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金魚は完璧な池を泳ぐ  作者: 蔵前
最終章
63/64

婚約者と逢わせろ!

 天野拓郎の裏山の金庫は全て暴かれ、被害者の殆んどが亡くなっている事と天野に強請られていた内容から金の返還を求める声はなく、金は全て警察に没収された。

 その功績を長谷は認められ、上からかなりの評価を得たようだ。


 さすがの幸運の男である。


 そして、不幸の男がここにいる。


 更紗は週刊誌に悲劇の令嬢と報道されたが為に、またしても相良家にて虜囚の身である。

 だが、今度は無事だった父親も滞在しているのだ。

 彼女は守られ愛されて幸せである。


 正造は身の回りの品と、完璧の池の主様を携えて相良家にやってきた。

 監禁されていた四年近く、その不気味な出目金が彼の相棒で癒しだった模様である。

 出目金は相良家の完璧な池に放されて、更紗は父親と主様もいる相良家で楽しくしているはずだ。


 はずだというのは、俺に彼女と話し合う機会がないのだ。


「事情が事情だから婚約期間は長くね。そして披露宴は盛大に。」


 豪奢な着物を着た裏切り者の雛人形が、彼女の目の前の優美な洋装の女に微笑んだ。


「結婚式まで期間があるから色々計画できていいわね。」


 当人ではなく勝手にレースやら何やらを選び楽しんでいる優雅な女は、最近出来た相棒に微笑み返した。


 当事者ではなく、俺の母と相良が盛り上がって勝手に式の計画を立て、勝手に来年の六月に日取りを決められ、俺は付き添いなしで更紗に逢えない身の上に落とされたのである。


「六月の花嫁って、幸せになれるっていうでしょう。」


 俺の母が口にして、相良が更紗の「じゃあ、今すぐでも。」の抗議を潰した。


「親子水入らずで父親と過ごせる時間も必要よ。」


 当の花嫁の父で元大学教授は、生還してすぐに大学教授へと返り咲き、東京の自宅を売り払うと、完全に相良の家を拠点にして学会や現地調査と飛び回っている。

 ホヤホヤした彼は教授としては優秀であり、著名な植物学者でもあった。

 元伯爵家で現天野家の本当の財産は、天野教授の特許というロイヤルティーであるというから驚きだ。


 そんな良い話ばかりであるのに、隠れて更紗と口づけている所を発見されたばっかりに、俺は相良家に出入り禁止となった。

 あれほど俺に結婚を煽っておいて、いざとなると一年ものお預けとは如何なる事か。

 仕方がなく助勢を求めても、花嫁の兄同然の男は薄情だ。


「おい、誠司!更紗はどうした!お前が一緒ならば会えるだろう?連れて来てくれ。」


 隠れて相良家まで行き、更紗の呼び出しを矢野に頼むところまで俺は落ちぶれたのだ。


「駄目。竹ちゃんに内緒で会わせたら俺が耀子に殺される。あいつは式の準備に命を掛けているからな。外で会えるんだから良いでしょ。密会は頼むから諦めてくれ。」


「離れて見合って食事か茶を飲んで終わりって、あんなの、逢った内に入らないだろ。」


「映画館も、ドライブも、海水浴も、あんたが更紗に手を出そうとするから、そんなお茶会かお食事会のみになったんでしょ。ちょっと盛り過ぎだよ、あんた。」


「いいから連れて来てくれ。式前に二人だけで話したいことがあるんだよ。」


 矢野は俺たちの結婚よりも早く姓を変えた。

 現在相良の正式な息子の相良誠司は、眉根を寄せて俺を蔑むように睨んだ。


「お前、俺の妹を結婚式前に手篭めにしたいってほざいているのかよ。」


「散々、結婚前の娘を俺に押し付けていた奴の言う台詞か!お前は更紗が大事じゃないのか?俺が更紗に会えずに今日死んだら、お前は更紗に許してもらえるのか?」


 矢野だった誠司はそこで大いに噴出した。


「情けない!竹ちゃん情けない!」


 彼はここが家の前の私道であるというのに、腹を抱えて俺を笑うだけだ。

 畜生。

 結局会えないままスゴスゴと俺は自宅に帰り、田辺に当たった。


「相良家を停電させて火を出してきて。得意でしょ。」


「何を言っているのですか。放火は重罪ですから嫌ですよ。」


 俺はガタっと大きな音を立てて台所の椅子から立ち上がると、寝間へと向かった。


「隊長!ご飯は!」


「煩い!会えるまでハンストしてやる!そう相良と母に伝えておけ!」


「隊長!情けないです!」


 婚約者にまともに逢わせて貰えない男に、誰も可哀相だと思いやらないのか。

 ズンズンと歩いて自室の扉をバっと乱暴に開けた。


「ご飯は食べて。」


 俺の寝間に婚約者がいた。

 寝間で微笑む彼女はレースの前立てがある白シャツにグレーのキュロット姿だった。

 彼女の長い漆黒の髪は、着ている白いシャツに纏わりつくように流れて、艶やかに光っている。

 卵型の綺麗な輪郭の顔には、黒く長い睫毛に縁取られた印象的な黒曜石の瞳が輝く。

 俺は引き寄せられるように彼女に近付き、彼女の前にペタンと跪き彼女を抱きしめた。


「恭一郎に逢いたくて家出してきちゃったの。」


 俺が抱くとケケケと笑う生き物ではなくなる俺の婚約者が、腕の中でクスクスと心地の良い笑い声をたてながら俺に耳に優しく囁いた。

 ああ、腕の中の恋人は幻影ではない。

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