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取り戻したのは記憶と罪業

 温かい腕。

 私はその腕に信頼と安心を与えられて全てを取り戻した。


 昨夜は男だけの話し合いから戻った恭一郎に翻弄されて、私は完全に戦意を失い、和泉の家を襲撃することさえ忘れてしまった。

 私は誠司と田辺が私達だけを残して消えてしまった事を恭一郎に聞かされ、そして話し合いの内容を尋ねる前に、恭一郎に唇を塞がれたのである。


 それはどんどんと深くなり、私は嫌がるどころか歓喜に震え、戒めを解きながら私を撫でつつ抱きしめる恭一郎に夢中になっていた。

 私達は気づいたら恭一郎の寝室だ。

 いや、気づかなかったのは私だけ。


 私は着ていたワンピースを恭一郎に取り払われ、今やシュミーズ一枚になって彼の布団に転がっている。

 けれど彼は最後まですることはせずに、ぎゅっと私を抱いて横になって愛撫を続けるだけであった。


 私は彼に求められる事で完璧な世界の完璧な存在になれた気がした。

 そうして完璧な存在になれたからこそ、私は全てを思い出せたのである。


 私は和泉に罪を被せられ、和泉への同情により逃げる機会を失ったのだ。


 父を殺した拓郎を糾弾するために拓郎の家に飛び込んだ私の目には、杭打ちの木槌に血塗らせて立っていた、和泉の後姿だった。

 彼の横には爪先立ちで拓郎がプラプラと揺れている。

 拓郎の首にはシャンデリアに繋がれた帯締めが巻きついていた。

 まるで蛇のような金の光沢を残している、下品で毒々しい色合いの紐。

 美緒子の血で染まった彼女のお気に入りの帯締めだ。


「遅かったね、俺が全部始末してしまったよ。君もそのつもりだったのだろう。」


 和泉は私の手元を見て笑った。

 ぎゅっと握り締めた私の右手には、誠司から護身用と貰ったナイフが輝いていたのだ。

 これで拓郎を脅して警察に連れて行こうと考えていた。

 連れて行く前に父の遺体のありかも聞きだすつもりだった。


 ぐしゃ。


 気味の悪い音が静寂を打ち破った。

 和泉が女性の遺体に再び木槌を振り下ろしたのだ。

 振り下ろして、ハハハと笑いながら遺骸を爪先で蹴った。


「この女は俺を破滅させたんだよ。俺が裸一貫で興した会社の金を盗んだせいで不渡りだ。俺の会社はお終いだよ。」


 和泉の苦労は知っていた。

 和泉の苦労は、私が憧れた人を美緒子に渡したくないが為に起こした行動によるものだ。

 全部私が悪い。


「これを掴むんだ。」


 血濡れの木槌の柄を持たされた。

 あぁ、和泉は手袋をしている。

 木槌には私の指紋がべったりだ。

 血まみれの木槌を触った手のひらも血まみれだ。

 その手を和泉に掴まれて、私の手のひらが壁に押し付けられた。


 白い壁紙に私の手形が付いた。


 恭一郎の右手のように二本足りない手形。


「お前が殺したんだ。俺は警察にそう伝える。同棲していたチンピラと共謀して富豪の未亡人の身代を狙った女だ。信じるだろうね。」


 彼はそう言いながら私の横に身をかがめ、私の足元、室内側の戸口に置いてあったポリタンクを取り上げた。

 彼は死体の所に戻り、美緒子の上にポリタンクの中身をぶちまけ、空になったポリタンクを彼女にぶつけるようにして投げ捨てた。


 この状況を招いたのは私だ。

 私は狂気の光を目に宿してしまった和泉の言うとおりにしようと覚悟した。

 義兄は優しい人間だったのに、こんな残虐な男にしたのは私のせいだ。


 しゅっとマッチをする音。

 美緒子は炎に包まれメラメラと異様な臭いを放ち始めた。


「外見が綺麗なだけの中身が腐った女だ。燃やすのが一番だろう?」


 火の前に立つ和泉の背が恐ろしいものでなく、悲しいものにしか見えなかった。

 この事態を招いたのは私自身の咎なのだ。

 私が殺人者として自首をしよう。


「お前がいなければ我が家は完璧だったのに。」


 美緒子も絹子も私のせいで父に愛されないからと、お金に固執していたのだ。

 父も愛人の子ではなく本妻の子供を可愛がれば良いのに、姉と母に一線を引いていた。


 乱暴にグイっと腕を掴まれて物思いを破られた私は、腕を掴んだままの和泉に外へと連れ出された。

 人目につかないように裏口に停められた和泉の車。

 あれに乗ったら全てが終わると足が竦んだ。全て?私は姉の結婚で全てを捨てたのではなかったのか。


 姉と和泉の不幸の様を見て、私は少女である事も夢を見る事をもやめたのではないのか、と。

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