表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

4/40

4 痛みを感じない死体です。

 

 どうして……? 刺繍に何か問題が? それとも刺繍をしたこと自体がいけなかったのかしら。

 部屋にあったから勝手に使ってしまったけれど……許可を取らなければいけなかった?


 恐怖の中、身を縮こめて考える私に、辺境伯様は掲げた布を揺らしながら問う。


「この絵は何だ」


 絵……? 絵は……黄色とオレンジ色で花びらを、緑色で葉を描いたマリーゴールド。その隣には、カラスが落としていった、あの子の大切な “金色の何か” を描いた。お菓子みたいな形の…………あっ……!


「……申し訳ありません。今朝、中庭でお坊っちゃまに接触してしまいました」


 辺境伯様の顔が一層険しくなる。


「どういうことだ」


「中庭で……散歩をしておりましたら、カラスが金色のものを花壇に落としていったのです。お坊っちゃまはそれを返して欲しいと、大切なものだと仰ったので、柵越しにお渡ししてしまいました。話してはおりませんし、顔は見られていないと思いますが……勝手なことをしてしまい申し訳ありませんでした」


「何故それを、わざわざ刺繍に?」


「……分かりません。気付いたら描いていました。……申し訳ありません」



 辺境伯様は私の手首を解放した。さっきまでの怒気はすっかり消え、代わりに哀しい影のようなものが彼を包んでいる。


「……息子にはよく注意しておきます。約束を破って、越えてはいけない場所まで侵入したのですから。事情も訊かずに、感情的になってしまい申し訳ありませんでした」


「いえ……」


 逆に謝られてしまったことに驚く。

 もっと怒られるかと思ったのに……最悪体罰も覚悟していたのに。体罰……! ああ、どうしよう。


「あっ、あの、お坊っちゃまをお叱りにならないでください」

「え?」

「あの……カラスは光る物を好みますから。大切なものを取られてしまったので、追い掛けるしかなかったのだと思います」

「……理由はどうあれ、約束を破ったことは事実です。きちんと注意しませんと」

「でしたら……どうか叩くことは止めていただけませんでしょうか? お食事を抜くことも」


 あんなに小さい子が、自分と同じ目に遭うと考えただけで胸が苦しくなる。

 私の必死の訴えに、アイスブルーの瞳がみはられた。


「……そんなことをする訳ないでしょう。まさか、貴女のご実家では、親が子供に体罰を行っていたのですか?」


 親が……子供に? 違うわ。お義母様だけでなくお姉様達も……使用人達もよく隠れて私を殴った。悪いことをしたら体罰を受けなければいけないと、そう思っていたけれど。

 答えられずにいると、辺境伯様は厳しい口調で言った。


「我が家では、子供にはもちろん、使用人にも決して体罰を与えることはありませんよ。注意すべきことがあるのなら、言葉で伝えます」


「そう……なのですか。出過ぎたことを言って申し訳ありませんでした」


「……いえ」


 あの子が痛みにも、空っぽのお腹にも耐えなくて良いと知り、とりあえずホッとする。


 下を向いていると、足音が自分から離れ後方へ向かった。恐る恐る振り向けば、辺境伯様が中庭へ出て花壇を見下ろしている。黒いシャツのせいか……陽の中で佇むその姿は、濃い影みたいにぽっかりと浮かんで見えた。


「後で庭師を呼んで、花壇を整理させます」


 整理? あんなに綺麗に咲いていたのに?

 何も訊いてはいけない雰囲気に、ただ「はい」とだけ答えた。



 部屋へ戻って来た辺境伯様は、私にソファーを勧めた。

 向かい合って座ると、先程口にしていた “聖なる日” について話し出す。


「毎月、聖なる日の夕食には、私と貴女だけではなく息子も同席させます。普段の接触は禁止させていただきますが、大切な日だけは特別に三人でと思いまして」


 三人? 辺境伯様だけでも意外なのに、お坊っちゃまも?


 ……毎月二十日の “聖なる日” 。それは我が国の主神の月誕生日で、特別な事情がない限り、夜は家族揃って食卓を囲み、神に深い祈りを捧げるという風習だ。この風習を守ることで、神の加護を受け、一家に繁栄がもたらされると言われている。

 母が生きていた頃は、温かな食卓で共に祈りを捧げたが、父に引き取られてからは一人で過ごしていた。

 侯爵家の誰にとっても、私は “家族” ではなかったから。


「貴女は昨日、ご自分の容姿が息子の傷になると仰っていましたが、そのようなことはありません。この領地は三国が隣接しており、貴女がお育ちになったサフライ領よりも、大勢の外国人が行き交います。いずれこの領地を受け継ぐ者として、息子には多様性を受け入れ、偏見の目を持たないようにと教育しております。……貴女との接触を禁じているのも、私の個人的な理由からで。決して貴女の容姿が理由ではありません」


 昨日と同じく、気味の悪い自分を真っ直ぐに見つめてくれる。その眼差しから、彼の優しさが伝わった。


「私は北方出身の母の血を引いており……元々異様なので偏見の目には慣れております。ですが今の見た目は、病を患った為で……見るに堪えないと思われますが」


「でしたら尚更です。病に苦しむ人の容姿を差別する者が、人の上に立てる訳がないでしょう。……私の妻も身体を悪くして亡くなりましたので。幼くも病に寄り添ったあの子ならば、理解し受け入れると信じています」




『髪も瞳も変な色。見たことがない』

『……この色で男を誘惑するのよ。人の夫を盗んだ、泥棒猫の娘だからね』

『何でお父様はこんな子を引き取ったの?』

『決まっているじゃない。また誘惑されたのよ』


『母親だけでなく娘まで……ああ、本当に気持ち悪い』



 髪は黒か茶系、瞳は青系の人がほとんどのこの国では、異様すぎた自分の容姿。

 金色の髪に金色の瞳。醜いそれは、義母達に酷く疎まれた。

 引き取った当初は私を気に掛けてくれていた父も、義母の当たりが余計に強くなることを知ると、私と距離を置くようになった。


 一度死んで、黒魔術で蘇った私の身体は、激しい副作用に襲われた。金色の髪は老婆のように、瞳は死んだ魚のように。生前よりも、もっと醜い姿になってしまったのだ。

 変わらなかったのは、栄養失調と病で痩せ細っていたこの身体と……この心で。


『 “家族” を救う為に、辺境伯の元へ嫁いで欲しい』


 蘇った自分に放たれた、父の残酷な言葉。安らかに眠ることも許されなかったその理由に、心が激しく痛んだ。


 でも、やっと役に立てるのかもしれない。私がお姉様達の代わりに、一年間の契約結婚を務めて家を立て直すことが出来れば。そうしたらお義母様も、私を家族だと認めてくださるかもしれない。

 そんな想いだけで淑女教育を受け、馬車に乗り込んだのだった。




「食事は無理に摂らなくて構いません。同じ食卓で共に祈りを捧げていただければ」

「……本当によろしいのでしょうか?」


「ええ。たとえ一年間の契約結婚でも、法律上貴女は “家族” ですから」


 ずっと欲しかったその言葉が、温かく……そして哀しく響いた。



 ソファーから腰を上げると、辺境伯様は私の手首に視線を落として言う。


「……さっきは申し訳ありませんでした。痛みはありませんか?」

「いいえ、何ともありません。お気遣いありがとうございます」


 ……身体は痛くないのよね。死体だから。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
木山花名美の作品
新着更新順
総合ポイントの高い順
*バナー作成 コロン様
― 新着の感想 ―
何かヤバめの情報が徐々に徐々に旦那様(仮称)に流れている気がする。 物語が終わる時、彼女の実家(?)は無事でいられるんだろうか?
[良い点] 一度死んで、黒魔術によって蘇った主人公。その展開に、第一話から引き込まれました。馬車の振動でバラバラにならないか気にしたり、ご馳走を体が受け付けなかったり、死体ならではの大変さの描写が、ど…
[良い点]  一年間の結婚先に何が残るのでしょうか。この条件もですが色々と謎が残りますね。死者に安息を……というわけには行かないようで。 [気になる点]  辺境伯様も色々ありそうですね。 [一言]  …
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ