022-思い出せない
目を開くと、そこはいつもと変わらない天井が広がっていた。何かが違うような気がする…けれど、何があったのか思い出せない。
「…なんだっけ…」
思い出そうとするたびに、頭の中がぼんやりしている。身体を起こし、辺りを見回してみるが、いつも通りの部屋だ。違和感があるのに、それが何か分からない。ただ、目覚めたときの胸のざわつきだけが、心に残っている。
昨夜のことを必死に思い出そうとするが、まるで靄がかかったように記憶が曖昧だ。断片的に浮かんでは消える映像、けれど何が起こったのか、はっきりとは思い出せない。まるで、思い出すのを拒んでいるようにも感じる。
「なんでこんなに、何も思い出せないんだろう…」
私はベッドから足を下ろし、ため息をつく。少し立ち上がって、部屋の窓際へと向かう。外は晴れていて、いつもの朝のように見える。それでも心の奥で感じる違和感が、私を不安にさせる。
楽君の顔が浮かぶ。なぜだろう…彼に会えば、何かが分かるのかもしれない。そう思って携帯を手に取り、彼に連絡を入れる。
目覚めてからの違和感を引きずりながら、私は楽君にメッセージを送った。何か彼に話せば、自分の記憶が戻るような気がしていた。しかし、待てども彼からの返信はなかった。
「…今日の夕飯で聞いてみようかな」
私は気持ちを切り替え、学校へ向かうことにした。楽君のことが気になるけど、何かあったわけでもないだろうし、きっと授業が終わる頃には何かしら反応があるはず。そんな風に思いながら、学校へ向かった。
学校に着くと、授業は普通に進んでいく。楽君の姿も見当たり少し安堵する。私はいつも通りに過ごし、特に変わったこともなく、クラスメイトも普段通りだ。けれど、どこか引っかかる。昨日のことがどうしても思い出せない…記憶の欠片が残っているのに、それがどう繋がっていたのかが全く分からない。まるで心の中に大きな穴が空いているみたいだった。
放課後、教室が解散となり、各自が帰り支度を始める中、黒崎たちのグループが静かに動いているのが目に入った。普段であれば直ぐに教室から退出しているはずだが、昨日までの彼らの非協力的態度とは明らかに異なる、落ち着いた雰囲気が漂っている。
黒崎君は何も言わずに、自分の机からゆっくりと歩み寄ってきた。その無言の行動に一瞬緊張感が走ったが、彼はポケットから紙を取り出し、机の上に軽く置くように差し出してきた。そこにはペア表が記されており、名前がしっかりと書き込まれている。
「…」
黒崎君の視線は何処かを見ないようにしており、こちらに向けず、そのまま口を一切開かないまま踵を返し、自分の席へと戻っていった。昨日までのあの反抗的な態度とは明らかに違う。
「帰るか」
「おう」
黒崎君たち四人は、もう反抗的な態度を示すこともなく、静かに教室を後にした。
涼葉はペア表を手に取り、改めてその変化に戸惑いを感じていたが、同時に何かが動いたことを確信していた。
どうして、こんなに急に態度が変わったの?
涼葉は思わず手のひらに汗を感じながら、少しだけ黒崎の背中を見つめた。彼らの態度は確かに変わった。しかし、何かが引っかかる。何かが欠けているような…自分の意思が封じ込められているかのような…そんな違和感があった。
昨日、黒崎君たちに何があったのだろうか…。
涼葉は黒崎たちの急激な態度の変化に戸惑いながらも、一度深呼吸して気持ちを落ち着けた。何かがあったのは明らかだが、今はこれ以上考えても答えは出そうにない。楽に相談するしかないかもしれない。
放課後の夕暮れ、自室から出て楽君の部屋へ向かうことにした。毎日のように一緒に夕飯を食べるのが恒例になりつつあるが、今日は特に話したいことがある。彼なら何か知っているかもしれない。心の中で少し緊張しながらも、自然に足が早まる。
部屋のチャイムを鳴らし、部屋から楽君が出てきた。
「お邪魔します」
「あぁ」
いつも通り反応は薄いが、ちゃんと出迎えてくれる事に安堵した。
涼葉は小さなため息をつきながら、鞄を置いてエプロンを取り出し、キッチンの方へと向かった。料理の準備を始めていく。
「ちょっと相談をしたいんだけど、いいかな?」
「聞くだけ聞いてやる」
涼葉は今日起こった出来事について話し始める。
「黒崎君たちが、急に協力的になったんだよね…。何も言わずにペア表を渡してきたりして、前の非協力的な態度が嘘みたいで…正直、ちょっと怖いぐらい」
楽は椅子に座って本を読みつつ、涼葉が慎重に包丁を動かしている音を聞いていた。彼は少し考え込むような表情を浮かべる。
「……そうか」
「うん。なんであんなに急に態度が変わったのか、分からないんだよ。楽君、何か知ってるの?」
涼葉はちらりと楽を見やりながら、どう切り出すべきか悩んでいた。彼が何か関わっているかもしれないと感じながらも、それを直接聞くのは少し躊躇われた。
「俺が何か知ってると思うのか?」
楽は特に感情を見せずに返答した。彼の反応はいつも通り、冷淡にも見えるが、それが逆に涼葉の不安を煽る。彼女は少しだけ言葉に詰まったが、正直な気持ちを伝えることにした。
「ううん…そうじゃないけど、何かあったのなら教えてほしいなって思っただけ。それに、黒崎君たちの態度が変わるきっかけが、どうしても気になって…」
楽はしばらく沈黙していたが、本を置き、涼葉の方に視線を向ける。彼の表情は読めないが、その態度には少しだけ優しさが感じられる。
「何も知らないな。昨日はお前が夕飯を作りに来なかったから、いつも通りインスタントラーメンを作って寝てただけだ。クラス内の問題が一つ解決に向かっているなら、今はペア表を受け取って、彼らが協力的になったことを活かすのが先決だろうな」
楽の言葉には、一切の嘘やごまかしは感じられない。涼葉はその言葉に少し安心したように見えたが、同時にどこか割り切れない思いも残っていた。
私は昨日…夕飯を作りに来なかった……何があったんだっけ?
涼葉は湧き出る疑問を抑え込む。
「…そうだね。分かったよ、楽君。ご飯ができたからそっちに運ぶね」
涼葉は自分の不安を少しだけ和らげ、深く考えないようにした。そして、楽は静かに椅子から立ち上がり、本棚の方へ歩いていった。読んでいた一冊の本を片付けながら彼は思う。
知らなくていいことだってあるからな。




