2 食事が苦痛な死体です。
…………息子…………
嫁ぐまでのメンテナンスに必死で忘れていた。
ええと、辺境伯様には、前の奥様がお産みになった、確か……7歳になるというお坊っちゃまがいる。
私、死体のくせに、法律上は “義理の母” にもなるんだったわ。
子供は敏感だから、“普通” ではない私の身体のことを、感じ取ってしまうかもしれない。もし父親と再婚したのが死体で、死体が義母になったなんて知ったら……一生モノのトラウマを植え付けてしまいかねない。
うん、絶対に接触しない方がいいに決まってる。
「はいっ!!」
……思わず叫んでしまった。辺境伯様は再び咳払いをすると、冷静に言った。
「まあ……貴女の制限区域と息子の居住スペースは、屋敷の端と端に位置しますので。基本的に貴女が部屋から出られない限りは問題ないでしょう。息子にも注意しておきます」
「はい、是非そうなさってください。非常に危険ですので」
「……危険?」
アイスブルーの瞳が訝しげに細められ、その眉間にくっきりと皺が寄る。
あ……生きているんだわ、この人。
初めて表情らしきものを目にし、何だかほっとする。
「あの……危険と申しますのは……私はこんな見た目ですので。繊細なお年頃のお坊っちゃまにとっては、お心の傷にもなりかねません」
「……ああ」
辺境伯様はそれ以上何も言わなかった。……何も言えないのだろう。その瞳は泳いだり伏せられることなく、気味の悪い私を真っ直ぐに見つめてくださる。
もしかしたらこの人は、とても優しい人なのかもしれない。そう思った。
◇
うう……よりによってすごいご馳走……
部屋のテーブルにずらりと並べられた夕食に、目が回りそうになる。
どうせなら生きている時に食べたかったわ。そうすればもっと体力もついて、病にも打ち勝てたかもしれないのに。母が亡くなり父の元へ引き取られてから、一日三食をまともに食べられたことがない。5歳から17歳までの人生は、いつもお腹が空いていた。
夢にまで見たご馳走が目の前にあるのに……好きなだけ食べていいのに……身体が受け付けないなんて残酷ね。
ため息を吐くと、柔らかそうなパンをほんの少し千切り、ゆっくりと咀嚼する。あとは牛肉入りのスープの上澄みを、ほんの一匙だけ喉に流し込むと、そっとスプーンを置いた。
ほとんど手つかずの夕食を下げる給仕。それと入れ替わりに、ジュリが部屋にやって来た。
「ジュリ、体調は大丈夫なの? 食事は摂れた?」
私の問いに、「はい」と答える顔はまだ青白いけど……
「メンテナンスをさせていただきます」
『お役目』を忘れないのはさすがだ。
ジュリに手をかざされると、身体のあちこちが軋み出す。止まったはずの心臓が動き、流れないはずの血が身体を巡れば、腐った肉も緩んだ関節もシャキッと整った。
……こうして毎日ジュリの黒魔術を受けなくては、私は身体を維持することが出来ない。
「夕食の量がすごくて。なんとかスープとパンを一口ずつ食べたのだけど」
「そのくらいでしたら、明日の朝には外へ排出されるでしょう。食事の量については、私から料理長に申し伝えますので」
「ありがとう」
「隣の部屋におりますので、何か異変があればすぐにお呼びください。では、おやすみなさいませ」
頭を下げ、部屋を出て行こうとするジュリ。「あっ!」という私の叫び声に、ゆっくり振り向いた。
「……どうされましたか?」
「歯が取れちゃったわ。治せる?」
にこりと微笑んだ口から、前歯が一本ポロリと落ちた。
◇◇◇
「17歳か……」
辺境伯邸の家令は、主人のその呟きに全てを理解し、遠慮がちに言葉を発する。
「こんなことを申し上げたら大変失礼ですが……とてもそのお歳には見えませんでした」
年頃の若い娘を愛らしく見せるはずの薄桃色のドレスが、全く似合っていなかった侯爵令嬢。そのドレスの膨らみでは隠しきれない程、痩せた身体が痛々しかった。
結い上げた髪は老婆のように真っ白で艶がなく、その顔も病的に白い。薄茶の瞳は、輝きがないばかりか斑に濁り……まるで死んだ魚の目を思わせた。
「見た目の割に、話した感じは元気そうだったが。一体何の病気なんだ?」
「それが原因不明の病だそうで……ご実家からお連れになったあのジュリという侍女は、治癒魔法を使える医師でもあるそうです。他の医師では病状が悪化する恐れがある為、セレーネ様の治療は、必ずこの侍女に任せて欲しいと」
「……使用人から何か報告は?」
「はい。給仕の話では、夕食にほとんど手をお付けにならなかったとか。その後で、食事は一日に一回、スープとパンのみにして欲しいと、ジュリを通して料理長へお伝えになられたそうです」
「あんなに痩せているのに、一日一食だと? 食べないから痩せるのではないのか?」
「逆なのだそうです。食べると病状が悪化されると」
「……変わった病だな」
「左様でございますね」
「セレーネ嬢の魔力は?」
「魔石には一切反応がありませんでした。バラク侯爵の報告通り、魔力なしの為特に害はないかと。……お役に立つこともないと思いますが」
キリルは契約書類を見ながら、ぽつりと呟いた。
「構わない。一年間の契約が終わるまで、この屋敷で大人しく過ごしてくれさえすれば」
「はい。ヘリオス様という立派なご子息もいらっしゃいますし。新しい奥様がご病気であられても、問題はございませんでしょう」
その言葉に、みるみる影を帯びる主人の顔。家令が自分の失言に気付いた時にはもう遅かった。
「……彼女が病気であろうとなかろうと、既に跡継ぎがいようといまいと、私は今後、誰とも床を共にするつもりはない。私の妻は、生涯亡くなったアイネ、ただ一人だ」