021-考えて
倉庫の中は薄暗く、遠くにぼんやりと見える灯りだけが頼りだった。足音がやけに大きく響き、冷たいコンクリートの床を踏みしめるたびに、心臓が高鳴っていくのが分かる。何度も振り返りたくなる衝動を抑えつつ、前へ進んでいくしかない。
「ここで合ってるのかな…」
自分に問いかけるように呟くが、もちろん答えは返ってこない。手に持った携帯端末の光りは頼りなく、周囲を照らすには心許ない。それでも、後戻りするわけにはいかない。
倉庫の奥に進むにつれて、周囲の温度が少しずつ下がっていくように感じた。冷たい空気が肌を撫で、かすかな湿気が漂っている。目の前の視界がだんだんとぼやけ、灯りが消え入りそうに揺らいでいる。
「ここかな…」
少し進んだところで、何かの気配を感じた。遠くから人の話し声がかすかに聞こえてくる。どうやら、黒崎君たちはこの先にいるようだ。
足を止め、息を整える。これから何を話すべきか、何を言えば彼らを納得させられるのか。頭の中で何度もシミュレーションを繰り返しながら、再び歩き出す。奥へ進むにつれて声が少しずつ大きくなり、ついにその姿が見えた。
灯りに照らされた場所に、黒崎君と彼の仲間たちがいた。彼は壁にもたれかかりながら何かを話していて、その周りに風間君、狭間君、霧島君がいる。彼らは皆、こちらに気付いていないようだ。
「……」
一瞬だけ躊躇したが、今ここで引き返すわけにはいかない。ゆっくりと黒崎君たちの方へ歩み寄った。
黒崎はこちらに気付き、藤宮が近くに来るのを待っていた。
「それじゃあ、交渉を始めるか。まぁ、結局モノは決まってるから、受け入れるか…それとも断るか」
「黒崎君たちの要求は何になったの?」
「お前が、俺たちのモノになることだ。」
ふぅ、と小さく息をつく。そういった条件であることに予測はついていた。私はこれを変えられるかの戦いだ。
私は考える。一つ目の壁はここだ、と自分を鼓舞する。
「その条件を呑むと、私はどういったことをするのかな?」
黒崎君たちはニヤリと笑う。
「俺たちの命令は絶対順守だ。拒否権も何もない。俺たちがやりたいことを何でも受け入れて、嫌でも無理やり行ってもらう」
「それは、クラスに対しても協力的ではないと思うんだけど、私がクラスに対して協力をして欲しいと言っても、その条件を吞むことで、私に対して非協力的な命令を下すことだって可能なはず。条件として不平等だと思う」
黒崎君は顎に指を当てて考える素振りを見せる。この条件が交渉の材料として破綻している、という事は提示できた。これを踏まえて彼がどのように条件を変更するのか、これをしなければ協力をしないと言われれば、交渉は決裂し、この場は終わる。
涼葉は静かに深呼吸を行う。ここから彼女ががどれだけ考えようとも、黒崎からの返事によって全てが決するのだ。
黒崎君は再び私をじっと見据え、視線を私の体に這わせるように舐め回す。そして、残りの三人を近くに来させて小声で何かを会話していた。会話が終わったかと思うと、黒崎君は座っていた箱から飛び降りてきた。
「条件はそのままだ。ただ、その対象はお前だけだから、クラスに対して協力的であることには変わりない。今回で言うと裏切りは発生しない代わりに、その代償としてお前に頼みを聞いてもらう…とかな」
クラスに対しては協力的に。その代わり、私を好きにするという。言いたいことは山ほどあるが、これ以上条件を緩和する方向性が見当たらない。そして、再考した結果に対して反論するのは黒崎君の機嫌を悪くさせる可能性も高そう。
楽君の姿が思い浮かぶ…この選択は間違っている。彼なら、正しい選択を出せるのだろうか。私が女子だからこの様な状態になっているのではなく、私がまだ未熟なのだと自覚する。
「あと十秒で決めろ。無言は承諾とみなすからな。嫌なら口に出して否定しろ」
「……ふぅ」
考えて、
考えて、
考えて、
考えて、
考えて、
考えて、
考えて、
考えて、
考えて、
考えて、
決め切れなかった。
「……」
「中途半端な奴だな。こんなのが先頭に立ってるのが気に食わねぇんだ。だが、言ったよな、無言は承諾とみなすって」
黒崎君が私に向かって歩み寄ってくる。他の三人も、私を囲むように立ち並んだ。
賽は投げられた。私の無言という弱い意思が、その賽を投げてしまったのだ。私は俯いて、何も言葉を出せない。
「!?」
顔を上げると、黒崎君は目の前まで迫ってきており、私の腕を掴んできた。振り解こうと体に力を入れるが、体が動かない。
「出したくなかったけど、二個目にこのギフトがあって助かったぜ」
後ろにいるであろう狭間君が言う。動きを封じるギフトなのか、体も動かなければ顔も動かすこともできない。ただ、目の前で起こっている現象を見る以外の行動は、何一つ許されなかった。
「抵抗しないから、ギフトを解除して!」
「解除するわけないだろ。お前が何してくるか分かったものじゃないからなぁ。今のお前が抵抗できても、その眼の効力は俺にしか効かないだろう?」
だから狭間君を私の後ろに配置していたのか…今更ながら、公開したギフトを恩眼にしたのを恨んでしまう。
上着から順番に制服を脱がされていく。前に襲われかけた時よりも、助けを呼ぶのが困難だし、私たち以外に、周りに誰もいる気配がない。もう、時間が過ぎるのを待つしかないのだと悟ってしまう。
ボタンが全て外され、下着が露わになった時には、目から涙がポロポロと出てきた。覚悟なんて、全くできてないじゃない。自分を恨み、あの時、楽君に相談しておけば何か変わっていたのではないかと思ってしまう。
「…や……だ」
「あ?」
「…や……めて…」
「もう遅ぇよ。選んだのはお前だし、今後のクラスに対してもちゃんと協力してやるから、お前の願いも叶ってるじゃねぇか」
黒崎たちは笑いながら答える。何を言っても意味がないのだと、涼葉は心の底から理解した。
もう諦めて楽になった方が良いのかな…。楽に……。楽に………。楽君…………。
「ごめ…ごめんなさい…ら……く」
黒崎君が涼葉の胸に指を沈ませ、揉み始めようとした瞬間…。
「救えないですね。貴方たちは」
目の前が赤く染まる。私に触れていたはずの黒崎君の右手は、横のコンクリートに針と共に突き刺さっていた。
「があぁぁぁあああぁぁああああぁ!!」
私の目には何も映っていない。前に見えた靄のような存在すら確認できない。それなのに、黒崎君の体には次々と針が突き刺さる。左手、右足、そして左足と順番に、鋭い針が深々と食い込み、その旅に彼のつんざくような叫び声が響き渡った。
「おい!黒崎、どうしたんだ!?」
囲んでいた三人が黒崎の傍へ駆け寄り、針を抜こうとするが、その針は驚くほど深く突き刺さっていて、一向に抜ける気配はない。焦るように手を動かすが、彼らの力ではどうにもできなかった。
その瞬間、次の針が三人に向かって飛び、彼らの身体にも鋭く突き刺さる。風間の肩に一本、狭間の腕に一本、そして霧島の脚に一本。彼らも同じく、苦痛の叫びを上げるが、針は彼らの動きを止め、痛みによって身動きが取れない状態にしていた。
私は恐怖で目をぎゅっと閉じた。ギフトは解除されているけれど、私も同じことをされるのかと思うと、身体が震え、次に何が起こるのか分からないまま、ただその場に立ち尽くしていた。
「藤宮涼葉さん…」
「!?」
誰かの声が耳元で優しく囁く。私の目はその人の手で覆われ、誰なのか確認しようにも、見れそうになかった。しかし、その声はとても穏やかで、不思議な安心感があった。今まで感じていた恐怖が少しずつ薄れていく。
まるで何もなかったかのように、いつの間にか制服は整えられ、その手でお腹をゆっくりと優しくさすってくる。
「もう大丈夫ですよ…後は『私たち』がやりますので。今は、眠ってください」
その言葉に引き込まれるように、私の意識がゆっくりと遠のいていく。まぶたが重くなり、目を開ける気力すらも失われる。
「……あ……」
声にならない言葉が漏れる中、私はそのまま静かに意識を手放し、深い眠りへと落ちていった。




