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第三十九話 忘れられた教皇

 ハンガリー王国との講和を成し遂げたオレはここで天然痘の種痘に関する情報の販売に踏み切った。

 ヘレナの輿入れの祝い替わりに、コンスタンティノポリスに既に情報を提供していたからだ。

 遠くない将来の情報の漏洩が避けられぬなら、今が商売の売り時というやつだった。

 取引の窓口にはヴェネツィアのジョバンニがあたっているので、呆れるほどの巨利を上げてくれるだろう。

 同じくジェノバのアントニオにはコレラの治療法の販売を委託していた。

 十九世紀末に日本を含め世界的に大流行したコレラだが、意外にもその歴史は古く紀元前三世紀には既に歴史書にその名が記されている。

 コレラの治療法は単純である。コレラの死因は大量の下痢と嘔吐による水分と電解質の減少からくる脱水症状なのだから、それを補ってやればよいのだ。

 具体的に言えば、経口補水塩のように水にデンプン(ブドウ糖)と塩を溶かしただけのもので十分だった。

 これを常時補給させてやるだけで、ある程度の患者は死を免れることが出来る。

 早くも医聖などという声が上がり始めているらしいが、現代人のオレにはこそばゆい名前だと思わざるをえない。

 その知識を得るためにさしたる苦労をしたわけではないからだ。

「それにしてもいったいどうやってそんなことを知りえたのだ?我が夫よ」

「夢で見たのさ」

 ヘレナのマリンブルーの瞳が、湖水のような静謐な色を湛えて興味深そうにオレを見つめるが真実を話すつもりはない。

 どうせ信じてもらえぬに決まっているからだが……どうやら未来から来ただけの平凡な歴史オタクだとヘレナに知られたくないという妙な気持ちもあるらしい。

 我ながら度し難いものだ。

「こんなに美しい妻に隠し事とはけしからぬな? 我が夫よ」

「美しい妻かは知らんが、可愛い婚約者なら目の前にいるな」

「うにゅっ……その可愛い婚約者はおかんむりであるぞ?」

「では、ご機嫌をとるとしようか」

 ふにゃりと顔を緩ませてヘレナが膝の上にとび乗ってくる。

 このところヘレナは、膝のうえに抱かれて俺とキスを交わすのがひどくお気に入りだ。

 こうなってしまうとくすぐったそうに微笑んで蕩けたようにすぐご機嫌になってしまう。

 ちょろすぎない?

 いやいや、俺は気に入ってないよ? 柔らかくて暖かい体温とか、生得の甘い香りとか別に気になったりしてないですよ? 本当ですYO!



 レマン湖の北にひときわ高く聳え立つ聖堂がその威容を誇示していた。

 ゴシック建築の傑作とされるこのノートルダム大聖堂はフランスのそれには及ばないが、世界遺産にも指定された文化遺産であり、現代においても世界一高いパイプオルガンや貴重なステンドグラスを所有することで、スイスの観光名所として親しまれている。

 しかし1449年を迎えたこの時期、ローザンヌの中心に位置するノートルダム大聖堂は特殊な政治的地位を所有していた。

 すなわち、そこは対立教皇フェリクス5世が君臨していたからである。

 この時代の混沌とした教会の権力争いは複雑怪奇だが、ことの始まりはアヴィニョン捕囚によってローマからフランス王国のアヴィニョンに移動されていた教皇庁を1377年グレゴリウス11世がローマに再び帰還させたことである。

 ここで既成事実がなし崩しに認められれば問題はなかったのだろうがグレゴリウス11世は翌年に逝去。

 次代の教皇にはウルバヌス6世が選出されたのだが、フランス国王の意向を受けたフランス枢機卿たちがこれに反発。

 そしてクレメンス7世が独自に選出され、ここに教会はアヴィニョンとローマに分裂した。

 さらに1409年、この分裂状態を回避しようとピサ教会会議が催されるが両者を統合するために選出されたアレクサンデル5世を両教会が認めなかったために、3人の教皇が並び立つという前代未聞の事態が現出した。

 この分裂は1417年、マルティヌス5世が選出されたことでようやく終わりを告げるのだが、1431年からローマ帝国の正教会との合併をめぐって開催されたバーゼル公会議において再び教会は会議派と教会派に分裂する。

 1437年教皇派が会議のフェラーラ移転を決めると、会議派は教皇の廃位を決定、独自にサヴォイア公爵アマデウスを教皇として擁立する。

 これが最後の対立教皇とよばれるフェリクス5世である。

 最終的に会議派は1449年に解散し、フェリクス5世自身も1449年4月7日に退位においこまれることとなるが、サヴォイア家の当主でもあるフェリクス5世は同時に優秀な世俗君主であり、後にイタリアを統一するサヴォイア家の基礎は彼によって築かれたと言われている。

「公自身が足を運ばれるとは意外でしたな」

 教皇というにはいささか質素な僧服に身を包んだフェリクスは、面白そうに目の前の人物を見つめた。

「聖下にお会いできるならば、このフニャディ・ヤーノシュいくらでも犬馬の労を厭いませぬ」

 フェリクスの前で恭しく跪いてみせたのは、誰あろうハンガリー王国宰相フニャディ・ヤーノシュであった。

「もう誰も見向きもしなくなった零落の教皇に、ヤーノシュ殿ともあろうお方が何の御用でしょうかな?」

 フェリクスはすでに規定路線となったバーゼル公会議の解散と、自らの退位を前にヤーノシュが来訪した理由を捉えかねていた。

 ハンガリー王国とは国境を接しているわけでもないし、まさか優秀な政治家でもあるヤーノシュが今さら会議派に肩入れする理由もないはずであった。

 サヴォイア公国の主として、キリスト教圏の大国ハンガリーと修好するのに否やはないが、余計な争いには巻き込まれたくないというのが本音であった。

「――――このままご退位あそばしてよろしいので?」

「諸侯の支持を失ったこの身には詮無いことです」

 すでにバーゼル公会議など名ばかりに形骸化して久しい。

 もともと教皇の巨大な権限を掣肘するために、諸侯の干渉が容易な会議形式が支持されていただけで、忠誠を抱くようなものは誰もいなかった。

 世の流れがローマの教皇に傾いている以上、彼らが離反していくのを止められる道理がなかった。

 それはいかにヤーノシュが卓越した国際政治家であったとしても変えることはできまい。

「聖下は公会議の教皇であるばかりでなく、サヴォイア公国に責任のある御方。このまま手土産もなくローマに吸収されてはサヴォイア公国の立場もいかがなものか、と」

 これは確かに事実である。

 フェリクスもしばらくの間サヴォイア公国が冷や飯を食わされることを自覚していた。

 あるいは孫の代になれば、どうにか国際政治の表舞台に立てるか、というところであるが、下手に反抗すれば公国自体が滅亡する可能性がある以上どうすることもできなかったのだ。

「我がハンガリー王国はローマに伝手もあります。聖下の同意さえいただければローマとの仲介もいくばくかの経済援助も惜しむつもりはありません」

「ふむ、興味深い提案ですな……しかしそれほどのことをして、公は私に何をお望みかな?」

 そう、フニャディ・ヤーノシュといえばヴァルナの戦いで奮戦したキリスト教国家のなかでも異教徒との最前線に立つ英雄とされている。

 そのためかローマ教皇庁にも彼を支持する枢機卿は多く、教皇ニコラウス5世の信頼も厚いと聞くが……どう考えてもわざわざ自分に頼らなくてはならない理由が見つからない。

「私が聖下に望むのは――――――」

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― 新着の感想 ―
[一言] オスマンが後ろで操ってるんか、ってくらい イスラム有利な流れですね
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