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生首  作者: ぼなぁら
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第1章 学校

 夏の地獄のような暑さを切り抜けた者たちが、挙って歓迎した秋のある日。窓の外からは優しい日差しが降り注いでいた。穏やかな気候、爽やかな天気。空を見上げればこれでもかというほどの快晴。こんな日は、誰だって気分が良くなるに違いない。らんらんと外をスキップする人間がいたとしても、なま暖かかく見守らなければならない。それほどまでに完璧な気候で、誰も彼も話す言葉の音程が二度上がる程度にはその恩恵に与っていた。しかし、僕は違った。

 放課後の教室。僕は小学校から帰るための準備をしていた。机の中にある教科書やノートたちを、取り出してはランドセルに詰めていく。小学生であれば当たり前の光景であるが、僕にとっては憂鬱な時間だった。

 机から取り出した教科書の表紙に、太いマジックで文字が書かれている。

 「ウザい」

 「死ね」

 定番といえば定番なのかもしれない。これもある種ありきたりな、日常茶飯事な光景と言えるのかもしれない。しかし、やられている本人にとってはそれで済む問題ではない。

 僕は、いじめを受けていた。

 それが始まったのは、今年の夏休みが終わった辺りからだった。何かきっかけがあったわけでもなく、(少なくとも僕自身の感覚では)唐突に始まった。これまで仲良くしていたはずのクラスメートのほとんどに遠巻きにされ、一部の生徒からは暴言や暴力を受けた。髪の毛をハサミで切られた。授業で描いた絵に汚い水をかけられた。病原菌扱いをされるようになった。そして、教科書である。放課後の帰りの準備で教科書を見るたびに、今日も何も変わらなかったと痛感する。状況は一切好転せず、僕の小学校生活は地獄へと向かっているのが感じられた。

 もちろん、担任の稲垣先生にも相談した。三十代の男性教諭である稲垣先生は僕に言った。

 「いじめられていると思うその精神が問題なんだ。武田が強ければ、いじめなんて起きないはずだぞ。」

 暗に、僕のせいだと言われたような気がした。先生は一切対策を立ててはくれず、僕は置き去りにされた気分になった。

 親には、相談できなかった。ウチはシングルマザーで、お母さんは家計を支えるために必死で働きながら、家事も行なっていた。もちろん僕もできる限りの手伝いはしているけど、それでもお母さんは常に疲れた表情をしていた。

 「博之がちゃんと学校に行けるように、お母さん頑張るからね。」

 そんなことを言われて、その学校でいじめを受けているなんて、言えるわけがなかった。

 僕がため息をつきながら教科書をしまっていると、突然バシンと音が鳴り、背中に衝撃が走った。

 「いっ!」

 振り返ると、そこにはニヤニヤとふざけた笑みを浮かべた新見清彦とその取り巻きたちが立っていた。小学六年生にしては大柄で、すでに一部の先生を上回っている。小柄な方に入る僕と並ぶと、本当に大人と子供にしか見えない。

 「なんだよ。言いたいことでもあるのかよ。」

 そう言いながら、新見は再び僕の背中を平手で叩いた。バシッと大きな音が鳴る。

 「やめ、やめてよ。」

 「ああん? 聞こえないな。」

 三度暴力が振るわれた。僕は悲鳴をあげるが、クラスメートたちはこちらを振り向こうともしない。全員、僕には関心がないようだった。僕が新見に殴られている光景なんて、それこそ日常茶飯事ということなんだろう。

 「言いたいことがあるなら言えよ!」

 実際に僕が何かを言おうとすると、上から言葉を被せて封殺するくせに、新見はまるで抵抗しない僕が悪いかのように言い放つ。そして僕は実際になんの抵抗もできないでいた。声の大きさでも、殴り合いでも、新見に勝てるわけがない。僕はどうすることもできず、新見が飽きるまで我慢するしかなかった。

 周りのクラスメートたちが、次々と教室から去っていく。その中に、牧野ゆかりと長居治の姿があった。僕は二人を凝視し続けた。しかし、二人は僕のことを全く見ていないようだった。

 ゆかりとは、所謂幼馴染という間柄だった。以前は仲も良く、二人で遊びに行ったことも何回もある。それどころか、今年のバレンタインでは立派な包み紙のチョコレートをもらった。

 「本命だよ。」

 という言葉とともに。

 もちろん僕は嬉しかった。小学生なので、付き合うとかそういうのはよくわからなかったが、それでもゆかりのコトを大切にしようと頑張った。ホワイトデーに手作りのお返しをしたり、夏祭りに一緒に行ったり、僕なりにできることはやったつもりだ。それなのに、ゆかりは僕を見捨てた。僕が新見たちにいじめられ始めると、僕のことなんてまるで初めからいなかったかのように扱った。そして、あっさりと別の男子とくっついてしまった。それが長居だ。十一月に入った今、気がつけば二人は学校公認のカップルになってしまっていた。

 長居とも、夏前まではそれなりに良好な関係を築いていたはずだ。同じ班になれば話くらいはしたし、放課後二人で遊んだことも何度かある。しかし、彼もまた僕に対して無関心を決め込むようになった。

 二人を見ていると、どうやら長居がゆかりに何か渡そうとしているようだった。今日はゆかりの誕生日だ。実は僕も、ゆかりにプレゼントを送っている。直接渡そうとすると拒否されるので、ゆかりの机の中にこっそりといれておいたのだ。中身はキーホルダー。ゆかりは受け取ってくれただろうか。

 「ありがとう、長居君。そういえば、机の中に変なものが入っていたのよね。」

 ゆかりは机から僕のプレゼントを取り出した。そして教室の前部分まで行くと、ゴミ箱にポイッと捨てた。

 「いいの?」

 「うん、大丈夫。直接渡せないような弱い人のプレゼントなんていらないから。」

 その時、一瞬だけゆかりがこちらを見たような気がした。しかし、僕が何か言う前に、ゆかりと長居は教室から出て行ってしまった。僕にできたのは、それを恨めしく見ていることだけだった。

 「なんだよ。つまんねえ顔しやがって。」

 別のところを見ていた僕に苛立ったのか、新見は僕のお腹を思いっきり殴った。僕の口から潰れたカエルのような声が漏れた。

 「気持ち悪いんだよ。」

 そう言って、新見は又しても僕のお腹を殴ろうとした。その時。

 「やめろよ。」

 後ろの席から低い声。そちらへ振り返ると、机に肩肘立てた紅林雷覇くんが不機嫌そうな顔をしていた。

 「鬱陶しいんだよ、新見。」

 「なんだと?」

 新見が紅林くんに詰め寄る。しかし、紅林くんは動じなかった。睨みつける新見の視線に真っ向から向かい合い、ゆっくりと紅林くんも立ち上がった。

 「でかい図体で俺の前をぶらぶらすんじゃねえよ。邪魔で仕方ない。さっさと家に帰れ、ボケ。」

 「お前!」

 新見は手を振り上げたが、振り下ろすことなくそのままの姿勢で固まった。その視線の先には、鬼のような形相で睨め付ける紅林くんの姿があった。紅林くんの身長は、僕とほとんど変わらない。それにもかかわらず、紅林くんの形相は新見を怯ませたのであった。

 「……チッ。」

 新見は舌打ちをすると、僕の方には目もくれず、取り巻きたちを連れて教室から立ち去った。

 「あ、ありがとう。紅林くん。」

 「やめろ、別にお前を助けたかったわけじゃない。」

 照れ隠しなのか、本心なのかはわからない。しかし、今のこのクラスの状況で、僕に対して人並みに接してくれたのは紅林くんだけだった。

 「俺も帰る。」

 「あ、ちょっと。」

 少しでも紅林くんと話してみたい。彼は最近学校にもあまり来ていない(遅刻も多い)ので、話すチャンスがこれまでほとんどなかったのだ。ランドセルを豪快に背負った紅林くんは、足早に出口へと向かっていく。

 「く、紅林くん!」

 僕としては、かなり大きな声を出したつもりだった。それでも、人と比べれば口をパクパクさせる魚のようなものだっただろう。聞こえなかったかもしれない。僕は途端に不安になった。

 しかし、その心配は杞憂だった。出口を出るギリギリで、紅林くんはこちらに振り返った。

 「なに。」

 その顔は相変わらず不機嫌そうだったが、返事があっただけでも僕は嬉しかった。

 「その、えっと。」

 呼び止めたはいいが、かける言葉を考えていなかった。

 「あのね、また明日。」

 それを聞いた紅林くんは一瞬キョトンとした顔になったが、すぐに振り返ってしまった。

 「じゃあな。」

 そして、こちらに向けて後ろ手で手を振ってくれたのだった。

 気づけば、教室に残っているのは僕一人になっていた。稲垣先生すらいない。誰もいない教室。寂しい光景だが、誰かがいるよりはよっぽどマシだ。僕は改めて机の中身を教科書に詰めると、ふと空を見上げた。太陽は傾き、すぐに夕焼け空が広がるだろう。空は高く。澄み切っている。それなのに、どうして。どうして僕はこんな目にあっているんだろう。紅林くんのおかげで、最悪の日にはならなかったけど。それでも辛い思いをしたことに変わりはない。もしかして、本当に僕が弱いから、なのだろうか。

 ランドセルを背負い、帰りがけに新見の席のそばを通る。僕はその席を蹴っとばそうと足を振り上げ、結局辞めた。


 夕焼け空の下、僕は歩いて帰宅していた。学校から家までの距離は十分程度。そんなに遠いわけではない。むしろかなり近い。

 僕の頭の中には、様々な考えが渦巻いていた。まず一つ目は、復讐だった。僕の学校生活をめちゃくちゃにした新見やその取り巻き、それに僕を簡単に捨てたゆかり、そしてゆかりを奪った長居。こいつらに僕の苦しみをわからせてやりたい。どれだけのことを自分がしているのか、自覚させてやりたい。いや、もっとはっきり言おう。僕は奴らに死んで欲しかった。可能であるならこの手で殺してやりたいとまで考えている。だから、一時期はその方法を懸命に考えていた。

 完全犯罪。自分は捕まらず、奴らを殺す方法。

 しかし、それを計画するのは容易なことではなかった。どれだけ頭をひねっても、ミステリー作品を読んでみても、僕の頭のコンピュータが完全犯罪を形成する日は来なかった。

 そして、気づいたのだ。仮に完全犯罪の計画を立てられたとしても、僕は実行しないということに。そんな恐ろしいこと、できるわけがない。その度胸がないのは自分が一番よく知っている。それに、実行してしまったら、きっと毎日「本当に自分の計画は完璧だったのか?」と自問し、警察を恐れながら生活することになるだろう。そんなの、耐えられるわけがなかった。

 そういうわけで、復讐殺人は諦めた。しかし、復讐自体を諦めたわけではない。いつか奴らに正義の鉄槌を下してやる。それだけが僕のモチベーションだった。

 次に考えたのは、紅林くんについてだった。彼は他の子とは少し違う。僕への対応もそうだが、それ以外にも色々とある。例えば、彼はあまり学校に来ない。不登校とまでは言えないが、週二日くらいは大体休む。理由は知らなかった。目に見えて不健康というわけでもないし、家庭の事情か何かだろうか。僕としては、是非とも毎日来て欲しいのだが、なかなか難しい注文になりそうだ。

 何よりも、僕は紅林くんの勇気に感銘を受けていた。あんなに大きくて暴力的な新見に対しても一歩も引かず、それどころか押し切ってしまった。あの姿は、正直に言って格好良かった。

 僕もあんな風になれないだろうか。そうすれば、本当に全てが変わりそうな気がする。いじめも終わり、ゆかりも帰ってくるかもしれない。

 そこまで考えて、ハッと僕は気づいた。これでは、「僕が弱いから」いじめが起きていると認めてしまう。それだけは避けなければならない。この地獄を招いたのが自分だなんて、絶対に受け入れてなるものか。

 考え事をしながら歩いていると、家までの距離は本当にわずかに感じられた。今、目の前に建っているボロボロのアパート、それが僕の自宅だ。草は生え放題、金属はサビ放題で、いつ倒れてもおかしくなさそうな建物だ。僕は、その二階に住んでいる。

 秋の風は澄んでいて気持ち良いけれど、長く当たっていると流石に冷える。早くウチに入ろう。僕は駆け足で我が家に向かった。


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