思い出の家には
和泉は私を待っていた。
竹ノ塚家の玄関を出てすぐに、彼の車が止まっていたのである。
あからさまだ。
ここで恭一郎が私を止めても、私自身が和泉の車に乗り込むのは確実なのを知っていて、和泉はここに車を止めたのか。
和泉は恭一郎に不甲斐なさを与えたかったのだろう。
彼が拓郎や姉にそんな気持ちにさせられていた時のように。
しかし和泉が期待した様に恭一郎が自宅から飛び出て私を追いかける事も無く、無駄な時間を数分だけ費やした車は、不機嫌となった和泉によって発進した。
その後は、長い、ひたすら長く感じるドライブが続いた。
車が進む道はなんとなくどころか懐かしい道のりで、だからこそどんどんと不安が増していった。
ガタガタと山道の舗装されていない道の振動と山の土と緑の匂いは、故郷に帰ってきたと懐かしい思いを湧き出させているのだから。
あの日、トキ達に連れ去られた日に、山ならば助かると強く思い込んだのは、私の忘れてしまった記憶が刺激されたからだろう。
山で遊んだ記憶、それこそ恭一郎が私を見守ってくれていた記憶ばかりなのである。
「どうして村に来たの?」
「君を捨てたお父様がいるからだよ。彼は生きていて自分の身大事に隠れていたんだ。」
これは和泉の嘘ではないと確信し、そして、父が生きていた事に私は感謝もした。
昔の自分だったら一人で逃げた父を責めただろう。
けれど、虜囚だった二年間は私を変えた。
生きるためには仕方が無いのだと、父の行動を当たり前だと受け入れていた。
自分一番に考えないと生き残れないのだからと。
「父さんに会ってどうするの?」
「君との結婚を認めてもらうんだよ、勿論。君は父親の承認を受けて私との結婚だ。未成年の君に権利があるのは本物の父親だけさ。さぁ、着いた。お父様と大声で呼ぼうか。」
目の前には私の子供時代の家だ。
恭一郎との思い出もある幸せだった場所。
父がここに逃げ込んだのだと知ると、私は父を許せる気がした。
父は私との思い出を捨てていない。
車は見覚えのある記憶そのままの屋敷の前に到着し、私は促されるままゆっくりと車から降りた。
だが、降りたまま立ち尽くした。
あそこに父がいるとしても、この和泉と連れ立っては危ない気がしたのだ。
「ほら、早くお父様の所に走ってお行き。お父様は家から出てこれないからね。」
私は心のうちに湧き出た恐怖を飲み下した。
父は和泉の手下に捕まえられている?
もしかして、父こそずっと虜囚だったの?
「あ、あなたは、どうしてそんなにも私と結婚したいの?」
動かない私の腕を引っ張り、家へと歩き出しながら和泉が答えた。
「君が遺産相続人だからだよ。天野家のね。正造が死ねば全財産が君のものだ。正造が行方不明だった事で凍結されている財産はまだ沢山残っているんだよ。いや、日々増え続けていると言った方が正しいね。」
私はおかしくなって笑い出していた。
「私は嫡子じゃないわ。愛人の子よ。父が生きている間は可愛がってもらえるけど、亡くなったら財産など貰えない立場よ。」
和泉はハハハと大きく笑うと、ズカズカと我が家のように玄関を開けて、靴も脱がずにたたきを上がって応接間の方へと、和泉は私を引き摺るように連れて行った。
「本当に絹子も美緒子も屑な人間だ。君こそ正当な本妻の子だよ。絹子と正造は再婚で、美緒子が絹子の連れ子だ。だからこそ美緒子と絹子は金に固執していたのさ。絹子と麻子、どちらも美しい姉妹なのに、正造が選んだのは君の母親の麻子の方だ。君を虐めていたのは憎かったんだろうね、絹子が。あの女が美緒子まで歪ませていたのさ。」
居間の扉を開けたら父が何時もの自分の椅子に腰掛ており、私の姿を認めた途端に父は私が和泉から聞かされたばかりの知らなかった母の名前を唱えた。
あさこ、と。
そして彼は立ち上がろうとしたが、両隣のスーツ姿の男達によって座り直させられた。
彼らはいつもの和泉の手下とは違う雰囲気で、大柄過ぎなくても普段の黒服よりも固く怖い存在感を醸していた。
「あぁ、お父さん。」
懐かしい居間は外の明るい夏の天候にもかかわらず厚手のカーテンがきっちりと締め切られ、蒸し熱い部屋は空気まで重く感じる。
父は居間のソファセットから少し離れた彼お気に入りの大型の椅子に座って、いや、座らされているのである。
大人二人が座れる程大きくてずっしりと重厚間があるこの椅子は、父の祖母の特注品であり、光沢のあるじゃガード織りの裂地には綿が沢山詰められてふかふかで、座り心地がベッドのようなのだ。
幼い私を父が抱えて座っていた思い出の大事な椅子である。
そこには思い出ではなく、青白い顔をしているが、生きている父が座っていた。
久しぶりの父親は、大きな椅子の中で小さな子供のようにしての囚われた姿だったが、だけど、私の大事な父は生きていてくれたのだ。




