27 吸い込む死体です。
「奥様は……何の魔力をお持ちなのですか?」
「いえ……魔力は何も」と首を振れば、医師達は顔を見合わせる。
「お身体は大丈夫ですか?」
「はい……何とも」
「あれ程の呪いを吸い込まれたのに、ですか?」
「はい……。あの、辺境伯様のご容態は? 呪いが消えたということですか?」
「はい、すっかり。今はお休みになっているだけです。体力を消耗されていますので、しばらくお目覚めにはならないかもしれませんが。もうお命の危険はございません」
良かった……
力の入らない左足から、へなへなと床に崩れていく。
背後から支えてくれたハーヴェイ様の腕も、まだ震えているように感じた。
「奥様、よろしければお身体を診させていただけませんか? 今は何ともなくても、後々呪いが悪さをする場合もございますので」
身体を……診る? この人達が?
……駄目、駄目よ。 死体だってバレちゃう!
ゾッとし、何がなんでも断ろうと口を開きかけた時、背後から声が飛んできた。
「駄目です!」
振り向けば、ジュリが仁王立ちで……でも、可哀想なくらい顔をひきつらせながら、医師に向かっていた。
「奥様のお身体は、主治医の私が診ます。私が一番良く分かっていますから」
医師達は再度顔を見合わせた後、その中の一人がすっと歩み出てジュリへ言う。
「私は解呪の専門医です。よろしければ診察を手伝わせていただきたいのだが」
「いけません、ご遠慮致します」
断固として断るジュリに、医師達は訝しげな顔をする。
怪しまれてるわよね……どうしよう……
「……辺境伯様の命なのだ」
不穏な空気の中、ハーヴェイ様の声が背中に響く。
「辺境伯様は奥様を溺愛しており、ご自分でお認めになった医師以外が、お身体を診ることを許さない。ましてや男性など……お目覚めになった時に知ったら、どんなにお怒りになるか」
医師達の顔色がサッと変わる。お屋敷に居る時の辺境伯様は、穏やかな主であり、ヘリオスの優しいお父様でいらっしゃるけれど。一歩外に出れば、この領地を統べる権威のある方なのだと改めて思う。
「まずは主治医が診断し、その後で皆さんに報告させていただこう」
にこやかに言い切るハーヴェイ様に、医師達はもう頷くしか出来ない様子だった。
◇
私の身体にかざされるジュリの手が、心なしか震えている気がする。それもそのはず、部屋の隅から、ハーヴェイ様が診察の様子をじっと見つめているからだ。
にこやかな顔に反して、その目だけは獲物を逃さぬ鷹のように鋭い。医師よりも、もしかしたらハーヴェイ様の方が危険だったのでは……と後悔し始めていた。
ジュリはそっと手を下ろし、ハーヴェイ様をチラリと見ながら慎重に言葉を発する。
「……体内に呪いの気は一切残っていません。異常はないかと」
「本当に私が呪いを吸い込んだのかしら……痛くも苦しくもないのに」
死体だから? と出掛かった言葉を咄嗟に呑み込む。
「はい。あの時のご様子からして、確かに吸い込んでいたと思います」
「……セレーネには、本当に何の魔力もないのか?」
不意に投げられたハーヴェイ様の問いに、ジュリの顔が強張る。すうと息を吸い込むと、やや戦闘態勢で口を開いた。
「はい、魔力は一切ございません。ただ……元々特異な体質であった可能性がございます」
「特異? どんな?」
「気や魔力を吸収しやすい体質です。良いものも、悪いものも。幼い頃から病弱だったのは、悪い気や魔力をどこかから吸収してしまい、お身体の不調として表れていたせいかと。お坊っちゃまの良い魔力を積極的に吸収し、体調が劇的に改善されたのもその為かと思われます」
「……では何故、今回は身体に異常がないんだ? 呪いを吸い込んだのに」
「それは……恐らく、悪い魔力に対する耐性が出来ている為と思われます。今回の呪い以上に強力な負の魔力を受けたことがある場合、身体に耐性が出来ていて、影響を受けなくなるのです」
今回の呪い以上に、強力な負の魔力……
思い当たるのは一つしかない。死体を無理やり蘇らせる、禁忌の黒魔術……
「今回の呪い以上? セレーネが、誰かにそんな酷い呪いをかけられていたというのか!?」
突如声を荒らげるハーヴェイ様に、私もジュリもびくっと身体を震わせる。
「それは……分かりません。私がお嬢様の主治医になる前のことだと思われますし。故意に呪いをかけられた訳ではなく、どこかで呪いを拾ってしまった可能性も」
ハーヴェイ様は下を向き、「あの……なら有り得るな」とぼそっと呟く。そして顔を上げると、ジュリへ優しく微笑み掛けた。
「今の話を、他の医師達に報告しても構わないか?」
わざわざ了承を得る所が何とも恐ろしい。
「……はい。どうぞ」
「診察ご苦労様。あとはセレーネと二人きりで話したいから、席を外してくれ」
二人きり……つまりは……尋問?
ジュリと握り合っていた汗だくの手に、どちらからともなく力が込められた。
部屋のドアが閉まると、ハーヴェイ様は先程までジュリが座っていた向かいの椅子に座り、長い足を組んだ。
「……セレーネは、どうして他のお医者さんが怖いんだ?」
知らない人が聞けば、悪戯をした幼子が叱られていると勘違いするだろう。今のハーヴェイ様は、お医者さんよりもずっと怖い。
「あの……怖い訳ではないのですが……以前他のお医者様に診てもらった時に、体調が酷く悪化してしまいまして……それ以来、ジュリだけにと」
「本当に怖くないのか? さっきからずっと青い顔をしているのに」
青い顔……してた?
「ラトビルス領には大きな病院もあるし、海外で最新の医療や高度な治癒魔法を学んだ、優秀な医師も揃っている。君の病気は非常に珍しいから、一度診てもらうのも良いかと思ってね。……左足、さっきまた痛めたんじゃないのか?」
「痛く……はないんです、本当に」
「それがおかしいんだよ。元々弱い足があんな方向に曲がったら、普通は泣き叫ぶ程痛いはずだ」
「あの……変わった病気なんです、本当に。足ももう、どのみち治る見込みはありませんから、お気遣いなく」
「セレーネ」
肩に添えられる熱い手。
空色の瞳には、誠実な光が浮かび上がり、私へと真っ直ぐに注がれる。
「君が何を隠しているのかは知らないけど、何かを恐れて隠しているなら、本当のことを教えて欲しい。僕は、必ず君を守るよ」
「ハーヴェイ様……」
私は肩から彼の手を取り、握手をするみたいにギュッと握った。
「お答えする前に、私の質問に答えていただけますか?」
空色が一瞬揺らいだ気がするも、軽やかに促される。
「……いいよ。何でも訊いて」
「私には、何が視えていますか? “よい” ですか? それとも “よくない” ですか?」
ハーヴェイ様は顎に手を当てると、「うーん」と唸りながら、私へ鋭い視線を向ける。
「セレーネには……」
ぐっと身構えるも、返ってきたのは意外な答えだった。
「何も視えないよ」
「何も?」
「ああ。“よい” も “よくない” も、何も。ジュリの診察を信じるなら、君の特異体質のせいかもしれないな。僕の “視る” 魔力は、相手に何か影響を及ぼす訳ではないから。君に向けるとただ吸い込まれて、跳ね返ることなく消されてしまうのだろう。だから、何も視えない」
「そう……ですか」
「視られたら困るの?」
ホッと撫で下ろしていた胸を、慌てて引き 締め答える。
「いえ、 “よくない” のか気になっていただけです。……私は病気ですので、今後が気になって」
「そうか」と拍子抜けする程軽い返事に、私はもう一歩踏み込んでみる。
「今日、辺境伯様は絶対に死なない、大丈夫だと……何度もそう仰っていましたよね? ハーヴェイ様には、辺境伯様が善くなることがお分かりになったのですか?」
「……ああ。善くなるというよりも」
ハーヴェイ様は、重い呼吸に次の言葉を乗せた。
「僕には、 “よい” と “よくない” のオーラだけでなく、人の寿命も視えるんだ」
「寿命……」
背筋がゾッとする。
「16歳の時、熱病で生死を彷徨って以来、魔力が強くなり過ぎて、寿命まで視えるようになってしまった」
……聞いたことがある。病気や事故で一度生死を彷徨った者は、稀に眠っていた魔力が目覚めたり、それまで持っていた魔力が強まることがあると。
「誰も彼も、顔を見るだけで、いつ死んでしまうかがはっきり視える。怖くて怖くて、未だに誰にも言っていない。兄上は長生きすると分かっていたけど……それでも今日は、このまま死んでしまうんじゃないかと思った。魔力で視ているものよりも、この目で見ているものの方が正しいんじゃないかと……すごく怖かったよ」
ハーヴェイ様の身体は震え出し、顔が苦しげに歪む。
「君が兄上の命を救ってくれるとは……やはりこの結婚は、 “よい” で間違いなかったな。本当にありがとう」
私の頭に伸ばされた手は、震えが止まらないのか、途中でパタリと落ちた。
「……アイネは僕の貴族学院時代の友人で。屋敷に招待した時に、兄上と出逢って恋仲になったんだ。彼女の短い寿命は視えていたけれど……ずっと言えないまま、とうとう二人は結婚してしまった。視えていた通りに彼女が亡くなってからは、もう永遠に言えなくなってしまった。寿命が分かっていたら助けられたかもしれないのに、何故言わなかったと責められるのが怖くて。苦しむ兄上を見続けることが、自分への罰なのだと思った」
一気に吐露される苦しみに、何も言葉が見つからない。
「君はいいな。寿命も、何も視えないから。……すごく楽だ」
…………楽…………
気付けば、震える胸に抱き寄せられられていた。彼の冷たい身体は、まるでちっぽけな私に縋りついているようで。
彼にもお坊っちゃまの熱を分け与えなければと、広い背中を擦れば擦る程、自分の心は急速に冷えていく。
……もし私が、魔力を吸い込まない “視える” 死体だとしたら。ハーヴェイ様の目に、寿命はどんな風に映ったのだろう。空っぽの砂時計? それとも、干上がって底がひび割れた湖?
「私は羨ましいです。たとえあと一日でも……数時間でも数分でも。寿命が、未来があることが羨ましい」
ハーヴェイ様は腕を緩め、神妙な面持ちで私を見下ろす。
「……どういう意味だ?」
漏れてしまった言葉はもう戻せない。
本当のことを言ったら、私も楽になれるのだろうか。……楽になりたい。
「私は……本当は……」
◇◇◇
『キリル様』
『……アイネ! どうして……どうしてここに?』
『ふふっ、私があんな暗い土の中で、大人しくしている訳ないでしょう? 世界中、好きな所を自由に旅してきたのよ。透明な鳥になって、海の向こうや空の天辺まで ……ああ、楽しかった!』
『そうか……ふっ……そうだよな。君が大人しく眠っている訳がない』
『何を見たか色々教えてあげたいけれど、それは秘密ね。いつか、自分の目で見た方が絶対に素敵だもの。貴方が見られるのはまだまだ、ずっと先のお楽しみですからね』
『……そうなのか』
『今はね、お屋敷に戻って来て、ヘリオスと一緒にお家を作っているの』
『家?』
『ええ、可愛い小人のお家。女の子らしい刺繍は苦手だけど、工作は大得意ですから。楽しみにしていてくださいね』
『刺繍……』
『ねえ、キリル様。貴方は今夜、大切な約束をしていたでしょう? 呑気に寝ている場合ではありませんよ』
『約束……約束。そうだ……今夜、セレーネと一緒に星を……』
『 “約束は自由を奪うだけではありませんよ。大切な人の安全を守ったり、居場所を保障したり。私は、約束が羨ましいくらいです” 』
『アイネ、何を言っているんだ?』
『……大切にしてね。星を求めて飛び立ってしまわないように。鳥にはなれなくても、貴方の傍でだけ見られる、特別な星を約束してあげて』
◇
涙に揺らぐそこに、眩しいアイネの姿はなかった。
窮屈で薄暗い天井に、キリルの胸は押し潰されそうになる。
……僕も、早く自由になりたいよ。
顔を覆えば、暗い視界に優しい月が浮かび、美しい星が瞬き出した。
「セレーネ……」




