようになったんだね。この鼓動も、呼吸も本物なんだね。よかった……本当によかった。
涙を流せない僕の代わりに、セレーネがたくさん泣いてくれる。
「寂しかったわ。ずっと、ずっとずっとヘリオスに会いたかった」
「……僕も寂しかった。うさぎと寝たんだけど、ほんとは少し泣いちゃって。鼻水で、耳のふわふわが汚れちゃったんだ。ごめんなさい」
ほら~みてみて、僕のお耳!
ヘリオスの勲章だよ!
こんなにカピカピになるくらい泣いたけど、お勉強も遊びも頑張って、ご飯もちゃんと食べたんだよ? すっごくいいコにお留守番してたから、たくさんたくさん褒めてあげてね!
セレーネはふふっと笑うと、僕とヘリオスの頭を撫でて、もう一度強く抱き締めてくれた。
えへへ、温かいなあ。
帰ってきてくれてありがとう、セレーネ。
本当に本当にありがとう。
奇跡が起きてから数ヵ月後、旦那様とセレーネは結婚式を挙げて、本当の夫婦になった。
真っ白のドレスを着たセレーネは、今までで一番可愛くてうっとりしちゃう。旦那様のお顔も優しいし、ヘリオスはますます素敵なお兄ちゃんになったし。みんなみんな、すっごく幸せそうだ。
今日は僕とぶた先輩も、セレーネの手作りの服でおめかししている。僕はグレーのベストにズボンに水色の蝶ネクタイ、ぶた先輩は白と銀と水色の豪華なドレス。
そうそう! あの後ヘリオスが、セレーネに僕たちの性別を伝えてくれてね。「そう言われればそうかもしれないわね。今までごめんなさいね」って、セレーネもすんなり納得して、新しい洋服をたくさん作ってくれたんだ。どうもありがとう!
本当の夫婦になった旦那様とセレーネは、今夜から新しい寝室で一緒に眠るんだって。
僕は真ん中かな? 狭いけど楽しそうだな、また旦那様に睨まれちゃうのかな、なんてわくわくしていたけれど……。
セレーネは少し緊張した顔で、僕に「おやすみ」のキスをすると、僕を置いて隣の寝室へ行ってしまった。
なんだ。ちょっと寂しいな。
でも、セレーネを一番幸せにしてあげられるのは、僕じゃなくて旦那様なんだよね。大好きなセレーネが一番幸せなら、僕も最高に幸せだよ。
ふわあ……
安心したら、なんだか眠くなってきちゃった。
『命』はないのに不思議だね。
明日はどんな服を着せてくれるかな? どんな景色を見られるかな? どんなお話を聞かせてくれるかな? 楽しみだなあ。
『意識』の向こうから、僕の『心』がぴょんと現れて、本当のうさぎみたいに跳ねている気がした。
ありがとうございました૮₍´。• ᵕ •。`₎ა




