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【書籍化準備中】後妻になった死体です。~一年後には棺へ戻るのでお気遣いなく~  作者: 木山花名美


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36 我が儘な死体です。

 

 …………キリル様!


 もう一度「セレーネ」と名を呼ばれ、全身に恐怖が走る。

 声も出せず、身動きも取れず……半分以上空になってしまった香水の瓶と共に、ただ床の上で固まっていた。


「……大丈夫か?」


 異変を察知したのか、キリル様の声は低くなり、気遣わしげに尋ねてくる。

 ……先のことなど何も考えられない。ただ、今、この姿を見られたくない。その一心で、何とか平静を装い答えた。


「大丈夫です」


 それ以上の言葉が出てこない。こんな時、寝たふりも出来ないなんて……と自分の身体を恨めしく思う。


「……セレーネ、ドアを開けてくれ」


 いつもの “入っていいか?” ではなく、有無を言わせぬ口調の彼に、カタカタと全身が震え出す。返事が出来ず戸惑っていると、ドアノブがカチャリと鳴った。

 ……入室を拒む固い音。大丈夫、鍵は掛けているのだから。

 私は床を這いベッドまで辿り着くと、頭からすっぽりと毛布を被り、恐怖を遮断する。


「開けてくれないなら、ドアを壊すしかないんだが。……うん、これは結構頑丈そうだから、思いきり蹴破るようだな。まだ寝ている客を起こしてしまうし、宿に迷惑を掛けることにもなるが……君のせいで」


 ドアを……? 穏やかなキリル様が……まさか。

 冗談とは思えない、その声音に不安になる。

 私のせいで……だけど……だけど……

 毛布の上から耳を塞ぐも、一層低く凄みを増した声が、あっさりと鼓膜に届いてしまう。


「今から三つ数える。それまでに開けるんだ。一……二……」



 三と同時に、私は何かに包まれていた。熱くて好い匂いがして……広い海みたいに心地好い場所。切羽詰まったこんな状況なのに、死んだ細胞の全てがざわざわと喜んでいる場所。心も身体も……大好きだと叫んでいる場所。


「キリル様……」


 どうして彼の腕の中に居るの?

 目の前にあるのは廊下の壁と、さっきまで居た部屋のドアの外側だった。

 混乱しながら見上げれば、私を見下ろすアイスブルーの瞳がそこにあった。


 ……どうして見上げたりしてしまったのだろう。

 そう思った時にはもう遅かった。彼の美しいアイスブルーは、これ以上ない程見開かれ、細められ、次第にぐにゃりと歪んでいく。

 ……当然だ。自分の腕に抱いているものが、こんなにおぞましい死体なのだから。


 振り落とされるだろうか……と、衝撃を覚悟し身構えるが、いつまで経ってもそれはやって来ない。その代わりに、彼の腕から小刻みな振動が伝わってくる。カタカタカタカタ……まるでさっきの自分みたいに。

 ……気持ち悪いの? 怖いの? それとも……後悔しているの? こんな私と愛を囁き合ったことも、唇を重ねてしまったことも。

 けれどアイスブルーの瞳は、歪んだまま哀しげに潤んでいき、そのどれでもないと教えてくれる。

 カタカタ震える薄い唇が開き、掠れた声が漏れた。


「……痛くないのか? こんな……」


 何かを堪え、ぐっと上下する喉仏。キリル様は顔を上げると、私を抱く腕に力を込め、くるりと身体の向きを変える。長い足が繰り出す大波に流され、気付けば隣のキリル様の部屋に居た。


 彼は私を抱いたままベッドに腰掛け、傷みきった頬を熱い手で優しく撫でると、さっきと同じことを問う。


「……痛くないのか?」


 痛く……そう見えるわよね。骨まで見えちゃっているし、目玉も半分飛び出しているし歯も落ちそう。だけど、見た目より全然痛くないのよ。死体だから。


 でも……


 中も外も、痩せ細ったカラカラの喉。その奥の、まだ生きている心から、言葉が溢れる。


「痛くないの……身体は、全然。でも……心が痛い。泣けないのも……辛い」


 途切れ途切れの言葉を全て拾い集め、キリル様は深く頷いてくれる。アイスブルーから熱いものがポタリと落ちて、乾いたり腐ったりと複雑な死体の顔を潤した。


「……僕が泣くよ。君の分まで泣くから」


 あとからあとから溢れる涙は、キリル様の頬を伝い、私の頬へと落ちては深く沁みていく。

 温かい……本当に私の分まで泣いてくれているみたい。

 一滴ごとに楽になり、痛みも強張りも解けていく。柔らかくなった心を、キリル様の優しい言葉がつついた。


「大丈夫……治療が終わったら、本当の姿に戻れるよ」


 違うの……これが本当の姿なの……もういっそ、本当は死体だって言ってしまいたい。でもそうしたら、ジュリが黒魔術を使ったことがバレて、危険に晒されてしまう。



 ────旅の間、ずっと考えていたことがある。ヘリオスの魔力が失くなって、私の見た目が死体に戻った時、キリル様に伝えなければいけない言葉を。


『もし治療が上手くいかなかった場合は、実家に私を置いて帰ってください』


 こんな状態で、ラトビルス領のお屋敷に戻れる訳がない。この顔ではヘリオスにも会えないし、葬式だの埋葬だのと迷惑を掛けるだけだ。ならば当初の予定通り、死んだことにして実家に置いていってもらった方がいい。

 その方が……いいのに。


 キリル様の涙で楽になり過ぎた心は、涙の代わりに、決して伝えてはいけない本音を押し出してしまう。


「もし……治療が上手くいかなくてこのままでも……私を連れて帰ってくださいますか? 貴方や、ヘリオスや……家族の傍で眠りたい。我が儘だって分かってる……でも……傍に居たいの……」


 キリル様は何も答えない。こんな自分勝手なことを言っているのだから、呆れて当然だ。早く訂正しないと困らせてしまう……そう思うのに、どんどん溢れて止まらない。


「家に帰りたい……あの家が……みんなが大好き……だから……置いていかないで。私を一人ぼっちにしないで」



 ……やっぱり何も答えてはくれない。

 居たたまれず目を伏せていると、横抱きから向かい合わせに抱き直され、またパチリと目が合ってしまう。ふうと静かに息を吐いた後で、キリル様はキッパリと言った。


「……当たり前じゃないか。君が何と言おうと、僕は自分の我が儘を通して、一緒に帰るつもりだったよ」


 涙を溢しながら、アイスブルーがくしゃりと垂れる。私の一番好きな……少年みたいな笑顔。


「心も身体も……君は全部僕のものなんだから。この髪の毛の一本だって、誰にも渡したりしない」


 熱い大きな手が、私の白髪を愛しげに掬う。一本一本を慈しむよう繊細に唇を寄せると、キリル様は満足げに髪を離す。そのまま空いた手を私の頬に添えると、気味の悪い顔に覆い被さった。

 ……何事かと考える前に、唇から伝わる激しい熱が、今の状況を教えてくれる。

 信じられない……こんな醜いものに、こんな美しい人が、こんなことをするなんて……


 あっ……!

 ふと口内に異変を感じ、広い胸を押す。慌てる私に、キリル様は唇を離し、「どうした?」と心配そうに覗き込んだ。


 ポロ……ポロリ……

 一個、二個と、辛うじてぶら下がっていた歯が落ちる。

 最悪だわ……こんなタイミングで。これはさすがに引いてしまう。

 だけどキリル様は、一瞬きょとんとするも、すぐに長い指で落ちた歯を拾う。まるで美しい真珠でも扱うみたいに、丁寧に掌に乗せ、微笑みながらこう言った。


「後でジュリに診てもらおう」



 ジュリ……



『ご自分に置き換えて考えてみてください』



 そうね、貴女の言う通りよ、ジュリ。気味悪がられる訳も、引かれる訳もなかったわ。

 腐って髪も目玉も歯も落ちて、酷い腐敗臭の中骨だけになってしまったとしても。彼だってきっと、私の全てを一つ残らず抱き締め、共に土に還りたいと願うでしょうから。



 泣けない目をパチパチと瞬かせていると、思わぬ言葉が鼓膜をくすぐった。


「……これじゃあ喧嘩にならないな」


 喧嘩? と首を傾げる私に、キリル様は悪戯っぽい口調で続ける。


「せっかく君も僕も我が儘を言えたのに。我が儘の方向が同じなんだから、ぶつかりようがない。初めての夫婦喧嘩を楽しみにしていたんだが……ああ、残念だ」


 “夫婦喧嘩”

 結婚した男女にしか……夫と妻にしか出来ない特別な喧嘩。

 こんなに温かく、心ときめく言葉があるかしら。


「私もしたい……いつか、キリル様と夫婦喧嘩をしてみたいです」

「いつでも受けて立つよ。絶対に負けない……と言いたいところだが、僕はとても君には敵わなそうだ」


 キリル様は眉を下げると、前歯がぽっかり空いたガサガサの唇に、もう一度自分を重ねた。




「そういえば……さっきのは魔力ですか?」

「ああ……そうだよ。ドアを蹴破るより、静かだし楽だからね」

「見えないものでも、手に吸い寄せられるんですか? 私達の間には頑丈なドアがあったのに」

「……そういえばそうだね。少し……ほんの少しだけ、魔力が強くなったのかもしれない」



 ◇


 帽子だけでなく、死体には勿体ないくらいの美しいケープを、キリル様は用意してくれていた。

 誰にも見られないように、大きめのフードをすっぽり私に被せると、馬車へ乗り込み王宮を目指す。


 フードの下から私の顔をチラリと見たハーヴェイ様は、「生命の神秘だな」と軽い口調で言っただけ。腐りかけの私を見るのは初めてなのに、特に驚くことも気味悪がることもなく。ポンと頭に手を置き、いつもと変わらぬ、優しく明るい態度で接してくださった。



 馬の調子にも天候にも恵まれ、予定通り、午後一番で王宮に到着した。

 首が痛くなる程高い城壁の中には、それよりもっと高い塔や三角の屋根が沢山そびえ立っている。初めて目にする王宮は、外国の新しい建築を取り入れたキリル様のお屋敷とは違い、長い歴史が醸し出す重厚感が漂っていた。


 キリル様の腕に抱かれ、大きなフードと広い胸に身を隠していた為、幸い誰にも顔を見られることなく王宮内を移動出来た。

 この姿で国王陛下に謁見するのかと不安だったけれど、治療が成功したらで構わないと言われホッとする。案内された部屋でジュリと二人、玉座の間へ向かったキリル様とハーヴェイ様が戻るのを待っていた。


 黒魔術を使い使われた私達が王宮に居る。そしてこの後また、治療の為に黒魔術を使うのかと思うと……

 王宮の荘厳な空気も相まって、大きな緊張感に襲われる。震える私の手を、ジュリはそっと握ってくれた。


「奥様……私には叶えたい未来が……夢があるんです」


 ……夢……

 ジュリの夢……

 素敵な言葉にとくりと心臓が跳ね、「なあに?」と前のめりで尋ねる。


「この間ラトビルス領の街に出た時、素敵なカフェを見つけました。色も形も可愛いスイーツが沢山あって、テラス席がすごく綺麗で。そこで奥様と、二人でお茶を飲みたいです。頂いたお金、まだ残っているので」


 少しはにかみながら言う彼女は、どこから見ても15歳の女の子で。その愛らしさに、ふわりと緊張がほどけていく。


「私も……そこに行きたいわ。ジュリと二人で、お腹が膨れるまで甘いスイーツを食べて、陽の当たるテラスで沢山お喋りして、喉が渇く度にお茶を何杯もお代わりするの。いつまでいるの? って、店員さんが呆れてしまうくらい」


「では……二人の夢ですね。行きましょう、元気になって……絶対に」


 交わされる強い視線に、互いの恐怖が吹っ切れたのを感じる。


「あ、あと他にも行きたい所があるんです! 動く絵を巨大な壁に映し出すお店なんですけど……」



 ◇◇◇


 謁見を終え、案内された塔。その一室で待機する兄弟の前に、手枷と鎖に繋がれた五人の男女が、兵に引かれてやって来た。

 地下牢から出されたばかりのやつれた目が、そこに居る兄弟へと一斉に向けられるも、そのほとんどは状況が呑み込めていない。唯一その中で、一番年長の男だけは、見知った顔にパクパクと口を震わせた。

 何か言いたげなその男の代わりに、ハーヴェイが軽く呼び掛ける。



「久しぶりだな、バラク侯爵」



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 “夫婦喧嘩”  結婚した男女にしか……夫と妻にしか出来ない特別な喧嘩。  こんなに温かく、心ときめく言葉があるかしら。 う〜〜む。。 こういう捉え方もできるんですね。
うわ~、何かあちこちで死亡フラグを建立してるようにしか見えないっ!? いやだ~、これ以上フラグ建立しないで~! と思っていたら、まさかの侯爵登場!?
[良い点] ここまで読ませていただきました。セレーネの治療という、一縷の望みをかけて王宮へと向かう四人。その道中は、賑やかで楽しそうでしたが、セレーネにとっては死体に戻っていく自分の姿と、それを愛する…
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