君の仇を討とう
「婚約破棄を望むなら、もっとあからさまやらないと駄目だろう。姉は馬鹿なんだから。」
俺を詰ると俺が身構えたというのに、こいつは何を言い出してきたかのかと、俺の頭の中が真っ白になったのは事実だ。
「お陰でこの大騒ぎだ。私が一押ししてやらなければ、今日のお前は姉の式の相談会だ。あの女はチヤホヤされてお金があれば嬉しいだけだから、贅沢三昧に浮気三昧だったらお前と結婚してもかまわないと豪語していたぞ。」
「――俺の振る舞いだけでは彼女は諦めなかった、と?」
更紗はヒヒヒと笑い声をたてた。
彼女は子猿のような風貌で、本当に憎たらしく笑うのだ。
「女性よりも少年が好きな人だったら、結婚生活も楽で良いわね。」
美緒子そっくりの喋り方で、この悪魔の落とし子は俺を挑発してきた。
「解ったよ、俺の負けだ。それで、お前はどうやって一押ししたんだい?」
俺の為に一肌脱いでくれたらしき相棒に尋ねた。
期待を込めて。
更紗の俺への無視は、自分の行動が親に知られないためにだったのかと、俺はようやく合点がいった。
なんて悪い奴と、俺の胸は躍っている。
「お前が母親に頭の上がらない男だって言ってやった。事実だろう?こんな所まで勝手に決められた縁談の為に来たのだものな。それからね、お前は小遣い制で、今は親からだけどそのうち小遣いは家を継いだ弟から貰う事になるだろうねって。お前の弟の嫁さんな、姉の女学校の同窓生だよ。」
ハハハっと大きく笑いが出た。
どれも事実なのが情けないが、それが今の俺の身の上だ。
「そりゃ、どこの娘だって聞けば逃げるぞ。」
「可哀相に。これから姉が世間に吹聴したら、お前は一生結婚できないね。」
本当に憎らしい子供は、本当に胸がすくくらいに憎らしくケケケと笑う。
更紗はクスクスと笑わない。
この子は小さな狩猟者であり、生物学者で先駆者であった。
「まぁ、仕方が無いからね。俺の外見はこんなだ。外見で結婚を断られるよりは悪評で断られる方がいいだろう。かまわないさ。」
俺の言葉になぜか更紗は笑わずに、なぜか怒ったようにフンっと鼻であしらった。
「そんなの模様だと思え。あざじゃなくて模様だと見るとなかなか格好の良い形に配置だと思うよ。」
「ブチ犬みたいに?」
俺たちは馬鹿笑いに興じてひとしきり笑うと、俺は自分が不要になった天野家をすぐにでも出ないといけない事を思い出した。
俺は更紗に何て別れ言葉をかけようと、実はそこで言葉を失っていた。
俺の窮地を救ってくれて、怪我の跡までも笑い飛ばしてくれた相棒に、俺は家族同然の情を持ち、告白するならば、俺はこの小憎らしい子供と別れがたく感じているのだ。
「痣が有る今でも、お前の顔は美しいと思うよ。」
「え?」
更紗の突然の言葉に俺は再び頭が真っ白になった。
真っ黒な瞳が俺を真っ直ぐに射抜いている。
立ちすくむだけの俺に彼女はニコッと微笑んだが、それは将来が楽しみになりそうな素晴らしい笑顔だった。
「五年後の私の誕生日に迎えに来い。私が結婚してやるよ。それまで独身生活を楽しむんだな。」
言いたいことを言うとフイっと背を向けて歩き去る悪魔に、やられたと、俺は腹がよじれるほどの笑い声をあげて見送るしか出来なかった。
そして五年後に彼女は別の男と死んで、俺が約束を忘れていた事を思い知らされたのだ。
「お願いよ。恭一郎さん。ようやく見つけたのよあの女を。あなたは誘拐してくれるだけでいいから。」
「そして誘拐した後に妻にしろと?嫌ですよ。」
「あの女は人殺し同然よ。」
相良は憎々しげに顔を歪めて笑った。
「人殺し同然の醜くなった女が俺にはふさわしいと?」
「連れてきたら私が後を引き受ける。財産をちらつかせれば簡単に和泉と離婚するでしょう。それから、私の娘として引き取るわ。あなたは本当に連れてくるだけでいいの。」
悪どく憎しみを込めた低い声で語る相良に、俺は引き取られた後の美緒子の身を案ずるような気持ちさえ湧いた。
「あなたは想い人を連れ去っただけ。誰もあなたの所業を責めないわ。いえ、私が絶対にさせない。」
それでも渋る俺に相良は警察の書類を差し出した。
「それを読んでも行動を起こしたくないのなら仕方が無いわね。」
さらっと読んだそれは検死所見だった。
そして俺はあっさりと相良の仕事を請け負った。
更紗は頭部をこれでもかと完全に潰されてから燃やされていたのだ。