悪夢の始まり
シャマールの右手にある刺青。それは『歪みのトビラ』から出てきたと言う証であり、同時に哀れな使命を背負っている証でもあった。
「勝負ありね。」
キーナは扉の近くにいるシャマールに向かって言う。
「・・・。」
だがシャマールが答えることはない。
何かを考え込んでいるようだ。じっとナオを見ている。
「どうかした?」
キーナのその声で我に返り、呟いた。
「・・・いや、何でもない。」
「そう?」
・・・おかしい。
キーナはシャマールを見ながらそう思った。
いつもの戦闘へ対する意欲や好奇心が全くなく、何かを考え込んでいる。
もしかしたらナオのことだろうか。
昨日の夜のシャマールの言葉。どうしても気になって仕方がない。
ナオがもし『不死』だったら?もう今までの人間界での生活には戻れないだろう。
だがその可能性は低い。彼はただの守護者だ。アベルの魂を持っていたという時点で、奇跡としか言いようのないくらいの偶然だ。
普通なら、こんなに異世界と関わりを持つ人間はいないだろう。
そのうえで『不死』だったとしたら、それはもう哀れとしか言いようのないくらい悲しい運命なのだろうか。
しかもシャマールがそう思ったのはナオに対してだけだ。
サヨだってナオと同じ立場にいるはずなのに・・・何故だ。
いや・・・考えるのはやめておこう。
キーナは立ち上がった。
「ふーっ。疲れた。」
ナオとギルバートが戻ってきた。
「そういえばアベルとラヴィエルは?昼から来てないみたいだけど。」
アマリアがキーナに問う。
「2人は違う世界に行ってるわ。仕事の依頼があったそうよ。」
「忙しいんだね。」
サヨがぽつりと呟く。サヨとアマリアは午後からはとても退屈そうだ。
「じゃあ今日はここで終わり。明日も今日と同じ時間にここに集合ね。」
「へいへーい。」
気の抜けた返事の中、シャマールだけが違う言葉をキーナに返した。
「ちょっとキーナ!何言ってるの?私がまだやってないでしょう?」
「・・・は?」
シャマールが口をとがらせ、少しふてくされた感じで言った。
「さ、やるわよ!この頃全然運動してなくて退屈だったのよ。この子たちが戦ってるときも、必死で我慢してたんだから。」
「えっ?ちょっと。」
シャマールはいろいろと不満を吐き捨てながら、闘技場の中心へキーナを引っ張って行った。
「だ・・・大丈夫かな?」
サヨが心配そうに呟くが、誰1人答えることはない。
「で、もちろんそっちは武器なしよね?」
「えっ、そうなの?」
武器を構えようとしたシャマールを見て、キーナはため息をつく。
「お願いだから本気出さないで。闘技場1つ消し去るつもり?」
「わかったわよ!」
シャマールはあくまでも協会の制服のまま。キーナたちとは違う、主に事務をこなす職員用の制服に似たものである。
白を基調とした、いかにも聖職者というようなデザインの制服だ。
首からは、おそらくシャマールのストーンだろうと思われる首飾りがさげてある。
首飾りのデザインは、ナオたちとは違う。白金で作られた十字架に、黄色のストーンがはめ込まれている。
「始めましょう。」
開始のブザーは鳴らない。というより、ナオは鳴らさなかったのだ。ギルバートが『すぐに終わるから』と言っていたからだ。
「メモリー03、レイピア。」
キーナは最初から星剣を手にした。
だが、シャマールは何も武器を持たない。それどころか、構えもせずに立っている。
「はあっ!」
見えない・・・。
少なくとも普通の人なら見えないだろう。それが例え相当な実力を持った戦死であっても。
それくらいの速さで、キーナはシャマールに斬りかかった。
だがそれをシャマールは小指で受け止めている。
「くっ!」
キーナの肩が震えるが、シャマールはぴくりとも動いていない。
ただ片方の小指で剣を押さえている。
「まだまだね。」
そういうシャマールから、キーナは距離を置く。
「相変わらず馬鹿デカい覇気。」
キーナはそう吐き捨て、再び細剣を構えた。
いつ以来だろうか。昔はよくシャマールと共に訓練をしていた。
キーナには記憶がない。覚えているのは、微かな記憶と1歳下の弟の存在だけ。
何かから必死で逃げて、逃げて。気付いたら1人だった。
そうして1人で彷徨っているうちに、シャマールに拾われた。
それ以来、身を守るための術は全てシャマールから教えてもらった。
だが今まで一度もシャマールに攻撃を食らわせたことはない。
馬鹿デカい覇気。王家だからとか、そういうわけではない。覇気だけ見ても、他の狩猟者たちとは比べものにならない。
今は力隠しの魔法をかけているから、今見えている覇気が全てではない。
それでも普通の狩猟者よりも大きな覇気を持っている。
すうっと息を吸い、ゆっくり吐き出す。
「動かないのならこちらから行くわ。」
シャマールの1回の跳躍。
十数メートルあった距離が、それだけで一瞬にして縮まる。普通なら見えないであろう速さでシャマールは跳んだ。
キーナが気付く頃には、シャマールの拳が顔のすぐ近くにあった。
ガツッ!
「あら、止めたのね。」
「ギリギリね。」
本当にギリギリだ。拳との差は1センチメートル。間一髪の所を細剣でくい止める。
まともに食らっていたら、例え狩猟者であろうと大ケガを負うことになるだろう。
『歪みのトビラの主に羽を集める宿命を得た。』
ただそれだけでシャマールは、狩猟者など秒もかからずに倒せるほどの強さを得た。
尽きることのない覇気。今だ見えない、星呪文を唱えた後のシャマールの強さ。
その気になれば、世界を1つ消し去ることも容易いことなのであろう。
それはキーナにとっての『師匠』であり、『目標』であり、『畏れ』である存在。
「いつかはあなたを超えるわ。」
「楽しみだわ。」
シャマールは静かに微笑む。
互いに目を合わせ、そして跳躍し間合いを取る。
ちょうどその時だった。
「連絡します。シャマールさん!2時から明鏡界ミリタニアに向かう予定があったはずです!すぐに来てください!」
ブツッ!と音をたて、放送は終わった。
「あーあ。カロールを怒らせちゃったなあ・・・。」
カロールの怒りのこもった放送を聞いて、シャマールはつまらなさそうに言う。
「勝負はお預けって事で、また来るからね!」
「来なくていいわ。」
「まあまあ、そう言わない。じゃあね!」
そういい残すと、シャマールは消えた。足早に去ったのではなく、ものすごい速さで外へ駆けていったわけでもない。
シャマールがいた場所には、ただ静寂だけがあった。
「な・・・何を使ったんだ?」
オレがキーナに聞く。
「移動結界よ。プロテクトキューブの進化系技で、簡単に言うとテレポートしたって事よ。」
一体この世界には、どれだけの魔法があるのだろうか。1つの基本的な魔法が、広がり、合わさり、増えていく。それを幾度も繰り返して、魔法は増えていく。
その中でも、オレが知っている魔法はほんの一部にしかならないであろう。
まだ、知りたいな・・・。
少なくともオレがこの世界にいる間は、みんなの、クリスティアの役に立ちたい。それは守護者としてだけでなく、ひとりのちっぽけな『オレ』という人間として・・・。
それからすぐに、今日の訓練は終了した。
キーナは協会区へ、オレたち4人は住居区へ向かった。
夕食を食べ終えた後、オレたちは施設の中にあるロビーにいた。
すでにサヨとギル、アリーは来ていて、サヨにチェスの仕方を教えていた。
「あっナオ!お前もチェスやろうぜ!」
「やるやる!」
こうしてギルはオレに、アリーはサヨにチェスを教えることになった。
・・・と言っても、なかなかチェスは難しい。
将棋や囲碁と似ていると思っていたが、全然難しい。
開始から5分後には、オレには理解不可能な領域まで入ってしまった。
「だから、この場合はナイトがここで・・・。」
「うーっ・・・。」
オレは全然理解できていないのに、サヨは飲み込みがかなり早い。
「これでチェックメイト!」
「すごーいサヨ!」
やはり学年トップのサヨと、万年補習組のオレとではかなりの差があるようだ。
「オレだって、本気を出せば・・・。」
「無理無理。どうせアタシには勝てないわよ!」
フフン、と鼻を鳴らし、サヨはオレを見た。
反撃しようと思ったが、返す言葉が見つからずにオレは黙り込んだ。
ちょうどその時だった。
ジリリリリリリリッ!!
緊急事態を知らせるサイレンが鳴り響く。
「協会本部正門近くにて、大量の狂獣が出現。また、静寂の森の四方からも狂獣による協会本部への襲撃を確認。狂獣の数はおよそ1500。負傷者は27名。各部隊はそれぞれの守備位置に着け!部隊に入っていない者は外部からの攻撃を防ぐ!」
ブツッ!と音をたてて放送は切れた。
「負傷者・・・だって?」
「あり得ないわ!」
この世界の狂獣ならば、どんな攻撃を受けたって怪我をするはずがない。じゃあ、他の世界の狂獣か・・・?
「オレたちの守備位置って?」
「協会区の最上階よ!急ぎましょう!」
さいわい服は制服のままだった。
ストーンだけを握りしめ、オレたちは住居区を飛び出した。
「そんな・・・負傷者が!?」
キーナは最高司令官であるカロールの机を叩いた。
シャマールが居ない中、現在協会本部の責任者はカロールである。
「狂獣の種類や覇気を見る限りは、冥界から送り込まれた狂獣と思われるわ。けれどあれだけの狂獣をクリスティアに送り込む事が出来るのは・・・」
「プルート。」
名前を聞くだけで憎しみがこみ上げてくる。あの日の想いを、感情を、復讐心を思い返す。
「おそらく『空白の書』が狙いよ。」
「私たちの部隊で書の所へ向かうわ。カロールはこっちの指示で忙しいでしょう?」
「ええ。」
それだけを言うと、キーナはカロールの部屋から飛び出した。
くそ・・・。
集中して、覇気を感じ取る。
協会本部を囲む、無数の禍々しい覇気。これが狂獣か。
早くナオ達に合流しなければ・・・。
ナオ達は最上階。急いで階段を駆け上がる。
だがその足は、3階に着いたところで止まった。
闇の中にうごめく影。明らかにこの世界の者の覇気ではない。しかもかなりの覇気の量。
「・・・誰?」
ゆらり、影が動く。
「ロディーが『空白の書』を取ってくるまで、僕と遊ぼう。お姉ちゃん?」
影から出てきた少年は、キーナを見て微笑んだ。
少年の影が揺らぐ。
ギイィィィィィィンッ!!
同時に、剣のぶつかり合う音が響いた。
それは、ほんの予兆に過ぎなかった。