幕間 ジョナンド視点
俺の名前はジョナンド。ノルプスクエで肉屋をやっている。肉屋といっても肉そのものを売っているわけではない。焼いた肉を提供する飲食店だ。10年ほど前にこの街に店を構え、そこから変わらずに続けてこれるのは、ひとえに交通の要所であるこの街に傭兵が多いからだろう。塊肉を出すこの店の客層のほどんどは傭兵で占められており、この街の住人や商人はほとんど訪れない。それでもこの店は繁盛しているといっていいだろう。少なくとも俺と、そして店員1人を養えるくらいの売り上げはある。
一方で、言い方を変えれば頭打ちになっているといっても過言ではない。この街に移住し、がむしゃらになってやってきたが、10年も経つと立ち止まる余裕も出てくる。果たしてこのままでいいのだろうか。そんな想いがないわけではない。
そんなある日、エイモンドが一人の若者を連れて、開店前の店にやってきた。
エイモンドは俺の古くからの友人だ。同時期にこの街に移住してきた。この街で俺の過去を知る、数少ない人間の一人だ。俺の店の一番の古株常連であり、いまだに贔屓してくれる。ありがたい存在だ。
そんな男が一人の若者を拾ったらしい。拾った、というと聞こえが悪いが、どうも魔物に襲われて這う這うの体でこの街に逃げ込んできたとか。たいていは魔物にやられるか、それとも商人の小間使いにされるかどちらかではあるが、運がいいのか悪いのか、一人で逃げてこれたらしい。
出身地はオオサカ国とかいう、聞いたこともない国だ。おそらく、出自を明かしたくないのだろう、というのはなんとなくわかる。しかし、そんなのはどうでもいい。俺だって知られたくない過去がある。
問題はこの男が俺の肉を美味くする、という。俺も今の調理に100%満足できるわけではない。しかし、少なくとも10年間はこの味でやってきた自負もある。プライドと興味。両方を天秤にかけ、俺は興味を取った。プライドなんてとうの昔に捨てていると思っていたが、それでもしっかりとこの胸の内にあったことに、俺は驚いた。
「少し、肉を分けていただけませんか。あと、なにか底の深い入れ物とルービも」
互いに挨拶を終え、俺が挑発したところ、キヅカと名乗った男は唐突に肉と酒の要求をしてきた。それが目的か、とも思ったが、キヅカの眼はそのような下種の眼ではないことを俺は理解した。
キヅカに肉とルービを渡し、どうするのかと思ったら、あろうことか肉を薄く切り分け始めた。この店のウリは何と言っても大きな塊の肉だ。というよりも、塊以外で焼くなんて考えたこともない。何より食いごたえがなくなる。
「おいおい、そんなに薄くしたら食べ応えがないじゃないか」
エイモンドが当然の声をあげる。俺もその意見に賛成だ。だが、キヅカはその意見を無視して、肉をルービに浸した。何をやっているか、さっぱりわからない。
「これでしばらく時間をおいて下さい。またしばらくしたら来ます」
そういうとキヅカはエイモンドを連れて店の外に出ていった。
担がれたか?そう思って俺は通常の店の準備に取り掛かった。
この店唯一の店員も姿を見せ、店の準備をあらかた終えた。あとはかまどに火を入れるだけになったころ、エイモンドを連れたキヅカが帰ってきた。
キヅカは市場で購入してきたというターバを練り、そこにモンレを加えた。どんな味になるのかは想像できない。その後、キヅカに頼まれるままにかまどに火を入れる。ついでにキヅカにも魔法を使えるか聞いてみたが、使えないとのことだった。もっとも、一瞬の間があったから使えるのに嘘をついた可能性もあるが。
嘘だらけのキヅカという若者に警戒心を抱く。しかし、エイモンドが連れてきた人間だ。全幅とは言えないまでも、それなりに信頼ができるのであろう。それくらい、エイモンドの人を見る眼は信頼できる。
「さて、まずは肉を焼きますが、片面は中火で、もう片面はやや弱火で焼きます」
キヅカはそういってルービに浸していた肉をかまどに置いた。塊肉と違い、すぐに火が通ってしまう。当然、それはキヅカもわかっているのだろう。彼はかまどの中央ではなく、端で肉を焼き始めた。
そこそこの時間をかけて、両面を焼き終え、肉を皿に移した。なにか焼くときに仕掛けでもあるのかと思っていたが、そういうわけではなさそうだ。さて、どんな味がするのか、と思ったら、あろうことか、キヅカは焼いた直後ではなく、しばらく皿に置いたまま放置した。そして再度網の上に肉を置く。それを何回か繰り返したのち、先ほど作っていたターバにモンレを混ぜたものを肉の上に乗せ、「どうぞ、召し上がれ」といった。
俺はがっかりしていた。薄く切られた肉の表面を焼いただけ。さらには焼いた直後ではなく、何回か火から離している。肉の上にはよくわからないターバも乗っかっている。正直、あまり食欲自体をそそられるものではなかったが、しかし、エイモンドの客人だ。食べないわけにもいかない。
ため息を押し殺しながら、俺は肉にナイフを差し込んだ。すると、思ったよりも簡単に肉にナイフが入った。だが、違和感を感じたものの、肉が薄いせいだろうと思い、そのまま口に運んだ。
今度こそ、驚いた。肉はやや筋が気になるものの、十分に柔らかく、簡単にかみ切れた。もう一切れ、口の中に運ぶ。今度はしっかりと味わう。表面が焼けた香ばしい香りとともに暖かい肉汁が口に広がる。今度はターバにつけて一口。
言葉を失った。そもそも肉を食べるときに「何かに付ける」という発想は今までなかった。開店して10年。エイモンドのようにずっと塊肉を食べ続ける人もいるが、実際にずっと訪れてくれる人はほとんどいない。俺も正直、塊肉を食べるのはしんどい。だが、このターバがあればもう一口、もう一口とナイフが進む。気が付いたら目の前の肉はすべてなくなっていたが、それでも物足りなさを感じるほどだった。
『うまい』
エイモンドと、ちゃっかり食卓に加わっていた店員も一緒になって声をあげた。キヅカは満足そうな顔をしている。
しかし、薄く切って、ルービに浸すだけでここまで柔らかくなるものなのか。俺は不思議でならなかった。
「本当はこれからこの肉に関して語らいたいのだが、残念ながらもう店を開く時間だ。明日の朝、もう一度教えてくれんか」
「もちろん」
キヅカは俺の提案に、満面の笑みで応えてくれた。久々に大きなやりがいを見つけた。そんな1日になった。
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