・4-9 第122話 「人選」
・4-9 第122話 「人選」
牢獄に押し込まれてしまってから、おそらく数時間が経過しようとしていた。
実際にとの程度の時間が過ぎて行ったのかは、わからない。
時計などという便利な道具はこの場にはなかったし、日差しが差し込まないようになっている地下牢からは太陽の位置がわからないため、時間を推測することさえできない。
ただ、どうやら正午ごろになったらしいというのはわかった。
「食事だ。残さず食ってくれ」
空腹を覚え始めていたころ、トパスの手下の一人である犬頭の獣人、ラウルがそう言いながら、三人分の食事を持ってきたからだ。
悪党どもが囚人に与える食事と言えば、粗悪なものと決まっている。
腐りかけた食材を下手な調理で仕上げた、悪臭がしてまったく食欲がわかないおどろおどろしい外観の[豚のエサ]という奴だ。
そんな想像をしていたのだが、━━━意外なことに、出てきた食事はまともだった。
もちろん、一行がパテラスノープルに到着する以前に宿屋で宿泊し、お金を払って食事をした時の料理とは比べるべくもないものだ。
だが、ちゃんと新鮮な材料が使われている様子で変な臭いは少しもしなかったし、見た目も、調理のしかたにある程度は心得がある人間が作ったらしくきれいだった。
汁気の多いリゾットに近い。
野菜や根菜類、それに豆類が加えられ、麦の実と一緒に煮込んである。
もっと酷いものを食べさせられると思っていた源九郎たちは互いに不審そうに顔を見合わせていたが、渡された木製のスプーンで口に運んでみると、普通に食べられる味だった。
「安心しろ、変なものは食わせないさ。……うちは、ちゃんと儲かっているからな」
あからさまに疑っていたのに問題ないとわかって黙々と食事を開始した一行に向かって、ラウルは少し得意そうな口調で言う。
━━━そのまま去っていくのかと思えば、違っていた。
彼は壁に拠りかかったまま一行が食事を済ませるまで待ち、全員が空腹を忘れるとまた口を開いた。
どうやら連絡事項があるらしい。
「今後の予定について、ボスと話し合って来た。……そこの猫人の話を聞くと、贋金の出所はケストバレーであると、まず疑うべきだ。だから、現地まで調査に行く。そこで贋金づくりの実態をつかみ、その証拠と、製造方法を持ち帰る」
「持ち帰った後は、どうするんだよ? 」
「当局に知らせて、製造元は叩き潰してもらう。……後は、説明しなくてもいいだろう? 」
ベッドの縁に腰かけ、左足をあぐらの形に、右足は床に向かってだらんと伸ばしている姿勢の源九郎にたずねられると、ラウルはニヒルな笑みを浮かべて肩をすくめてみせた。
巧妙な偽プリーム金貨の製造元を発見し、その証拠と製造方法をつかんだら、公権力を利用して元々の製造者は一掃してしまう。
そしてその後は、自分たちだけが贋金づくりのノウハウを独占し、暴利を貪る。
もしケストバレーで贋金が作られているのだとしたら、元々そこで金貨を製造したのに、どうしてわざわざ手間暇をかけ、罪に問われるリスクを負って贋金など作るのかという疑問が湧いて来る。
しかし、元々金貨を鋳造することを許されていないトパスたちのような悪党が贋金を作るというのは、実に[らしい]話だった。
「悪者……」
悪辣な企みを耳にしたフィーナが、三白眼でラウルのことをねめつけながら小さな声で呟く。
その視線に気づいた獣人はちらりと彼女に視線を向けると、ほんの少し間を開けてから視線をサムライの方へと戻した。
なにかを言い返そうかと一瞬だけ思ったが、やめた、といった様子だ。
「ケストバレーへの調査には、タチバナ、お前も同行してもらう。戦力になりそうだからな」
「……拒否権は? 」
「ない」
心底嫌そうなうんざりした態度で源九郎が一応確認してみると、案の定、即答される。
それから犬頭は牢屋の隅で縮こまり、できるだけ存在感を消そうと試みていたマオを振り返った。
「それから、マオ、とか言ったな? お前も一緒に来い」
「ひ、ひぃっ! な、なんでミーも連れて行くんですかにゃっ!? み、ミーは、全然、戦いではお役に立てませんにゃーっ! 」
「もちろん、道案内のためだ」
ケストバレーに調査に向かう旅に参加させられるだろうということは予想できていたはずだったが、往生際悪く懇願してくる猫人の商人に、ラウルは冷たく言い放つ。
するとマオはシュバッと勢いよく鉄格子に駆けより、両手で冷たい鉄の棒をつかんで顔を格子の間に突っ込みながら叫ぶ。
「み、ミーが知っていることならもう、全部! 全部お話ししましたにゃっ! ミーを連れて行っても、これ以上わかることなんてありませんにゃーっ! 」
「チッ、騒がしい奴だ」
必死のうったえかけにうざったそうに舌打ちをした犬頭はゆったりとした動きで猫人の眼前にまで向かうと、しゃがみこみ、彼の口元から左右に伸びた髭をむんずとつかんで引っ張った。
猫の髭は敏感だというが、猫人のものも敏感なのだろう。
たまらず、悲鳴があがる。
「あだだだだっ、な、なにをするんですかにゃーっ! 」
「知っているか、お前。オレたち犬人族には、昔っから言い伝えられていることがあるんだ」
「ひぎぎぎぎ、そ、それは、なんですかにゃー? 」
「それはな、[猫人の言うことは絶対に信用するな]、だ! 」
そこまで言うとラウルはつかんでいたマオの髭を急に手放した。
ようやく解放されたマオは急いで牢獄の奥に後ずさっていく。
その姿を見つめる犬頭の視線は、━━━冷たい。
「お前たち猫人は、昔から方々を旅してまわっている種族だ。一つのところに留まって辛抱強く物事に取り組む忍耐力もない、誰かに誠実に尽くすこともない、根無し草さ。だからお前にはついて来てもらう。本当に嘘はついていなかったのだと、現地で証明してもらわないとな。それくらいしないと、お前たちのことは信用できない」
ラウルは尋問で手荒なことはしないと言っていたし、実際、そうしなかった。
あくまで脅しているだけだと、そう言っていた。
しかし、彼は猫人を嫌っている様子だった。
その言葉は氷で作られたナイフのように怜悧で、嫌悪感を隠そうともしていない。
脅しのためだけの言葉、というわけではなさそうだった。
「もし嘘をついていたとわかったら、オレがこの手でお前を始末してやる」
ラウルは冷酷な声でそう告げる。
どうやら本気の様子だった。
「う、ぅぅぅぅぅ……っ」
マオは恐怖と絶望感に打ちひしがれ、涙をこぼしながらうめき声を漏らした。
「あの」
その時、フィーナがおそるおそる、挙手をして問いかける。
「おらは、どうなるんだっぺか? 」
するとラウルは彼女の方を振り返り、ニヤリ、と犬歯を見せつけるようにしながら不敵に笑ってみせた。
「小娘、お前はここに残ってもらう。━━━人質さ」




