34 未来を見たい死体です。
◇
「死体なのに、治療するってどういうこと?」
翌朝、メンテナンスの為部屋を訪れたジュリへ、開口一番に尋ねる。
治療についてはジュリに相談し許可をもらっている、詳細は直接彼女に訊くようにと、キリル様に言われたからだ。
ジュリはいつも通り、私の全身に手をかざしながら、その問いに淡々と答える。
「壊死した細胞を生き返らせるという、治療用の最新の魔道具が王宮にあるそうです。話を聞いた限りでは……お坊っちゃまの魔力が凝縮されているようなイメージでしょうか。魔力を吸収しやすいお嬢様の体質なら、良い具合に作用するのではないかと考えました」
「だけど……それは生きている人の、一部だけ死んでしまった細胞を治す治療でしょう? 死体の、全部死んでいる細胞を治療するなんて無理じゃない? それにもし治療出来たとしても、死体を蘇らせたりしたら、黒魔術になってしまうわ」
「大丈夫ですよ。魔道具を使わせていただくだけで、治療は私が行いますから。誰にも死体だと気付かれないように上手くやります」
「危険だわ。万一死体だとバレてしまったら、貴女が罪に問われてしまうじゃない。しかも王宮でなんて……黒魔術は重罪なのよ?」
「……お嬢様」
ジュリは、膝にだらりと置かれていた私の右手を握ると、厳しい顔で言う。
「今のままでは、お嬢様には確実に未来はありません。辺境伯様ともお坊っちゃまとも離れ、たった一人、暗い棺で永遠の眠りに就くだけです」
……覚悟していることなのに。こうして改めて言われると、辛くて心臓が張り裂けそうになる。
「もちろん治療が成功するとは限りません。失敗して、余計に悪化してしまう可能性も。ですが……少しでも未来を見られるなら、試してみませんか? 黒魔術のことは辺境伯様は何もご存知ではありませんし、万一の場合も、皆様には決してご迷惑はお掛けしませんから」
「でも……」
「どうしても治療を受けられないなら、私はお嬢様を棺に納めた後で自白するつもりです」
「……そんな!」
脅しとも取れる言葉を平然と放ち、ジュリはくすりと笑う。
「私達は運命共同体なんですよ。お嬢様の未来は私の未来でもあるのです。ですからどうか……私を少しでも憐れに思われるなら、治療を受けていただけませんか? 私もこの年齢で、牢屋に閉じ込められたくなどないのです」
運命共同体……
その言葉に過るのは、棺から起きた時のこと。私へ手を差し伸べたあの時のジュリは、一体どんな表情をしていたのだろうか。思い出そうとしても、どうしても思い出せず……ずっと気になっていたことを訊く。
「ジュリ……貴女はどうして黒魔術なんか使ったの? 危険なことは分かっていたでしょうに。父や実家の者達が、貴女に無理やり命じたの?」
「いえ。遠縁とはいえ一応親戚ですし、大金をくれると言われてやっただけですよ。私の父が……今、少し不安定なので」
ジュリはそれきり、暗い顔で口をつぐむ。本当は言いたくなかったことなのだろうと、訊いてしまったことを後悔する。けれど少し間を置き、彼女は自ら話を続けてくれた。
「一年間のメンテナンスも、仕事のつもりで割り切って引き受けました。ですが……今は違います。お嬢様がこのお屋敷で幸せに暮らす未来を見たいと、そう思っているのです。……頭より、心で」
頭より……心。
心臓の奥がキュッとなる。
「治療に成功してメンテナンスが必要なくなっても、お嬢様が私をお傍に置いてくださるならの話ですが」
「……当たり前じゃない! もし貴女が嫌でなければ……ずっと傍に居て欲しいわ。私だって、貴女の未来が見たいもの」
私の言葉に、ジュリはホッと顔を緩める。
「でしたら……やはり私達は運命共同体なのです。互いの未来を見る為に、可能性に賭けてみましょう」
力強い口調でそう言うと、ジュリはすっと立ち上がり、クローゼットへ向かう。ここへ嫁いで来た時の小さなボストンバッグを取り出すと、私へ掲げながら、膨らんだ皮をポンと叩いた。
「支度は出来ております。昼食を摂ったら、早速出発致しますよ」
「昼食……って、まさか、今日?」
「はい。死体の状況は予測不可能ですので、急ぎませんと。もちろん辺境伯様と……ハーヴェイ様も付き添ってくださいますから。何もご心配は要りません」
「……ハーヴェイ様まで!?」
腐りかけの死体と……黒魔術を使った医師と……綺麗すぎる兄弟。
状況は深刻なのに、奇妙な四人の旅路を想像すると、何だか可笑しくなってしまう。
「舗装工事が半分完了しているとはいえ、首都までは最低でも四日程は掛かるでしょう。その間……一つだけ、治療の効果を高める為に、お嬢様に約束していただきたいことがございます」
◇
キリル様とヘリオスと私。そしてハーヴェイ様も。
いつもと変わらぬ幸せな食卓を囲み、最後になるかもしれない食事を、一匙一匙ヘリオスの手から味わい、噛み締めていた。
ハーヴェイ様のお話は相変わらず面白くて、ヘリオスと笑顔で耳を傾ける。温かな眼差しに上座を見れば、そこにはキリル様の優しい微笑みが。
また……ここに帰りたい。何の血の繋がりもない私が、この人たちの家族で居られる。そんな奇跡みたいな場所へ。
昼食が終わり旅支度を整えると、私は小さなファブリックが沢山詰まった篭と、大きなふわふわをヘリオスに渡した。
「小人達のお家を飾ってあげてね。ヘリオスの好きな色で自由に。あと……この子のこともお願いね。一人ぼっちにするのは可哀想だから」
「はい! どんな部屋になっているか、楽しみにしていてくださいね。うさぎのことも任せてください。僕はもう赤ちゃんじゃないので、ぬいぐるみがなくても眠れますけど、うさぎが寂しそうなら一緒に寝てあげますから」
「……ありがとう」
誇らしげなえくぼにちょんと触れれば、ヘリオスは少し眉毛を下げながら言う。
「お義母様……帰ってきてくれる?」
……帰りたいわ。だけど、約束は出来ない。
そんな心の葛藤を、ヘリオスが代わりに言葉にしてくれた。
「ほんとはね、絶対に帰ってきてくださいって言おうとしたんです。でも、未来の約束は出来ないのでしょう?」
「……そうね」
「だから、“今” の気持ちだけを言います。僕はお義母様に帰ってきて欲しい。ご病気を治して、元気になって、帰ってきて欲しい」
ああ……この子は本当に……
真っ直ぐな想いに、私も “今” の気持ちを言葉にする。
「私も……帰りたいわ。お家に帰って……ヘリオスに、元気な声でただいまって言いたい」
「本当?」
ぱっと輝く可愛い顔。
可愛くて可愛くて……仕方のない顔。
今も未来も関係ない。ただこの小さな命への愛が溢れ、思わずギュッと抱き締めた。
「……ヘリオス、あなたのことが大好きよ。とってもとっても大好き」
「僕も……お義母様が大好き」
背中に伸ばされたふくふくの腕からは、太陽みたいな生命力が伝わり、私を優しく温めてくれた。
◇
屋敷から出発した二台の馬車。
その一方に、私とキリル様の二人で乗り込んだ。柔らかいクッションが沢山敷かれた椅子に、二人並んで手を繋げば、日だまりみたいな愛しさに満ちていく。
気分は悪くないか、身体は辛くないか。何度もそう尋ねるキリル様に笑顔で答えている内に、舗装工事を行っているあの道へと差し掛かった。
ここへ来るのは、兵器を処理した時以来。……思えばあの時見ていた未来は、とても苦しかった。 “自分” のことを置き去りにして、誰かや何かに今を重ねようとしていたから。
だけど今は、この道の先に “自分” の未来を見て、“自分” と共に進んでいる。そんな贅沢な “自分” に、気持ちが高揚していた。
大木の間に伸びる、整備された一本道。馬車の車輪は、嫁いできた時とは比べ物にならないくらい、滑らかに回り出す。身体がバラバラにならないようにと、気を張っていたあの時とは違い、今は景色を見る余裕もあった。
柔らかく降り注ぐ陽の光。窓硝子越しに空を見上げれば、木の枝が緑の傘を伸ばし、死体には強過ぎる日差しから守ってくれている。嬉しくて窓を少しだけ開ければ、葉の瑞々しい香りが、ふわりと車内へ流れ込んだ。
「……君のお陰で、舗装工事が予定よりもずっと早く進んだんだ」
「私の?」
「ああ。兵器を処理してくれたのはもちろんだけど……カプレスク侯爵夫妻が、あの訪問の後で、工事用の魔道具と作業員を予定よりも多く提供してくれたんだ。君と頻繁に会えるように、工事を早く終わらせて欲しいと。侯爵夫人は、君のことが余程気に入ったんだね」
たった数日過ごしただけなのに、何故そこまで……と考える私に、キリル様は優しい笑みを浮かべる。
「侯爵夫人は、幼い娘を病気で亡くしているんだ。生きていたら、丁度君と同い年くらいのね。夫人も北方の血を引いているし、もしかしたらその娘は、君と雰囲気も似ていたのかもしれないな」
『セレーネ様、舗装工事が終わったら、是非カプレスク領へいらしてくださいね。寂しくて寂しくて……まるで娘の里帰りを待つ気分ですわ』
優しく……どこか哀しげだった侯爵夫人の声が、風音と共に耳に響く。自分も夫人に対し親しみを感じていたのは、幼い頃に亡くした母を重ねていたからなのかもしれないと気付いた。
「……侯爵夫人にお会いしたいです」
「きっと会えるよ。……また会いに行こう」
金髪がそよそよと風になびいては、母の……そして侯爵夫人の手のように、優しく頬を撫でてくれた。
しばらく走ると、キリル様は「おいで」と私を膝に抱き上げる。
「ここから先はまだ工事が終わっていない。身体の負担になるといけないから」
「……はい」
ガタガタと激しく揺れ出す車内も、キリル様の腕の中では、心地好い波みたいで。こんなに幸せでいいのかしらと、広い胸に顔を寄せた。
……昼に食べたばかりだもの。
まだ、大丈夫よね?
チラリと見た窓硝子は明る過ぎて、ぼやけた輪郭しか映してはくれなかった。
◇◇◇
その夜、カプレスク領と隣のルシャ領の境の宿に泊まった一行。
涼しい夜風が吹くテラスで、ハーヴェイは一人、ルシャ領名産のワインを開けていた。ちびちびと傾けていたグラスが空になってしまった所で、漸く覚悟を決めて立ち上がると、聞き慣れたノックの音が響く。
ドアを開ければ、そこに立っていたのはやはり兄だった。
「……少し話がしたいんだが。入っても構わないか?」
「どうぞ。私も丁度、兄上の所へ伺おうと思っていたんです」
向き合う二人。互いの笑みには、よく似た緊張の色が浮かんでいた。




