私が求めていたのはあなただけ
「欲しかったら買ってやろうか?」
誠司はとても目聡かった。
ウィンドーに飾られた柔らかい色合いのカーディガンを眺める私に、いつものからかう顔付きでなく、妹思いの兄の顔で聞いてくれたのだ。
「まだ十六歳のお前を、いい年した大人の男が迎えに来れないだろ。誕生日は来年も来るんだ。お前の言う婚約者にあれ着て写真撮って送りつけたらどうだ?そしたら来年迎えに来るぞ。お前は外見だけは可愛い女だからな。」
耀子の大好きだと言う誠司の笑顔は、私の心が温かくなるほどの素晴らしいもので、私もとても大好きだ。
私はどうして誠司には恭一郎に抱いた気持ちが湧かなかったのだろう?
いいえ、彼だって私をそのように見たことは無いではないか。
彼はいつも私の兄でしかない。
そして私はそんな兄に、自分の内緒だった決心を語ったのだ。
「迎えに来たら困る。私は誰とも結婚しない事に決めているから。だからいい。」
そう、決めていたのだ。
少年の格好で少年のように振る舞い、誰とも結婚などせずに行きていこうと。
それが私によって不幸になった人達への贖罪だと。
十六歳の誕生日は、もしかしたら父が戻ってくるかもしれないと言って、誕生会をしようとする相良を振り切って自宅に一人で帰った。
幾度待てど父は帰らず、しかし、夜中に玄関が開く音で私が叫んだ言葉は、「お父さん」ではなく、「恭一郎」だった。
相良の家に帰らない私を迎えに来た誠司は全部わかっている顔で黙って私を抱きしめ、私は彼の胸に顔を押し付けて自分が泣くに任せたのだ。
情けない私は、自分で決めた罰から逃げ出したかった愚か者だ。
だから、……この逃げ出せない状況を喜ぶべきなのだ。
姉と拓郎を和泉に殺させたのは私だと、私は自分の一生を償いのものに変えるって、ほんのさっきにだって誓ったはずでしょう?
「死んだのは更紗と拓郎だ。お前は美緒子としてこれから俺と住む。刑務所には入りたくないだろう?」
「どういうこと?」
私を犯人に仕立てて警察に突き出すつもりではなかったのか?
立ち止まった和泉は掴んだ腕を放すと今度は両手で私の顔を掴み、彼の唇を押し付けた。
「お前は美緒子よりも美人だよ。利かん坊だがあいつよりも優しくいい子だ。」
再び私に口づけ、今度は舌で私の口の中を探ってきた。
私は初めて出会った和泉の姿に呆然とした。
悩み辛そうな顔をしていながらも、それでも私や父に優しく接していた好青年はどこに行ってしまったのか。
私は和泉によって、生まれて初めて恐怖を感じ、怯えて体が動かなくなってしまっていた。
「可愛いよ。チンピラじゃ女の喜びも教えられないか?獣みたいにヤルだけか?」
私の臀部に和泉の手が嫌らしく這い、そしてギュッと捕まれた。
その時にようやく私は「嫌だ。」と体が動いた。
なんて私は傲慢で残酷な人間だろう。
こんな贖罪の方法は嫌だと全身で拒否したのだ。
そんな権利などない癖に。
「嫌だ!私は刑務所に入ってもかまわない。お前は嫌だ!」
考えるまでもなく言葉がほとばしり、和泉を両手で突き飛ばした。
そして言葉に鼓舞された私は、身を翻して一心不乱に走り出した。
町へ、人のいる場所へ、殺人者となっても和泉に触れられない場所へと。
真っ暗闇の県道に飛び出した私は、数年ぶりに素の更紗に戻った。
誰もに呼ばせた「テン」ではなく、身の内に隠していた「更紗」だ。
更紗に戻った私が出来ることはただ一つ。
美緒子と和泉の不幸な結婚を目の当たりにして、自分が諦めた想い人の名前を叫んでいたのだ。
叫びながら県道をひたすらに走り続けたのだ。
確実に殺される気がしたから、大好きな彼の名を叫んで更紗として死にたかった。
「恭一郎、恭一郎!助けて!私はここだよ!恭一郎!」
車のヘッドライトがぐんぐん迫ってきて、私は完全に避けきれず、いいえ、恭一郎の記憶を胸に抱えて立ち止まり、そこで弾き飛ばされた。




