白い本と黒猫
20××年6月24日。梅雨が明けて、少し暑く感じてきた夏のはじまり。オレは1人、昼休みの図書室にいた。
開いている窓から、涼しい風が吹き抜けていく。
少し眠たくなりながら椅子にもたれかかり、本を読んでいた。
オレ比奈崎ナオ中学2年生は、「本の虫」という程ではないが、小説を読むのが好きだった。自分で小説を書くのも好きで、中学に入学したときから少しずつ書いてきた小説があった。この頃新しい小説を書こうと思っていても、良いアイディアが浮かばずに悩んでいた。
「キーンコーンカーンコーン!」
もうそろそろ授業か・・・。疲れきっている体を起こし、読んでいた本を置きにいく。
「んっ?」
・・・何だこりゃ?
見慣れたはずの棚に置いてあるのは、表紙が真っ白で何も書いていない本だ。
いくらかページをめくってみても、中まで真っ白だ。
こんな本、昨日まで無かったのに・・・。
「ナオー!次始まるぞー!」
友達の声で我に返る。
「はいはーい。」
オレはそのまま、その本を持って帰った。なぜか気になって仕方がなかったのだ。
その時オレが、本を置いていっていれば、オレは今まで通りの平凡な暮らしを続けることが出来たのかもしれない。
それとも、オレがこの日を境に、不思議な事件に巻き込まれていくのは、初めから決まっていた事なのだろうか。
どちらにしろ、その時のオレには分からないことだった。
「ただいまー。」
あれからずっと不思議な感覚に陥っている気がする。
どこか夢のような・・・そんな感じだ。
「おかえりーナオ!ご飯出来てるからねー!」
聞き慣れた母親の声に、少しだけ安心する。
さっきの感覚は気のせいだろう。
「うん。すぐ行く。」
台所で夕食の準備をしている母の姿を見ながら、自分の部屋に入った。
「あ・・・。そういえば。」
カバンを片付けていると、ふと、あの白い本のことを思いだした。
カバンの中から取り出してみても、やっぱり変わらず真っ白なままだ。
何も書いていないのに、何で図書室に置いてあったのだろう。
明日図書委員長にでも聞いてみるか・・・。
本を机の上に置き、電気を消して、部屋を出ようとドアを開けた。
「あなたがこの本、拾ったのね。」
「!?」
聞こえるのは、自分以外の声。
「あ!やっぱり声だけだとびっくりするわよね。」
誰もいないはずの暗い部屋の中で、女の子の声がする。
「だっ・・誰だ!?」
開いていた窓から、一匹の黒猫が入ってきた。黒い毛は夜空を思わせる。
「私はキーナ=レイチェル。『空白の書の協会』の任務で、あなたを迎えに来たの。」
「はぁ?何わけわかんないこと言って・・・。」
「ともかく時間がないわ!今は私についてきて。」
キーナという猫は、オレのクローゼットの前に立った。
「さあ、入って!」
黒猫は透き通るような目でオレを見る。
「入れって・・・ここクローゼットなんだけど。」
「この中をずっとまっすぐ、後ろを振り返らずに歩いていって。後で説明するから。」
オレの質問は気にせず、キーナは話を続けた。
とりあえずオレは、見慣れたクローゼットの中に入った。
かけてあるたくさんの洋服の先には、見慣れない光景があった。
「うわぁ・・・。」
驚いたことに、中には石畳の通路が続いていた。所々にあるロウソクには火が灯っていて、薄暗く、長い通路を照らしている。
驚きを隠せないオレを黒猫のキーナは、何か言いたげな目でじっと見つめている。
その視線に気がついて、あわてて質問した。
「ここを・・・まっすぐだったな?」
キーナの方は見ずに問う。
「えぇ。私はもう1人の子を連れてくるから、先に行っていて。」
キーナにそう言われて、深く深く深呼吸をしてからオレは歩き出した。
何が起こったかが全く理解できていない。物事が早く進みすぎて、頭が追いつかない。
これは夢なのだろうか・・・。自分の頬をつねってみる。
「・・・痛い。」
「まだかよー。」
さっきからずいぶん歩いているようだが、まだ通路は続いている。
オレの瞳に映るのは、石の壁とロウソクだけだ。それ以外には、何も見えない。
あいつ『空白の書の協会』だとかいっていたな。てか、猫って喋るもんなのか?いや・・普通喋らないだろ。
いろんなことを考えてみたが、何か答えが出るわけではない。
ただ一つ分かることと言えば、今起きていることは全て現実だと言うこと。それだけだ。
「あっ!」
そんなこと考えてるうちに、通路の先に光が見えてきた。
その瞬間、オレの足は勝手に走り出していた。はっきりとした根拠はないが、行かなければいけないような気がしたし、その光が懐かしいような気もした。
ともかく、もう後戻りは出来ない。そうとだけは確信できていた。
通路の出口には、すぐにたどり着いた。
外へ出る前に、もう一度だけ深呼吸をした。
戻りたい気持ちもあったけど、後ろは振り向かずに前だけを、ただまえを向いて歩いてきた。妙な胸騒ぎがしたけれど、今のオレには、前に踏み出すことしかできなかった。
進まなければいけない。そういう確信がその時のオレを動かした。