ダンケルハイト、思い出す(闇の竜王、スローライフをする。コミック2巻発売記念短編)
こんな雨の日に幼いころのことを思い出すのだから『やきが回った』と言ってしまってもいいだろう。
赤ん坊というのは本当に未知の生物で、そのころからずいぶん乱暴だったダンケルハイトにとっては、非常に面倒な生き物だった。
『同じ種族だから』という理由で世話することになったものの、赤ん坊は道理が通じない。強い者にも、年長者にも、従わない。平気でうんこ漏らす。泣く。わめく。
しかもそれが十五人。死ぬ。
ダンケルハイトだけが世話をしていたなら冗談抜きで何人か死んでいたような気がするのだが、幸いなことにダンケルハイトには『闇の竜王』という親がいて、その手足である竜骨兵さんがいらした。
竜骨兵さんは歌ったり踊ったりして赤ん坊の気をひいてくれる。おしめを替えたりもまあまあしてくれる。
闇の竜王はよく笑う。赤ん坊が寝ていても笑うのでたまに起こしてしまうこともあって、そういう時はさすがのダンケルハイトも、闇の竜王をにらんだりした。
そうやって赤ん坊の時間がすぎていくとだんだんと弟たちもものの道理がわかるようになってくる。
ようするに力の強い者にへつらうことを覚え、言うことを聞くようになったのだ。
ダンケルハイトにとって居心地のいい時間がここから始まる。
今までの借りとばかりに弟たちに雑用を申し付け、世話をさせ、気分はまるで王様だった。いや、王様の暮らしとかは知らないのだけれど。
闇の竜王はなにも言わない。あの大きな骨のお方は放任主義だった。
……まあ、今から思えばそれは、あのお方も戸惑っていたのだろうと、そう思う。
なにせ当時は本当に小さくて、本当に弱かった。闇の竜王のあの大きな骨の手では、ちょっとなでられただけで死んでしまうぐらい、弱かった。
時は流れる。
わちゃわちゃしていただけの幼児期が終わり、ダンケルハイトはすらりとした少女に成長した。
このころになると世界では戦争とかいうのが続いていることがわかってきて、その戦争のせいでどうやら自分たちは捨てられていて、闇の竜王が拾ってくれなかったら、なにもわからないまま死んでいったんだろうなということがわかってくる。
「……お前たち、あたしらが闇の竜王様のためにできることは、なんだと思う?」
「わかんない」「あしたかんがえるよ」「ねえちゃん、おなかへった」「りゅうこつへいさん、うたってる」「ああ、やみが、やみがせまってくるよ……」「うでずもうしようぜ!」
「そう、あたしらは……闇の竜王様に忠誠を尽くす必要があるんだ」
「ちゅうせー?」「ちゅーせーってなんだー?」「おれ、ばかだからわかんねぇけどよぉ……ばかだから、わかんねぇや」
「忠誠というのは、誠心誠意仕えてお役に立つってことだ。そう、こないだ読み聞かせてもらった『騎士と姫の物語』みたいな感じだ」
この当時のダンケルハイトは『忠誠』というのがクールな感じで格好いいと思っていたものだから、自分たちを物語の騎士のようなものにしたかった。
言ってしまえばごっこ遊びなわけで、真剣ではあったけれど、そこまでの真剣さとは、思い返せば言えなかったような気がする。
けれど、これが意外に、ダンケルハイトたちの生涯の生き方を決めてしまう決断となってしまった。
「クックック……ハッハッハ……ハァーハッハッハッハ!」
話を聞いていた闇の竜王はいつものごとく笑う。
その骨の玉体からは闇が天に向けて吹き上がり、まだ夕暮れ時だったあたりを夜のように染めていく。
「……ふむ。なるほど、貴様らは『騎士』のようになりたいと、そう言うのか」
闇の竜王はなにかに悩んでいるようだった。
けれどダンケルハイトには、このお方がなにを考え、なにを悩んでいるのかが全然わからない。
視点が違う、知識が違う、認識が違う。
そして、生物として、違いすぎた。
お互いに。
「……であれば、この俺に貴様らを止める資格もなし。なぜならばこの俺こそが闇の竜王。貴様らお子様どもの将来は闇に満ちており、俺はその可能性すべてを肯定する……ここまで世話した者として、貴様らの願望が叶うよう、道筋を示してやろう!」
こうして、『騎士になるための活動』が始まった。
ダンケルハイトはじめダークエルフたちは闇の竜王じきじきの訓練を受けることになる。
とはいえ実際に訓練を担当したのは竜骨兵ではあったが、この竜骨兵というのは闇の竜王の分体である。ゆるかわフォルムに騙されると痛い目を見ることになるほど、強い。
そして闇の竜王の教育はかなり激しかった。
この当時のかの竜王はまだ『人』に対する理解がかなり浅かったのだ。
ダンケルハイトたちは毎日限界まで『騎士』になれるように訓練を受け続けた。
そして不幸か幸いか、その訓練をくぐり抜けることができる才能があった。
ダークエルフたちはめきめきと強くなった。強くなって、騎士になろうと誓い合った。
しかし、彼女たちはいわゆる『物語に出てくるような騎士』にはなれなかった。
武勇はあったが、仕える主を持てなかったのだ。
……人魔戦争、とのちに言われるこの戦乱期。
人と魔がわかれて争っており、ダークエルフというのは、人側の『エルフ』と魔側の『デーモン』のハーフであった。
つまり、両方から敵視される人種だったのだ。
闇の竜王がその存在をあきらかにしてゴリ押せばどこかに仕官も可能だったかもしれないが、かの竜王はそういうことはしない。
そこにはダンケルハイトたちには想像も及ばない深謀遠慮があったのかもしれなかったし、あるいは……
この当時は想像さえしなかったけれど、かの竜王は、人との付き合い方を決めあぐねいて、下手にかかわることを恐れていたのかもしれなかった。
「そもそもさあ、あたしたちは闇の竜王様に恩返しをし、忠誠を示そうっていう感じだろ!? だったら他の主なんかいらねぇよなぁ!」
すっかり体が出来上がって自分より大きくなった弟たちに向けて、そう叫んだ。
否定する者は一人もおらず、みんなで「そうだそうだ!」と叫んで、笑って、指笛を吹いて、踊った。
……それは必ずしも『みんなが心の底からそう思っていた』というだけではなく、もしかすれば、かの竜王が『ダークエルフたちを仕官させられなかったこと』をことのほか悲しんでいる様子を察して……
『かの竜王に仕えられることこそ喜びで、自分たちにはそれ以外に望みはない』という態度をとってみせたというのも、あったのかもしれない。
ようするに、空気を読んだのだ。
相変わらずかの竜王の骨の面相からは表情をうかがえない。
かの竜王はよく笑うし、竜骨兵たちも楽しい気持ちをあらわすように歌い、踊る。
……それでもダンケルハイトたちには、なんとなく、かの竜王から滲み出る『やるせなさ』みたいなものを読み取ることができた。
付き合いが、深いから。
ダンケルハイトたちは親を知らなかったけれど、自分たちが闇の竜王に抱く気持ちは、子が親に抱くような気持ちだったのだと、そう思えたのかもしれない。
まあ、存在としての格が違いすぎるし、『なんとなくそうかもなあ』程度の感想でしかなかったから、けっきょく最後まで、かの存在を『父』だの『母』だの呼んだことは、なかったけれど。
……そうしてダークエルフたちは、本格的に戦争に携わることになった。
最初は……
最初はそうだ。ある雨の日だったか。
体に絡みつくような重苦しい雨が絶え間なく降り続いて、分厚い黒雲が空をすっかり閉ざしていた。
ダンケルハイトたちは闇の竜王の玉体を屋根として雨をしのいでいたけれど、そんな折、愚かにもかの竜王に挑みかかる者がいた。
ダンケルハイトたちは闇の竜王に忠誠を誓う者として当たり前の対応をした。
すなわち、襲撃者を返り討ちにしたのである。
襲撃者はおどろくほど弱かったし、そんなに弱くてどうして竜王という存在に挑みかかろうと思ったのか、理解に苦しんだ。
ダンケルハイトたちは自分たちの強さが誰かに通じたことを嬉しく感じたし、この力こそ自分たちが振るえる『竜王のための刃』であることを確信し……
そこに、生きる意味を見出した。
……生きる意味を、求めていたのだ。
今から思えば本当に青臭いことだった。
ただ鍛えて、ただ暮らして、その存在を誰に知られるでもなく、ただ生きて、ただ死ぬ━━そういう人生はつまらないと思った。つまらない人生を嫌だと思うぐらい、当時のダンケルハイトたちは若かった。
「こいつは『人』だ。だから、あたしたちは、『魔』として戦おう」
最初の敵が偶然にも人だったから、そうすることにした。
その程度の理由での決定だった。
闇の竜王は、その決定に「そうか」と述べる。
たったそれだけが、かの存在がダンケルハイトたちに示した反応のすべてだった。
……あとはもう、力任せの営業活動だ。
人を狩った。狩った。狩った。
すると『魔』とみなされるようになり、『魔』が接触してきた。
偉そうなやつは蹴り飛ばした。腰が低いやつは威嚇して脅した。
ダンケルハイトたちには力があって、それはどうにも、戦争という時代の中でも最強に近いものであったらしい。
気持ちよかった。
暴力ですべてが解決するというのは、シンプルでダンケルハイト好みだった。
仕官を断った連中が頭を下げて力を借りに来るのはスカッとしたし、戦いを続けるうちにだんだん敵が強くなっていくのは楽しく、それを打ち破るのは快感だった。
戦争はいつのまにか日常になっていき、その日常はダンケルハイトたちにとって気分のいい、充実した生活だった。
ところが、戦争が終わってしまうのだという。
「『水の』の働きかけが功を奏した。これより一年ののち、戦争は完全に終わるであろう」
「なぜですか!? なぜ、戦いを終わらせるのです!?」
「『なぜ』か。……フハハハハ! それは、この俺をしてもわからん。なぜ争い、なぜ争いをやめるのか? ……なぜ弱いはずの者どもが、あたら命を散らすのか。戦いの中でなにを証明しようというのか。それは結局、俺にはわからぬものであった」
「……」
「だが、どう答えたところで、関係がない。戦争は終わるのだ。貴様らには『戦争』以外の生き方を覚えてもらわねばならん。読み書き、計算、家事……この俺の知識の及ぶ限り、貴様らに『戦争ではない生き方』を教えよう! さあ、学ぶのだ!」
……これも『あとから思えば』だけれど、この時の闇の竜王ははしゃいでいたように思える。
かの竜王はおそらく、戦争を嫌っていた。
あるいは、ダンケルハイトたち……『暗闇の刃隊』が戦争に特化していく姿を見せられ、なにかを考えていたのかもしれなかった。
まあ、ダンケルハイトには、想像も及ばないことでは、あるのだけれど。
……あとはもう、くだらない、つまらない、情けない、ことばかり。
飲んだくれてクダをまいて、ツケをふくらませて、返済を迫られれば暴力で解決だ。
時代に、適応できなかった。
ダンケルハイトは少なくともそうだった。
弟たちは、わからない。同じようにしか生きていけなかったのかもしれないし、ダンケルハイトを放り出すのがしのびなくて付き合ってくれていたのかもしれない。
ただ、闇の竜王の言いつけの多くを無視してしまったが、暴力には限度と節度を設けた。
やりすぎない。傷つけすぎない。殺さない。
もはやかの竜王はそばにいないから、言いつけを破ってもバレないだろうとは思っていた。
けれど『竜王』というののいんちき臭い力を知っているから、やっぱりどこかで見られているような、そんな怖さもあって、かの竜王が本気で怒りそうな一線だけは越えないように心掛けた。
……そうして、ある日、闇の竜王に全部見られていたことを知った。
そこからはもう、転落も転落、大転落だ。
真っ白いチビどもに使われて農業なんていうものに精を出して、そのくせ自分を使ってたチビのうち一人はしばらくしたら水の竜王にくっついて都会に行くし、好敵手というか口うるさい味方だったやつは毎日酒飲んで愚痴りに来るし、やることなすこと刺激はないし、さんざんだった。
その『さんざんな場所』に、骨をうずめることになったのは、なんの因果か。
いつのまにやら最古参で、長老呼ばわりだ。
たまに暴力が必要になるけれど、基本的に酒飲んで寝て、酒飲んで寝て。
集落は人が増えてうるせぇし、弟どもの子供とか孫とかがどっからか生えてくるし、なにより闇の竜王はいなくなってしまうし、なにもかも、締まらない。
「いいか、あたしはな、あの戦争で最強の強襲部隊と恐れられた……とにかくだ。こんなとこで、テメェらみてぇなよわっちい、戦争も知らねぇガキどもにだな…………」
最近は言いたいことが形にならない。
頭もぼやけてきたし、起きている時間も減ってきた。
ああ、なんて情けない転落だろう。弱り果てて、寝込んで、過去にすがって、酒を飲みながら、死んでいくのだ。
情けないこと、この上ない。
あんまりにも平凡で、あの若いころのことがまるまる全部嘘みたいな、
「……ああ、ああ、まあ、いい。あたしにゃあ、難しいことは、わかんねぇんだ。まったく、平和すぎて、眠くなっちまうよ」
眠くなったから、眠る。
まぶたを閉じれば頭によぎる、若いころから、今までの人生。
なんて刺激のない、なんて平和な、なんて言っていいかもわからない……
身に余るような、人生だった。