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生首  作者: ぼなぁら
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終章 生首

 僕は動き出した。まだ迷いもあるが、それでも。体は緊張のあまり硬く固まっている。少し動いただけで全身の骨と筋肉から音が鳴るほどだ。それでも僕は動かなければならない。僕自身の未来を守るために。

 教室中を歩き回った。自分の選択が間違ってはいないか、何度も何度も自問自答した。その上で、僕は一つの答えを出した。机の前で立ち止まった僕は、一つの生首を鷲掴みにして持ち上げた。重いようで軽い人の頭。これが命の重さなのかもしれない。

 生首を持ち上げる際に、生首の眼球が動き、その生気のない目と僕の目が合ってしまった。今や、どこも見ていない空虚な眼球。まるでこちらの生気を吸い取りそうだ。

 今から僕は、君を殺す。

 どれだけ念じて見てみても、返事は返ってこなかった。

 気持ちの整理はつけられないが、立ち止まるわけにもいかない。僕は生首を持ってお化けの方へ振り返った。お化けは大暴れに暴れていた。すでにお化けは教室の半分の生首を試したようだ。教室中に生首が散乱している。この生首一つ一つに人生があるのだ。彼らは生き残り、僕が持つ生首の人物だけが死ぬ。不条理だよな。だけどそれって、あたりまえのことだよね。

 僕はお化けの背後に回ると、持っていた生首を首の上に置いた。すぐにお化けは反応し、喜びを動きで表そうとした。

 「まだだめ!」

 僕は大声を出しながらお化けの体を制止した。これで振り払われたら終わりだ。僕は本当に何もできないままここで死ぬしかない。

 しかし、意外にもお化けは僕の言うことを聞いた。首を乗せたまま、完全に動きを止めたのである。僕はそのことに面食らいながらもランドセルの中からソーイングセットを取り出すと、お化けの首と生首とを縫い合わせ始めた。お化けの肉体は、僕の想像していたお化けや幽霊とは全く異なるものだった。触ればしっかりと暖かく、固い感触も感じない。とはいえ、やはり生きた人間ではないためか、心臓の鼓動は感じられなかった。

 針をお化けの肌に突き出すたびに、赤い血液が飛び出して手にべっとりと纏わりつく。すぐに両手とも暗い赤色に染まっていった。ソーイングセットの針は、当然ながら人体の縫合には適していない。きっとすぐに使えなくなってしまうだろう。ほんの数回でいいのだ。頼むから針よ、通ってくれ……。

 地獄のような時間だった。いつ動き出すかわからないお化けに怯え、吹き出す血液に怯え、こんなことをしている自分に怯えた。それでも、終わりはやってくる。お化けの首を何箇所か縫合することができた。固定と呼ぶにはあまりにも弱々しく、補強とすら呼べない程度の代物だが、それでも構わない。大切なのは、お化け自身がどう思うかだ。

 「これで、終わりだ。」

 最後の針を通し、縫合は完了した。すると、お化けは脱兎のごとく駆け出した。

 「えっ?」

 困惑する僕をよそに、お化けは教室を何周もした。途中にあった机を弾き飛ばし、生首を蹴り飛ばしながら駆けずり回った。その光景を見て、僕はようやく気づいた。嬉しいんだ。ようやく自分の首の代わりが手に入ったと、喜んでいるから走り回っているのだ。そう、まるで小学一年生のように。

 それにしても、勢い良く走り回っている。あんなにスピードをだしたら首がまた取れてしまわないだろうか。そうなれば、どうなるかはわからない。僕は不安な気持ちのまま、それを眺めていた。

 そんな僕に気づいたのだろうか、お化けはゆっくりと減速し、やがて止まった。もはや教室に立っている机はなく、あらゆるものが散乱していた。僕はその中心でお化けを眺めていた。不意に、お化けがこちらを振り向く。見知った顔がこちらを見るのでドキッとしたが、大丈夫。もはやあれはあいつじゃない。

 お化けは子どもらしい小さな歩幅で僕の方へ近寄ってきた。両手を握り、モジモジとしている。

 「何だい?」

 僕は声をかけた。不思議とお化けに対する恐怖心は失われていた。

 「……。」

 「言いたいことがあるなら、教えてくれないかな。」

 「…………、ありがとう。」

 お化けは口を開き、確かにそういった。聞き覚えのある、あの声で。

 その瞬間、お化けが白い光に包まれ始めた。あまりの眩しさに目を瞑るが、それでも失明するんじゃないかと言うくらい、眩しかった。その一瞬だけは、教室を支配する赤い影からも解放されたんじゃないだろうか。光はそのまま膨れ上がり、僕ごと教室を飲み込んだ。


 しばらく、目を開けることができなかった。僕はその場に突っ立ったままだった。数秒かけて目を開けた時、僕はついにやり遂げたのだと気づいた。そこには多数の席が並び、それぞれの席に生徒が座っている。全員目を瞑り、祈りを捧げているようだ。稲垣先生も、教壇に立って目を瞑っている。教室はまだ赤いけど、確かに僕は戻ってきたのだ。

 だけど、問題はこれからだ。僕たちの予想が正しければ、この教室には……。

 「はい、黙祷終わり。みんな目を開けて。」

 稲垣先生の指示を受けて、クラス全員が目を開ける。和やかな学校生活が続いたのは、その一瞬だけだった。生徒たちが理解し始めたとき、全てが終わった。

 「何、これ。」

 まず、教室の一番後ろの席の少女が呟いた。そして次の瞬間、弾かれたように椅子から立ち上がり、廊下へと走り出した。

 「おい近藤、一体何を……。」

 稲垣先生も、それに気づいたようだ。顔が青くなるのを通り越して、真っ白になっている。

 「そこの席、一体……。」

 先生がそれを指差した。それがいけなかった。生徒全員の視線がその先に集まる。そして、全員がそれを目撃した。

 首から上のない死体が、席についている。

 あとはただの地獄絵図だった。まず、稲垣先生が逃げ出した。我先にと廊下へ飛び出し、階段を駆け下りていった。それがきっかけとなり、生徒たちも廊下に押し寄せ始めた。パニックになった群衆は、簡単な戸を通ることすら困難になる。一斉にクラス前部の戸に押し寄せた生徒たちは、お互いを押し合いへし合いしながら無理やり戸を突破しようとした。その中に、新見がいた。体の大きな新見は他の生徒を突き飛ばしながら進んでいたが、彼をよじ登る生徒の出現により、結局多数の生徒に押しつぶされることとなった。

 すぐには逃げ出さない生徒もいた。何が起きたのか理解できないのか、惚けてしまった生徒が何人か。その中に、長居がいた。彼は口をあんぐりと開けて、死体の方を穴があくほど見つめていた。そのすぐそばに駆け寄ってくるゆかり。長居の耳に何やら囁くと、長居は我に帰り立ち上がった。二人はパニックになった生徒が廊下に出きるまで待ち、手を繋いで教室から脱出した。

 その頃には、教室に残っている生徒は僕くらいになっていた。僕は、窓側の席に座る死体に近づいた。グロさで言えば、さっきのお化けと変わらない。本当は近づきたくなんてなかった。みんなといっしょに逃げ出したかった。だけど、それはできなかった。僕が殺してしまったのだから。最後にその姿を目に焼き付けなければならない。そう思ったのだ。

 「紅林くん。」

 僕は死体となった彼に、言葉を投げかけた。

 「ごめんなさい。こうするしかなかったんだ。」

 生首を選ぶ時、僕はみんなの生殺与奪権を手にしたと思っていた。誰よりも優位に立っていると、復讐のチャンスだと思い込んでいた。しかし、そうではなかったのだ。むしろその逆だったのだ。追い詰められていたのは僕だった。もし僕が誰かを犠牲にして呪いが解けたとしても、紅林くんだけはそれに気づいてしまう。僕が誰かを殺したと言う、致命的な情報を握られてしまうのだ。正義感の強い紅林くんのことだ。僕を告発するくらいのことは当然するだろう。しかもこのやり方は、紅林くんが何度も否定したやり方だったのだから。もちろん、告発されたからと言って僕が刑事罰を受けるといったことにはならないだろう。こんなオカルト現象を現行法で裁けるわけがない。しかし、問題はそこではない。問題は情報の伝達だ。このクラスに僕が人を殺したという情報が広まった場合、どうなるだろうか。おそらく、今とは比べ物にならないほど激しいいじめを受けるに違いない。今度は、本当に命の危険に晒されるかも知れないのだ。

 だから、犠牲にできるのは紅林くんだけだった。紅林くんさえいなくなれば、僕のやったことを知っているのは僕だけになる。いじめは何も変わらないし、ゆかりも帰ってはこない。だけど、最悪のケースを阻止するためには、こうするしかなかったのだ。

 紅林くんの死体から、あの子と同じように大量の血液が流れている。もしかして、きみも一年後に化けて現れるのかな。

 「ごめんなさい、ごめんなさい。」

 僕は何度も、死体に向かって謝った。きっと紅林くんは許してくれないだろう。だけど、やっぱり謝らないといけない。

 暗くて赤い教室の中で、僕と紅林くんの二人きり。僕はただひたすらに、謝罪の言葉を口にする。外からは風の音、ざわざわと騒ぐ木々の音。そして、何かの駆動音。

 「友達になれるって思ったのにね。」

 その相手を葬ったのは、他でもない僕自身なのだ。胸の奥がぎゅっと締め付けられて、痛い。もしかして、僕は間違ったのだろうか。別のやり方があったのだろうか。いや、そんなことはないはずだ。こうしなければ、僕は。

 大きくなる駆動音。すぐそばから聴こえてくる。だけど、僕は気づいていなかった。目の前の紅林くんのことで精一杯だったのだ。だから、遅れた。それは僕の目の前まで近づいていたと言うのに。

 あまりにも激しい駆動音に、僕はようやく顔を上げた。そこには、丸みを帯びた金属製の物体があった。そしてその中に、血まみれの人が見えた。

 僕はあっと声を上げた。しかし、もはやどうしようもなかった。次の瞬間。それは窓を突き破って教室に突っ込んできた。バラバラに割れるガラスの音。全身に走る衝撃。紅林くんも僕もそれに吹き飛ばされ、床に倒れこんだ。

 ああ、そうだ。僕は一体、何をやっていたのだろう。呪いは解けた? そんなこと、あるわけないじゃないか。あの日死んだ人間はもう一人いた。

 教室に突っ込んできたヘリコプターは、パチパチと音を立てていた。コックピットの中の人は、だらんと垂れ下がり、全く動かない。きっと彼も心残りだったのだろう。ヘリコプターで事故を起こしたことが。だからもう一度、操縦したかったのだ。だけど、ズタズタに引き裂かれた体では、まともな操縦なんてできるはずがなかった。

 このあと何が起こるのか、僕は直感的に理解していた。一年前に起きたことと同じだ。現に目の前のヘリコプターからはオイルが流れ出し、どこかがショートしたのか火花が散っている。

 僕はふと、紅林くんのことが気になった。彼の死体はどうなっただろう。ヘリコプターとの衝突で、もっと悲惨な姿になってしまったのではないか。だけど、僕にはそれを確認することができなかった。僕の体も、ヘリコプターとの衝突でグチャグチャになってしまっていたのだ。首を動かすことが精一杯で、紅林くんを視界に入れることはできなかった。

 目の前のオイルが、ショートしている部分に流れて行く。それは、僕の命を終わらせるカウントダウンだった。もう、その距離は数十センチしかない。あと十秒もすれば、オイルに引火して全てが終わるだろう。

 一体何がいけなかったのだろうか。紅林くんを犠牲にしたこと? そうかもしれない。他の子を犠牲にしていれば、僕はこんなに長く教室には留まらなかっただろうから。僕の脳裏に、様々な記憶が去来する。紅林くん、本当にごめん。お母さん、最後に会いたかった。

 瞬間、圧倒的な光の奔流が、僕を包み込む。轟音が、耳の奥を破壊する。全てを破壊する爆風によって、僕の体が宙に舞った。そんな僕に向かって飛んで来る、ヘリコプターの破片。首に走る激痛。直後に視線が弾き飛ばされた。縦に三百六十度、視界が回る。燃え上がる教室の天井。衝撃を物語る、吹き飛ばされた教室の壁。そして最後に見えたのは、為す術もなく床に叩きつけられ、地獄の業火に焼かれる、主人を失った僕の体だった。

 ああ、こんなことになるのなら……。こんなことになるのなら、あいつらのうちの誰かを、殺しておけばよかった。

                                 了


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