小悪魔の後を追い
俺の目の前に現れた少女、更紗。
十一歳だという彼女は頭を殆んど坊主に刈り上げており、上品な紺色のワンピースを着ていたが、坊主頭のせいで全く似合わない姿でしかなかった。
そのちぐはぐさはもとより、彼女の顔のアンバランスに俺は驚かされていた。
南方の猿のような大きな目だけが爛々と輝いて目立つ、可愛いとも綺麗とも褒められない外見で、日本の風景というよりは母の大好きな絵に似合いそうなのだ。
そんな外見だからか、彼女は俺の顔に何の感慨もなく俺にニコっと笑いかけると、俺の心が砕けるようなことを言い放った。
「お前はつまらない奴だね。それで私の兄になるなんてがっかりだ。」
その一言の後、彼女は父親に振り返ると、挨拶したから良いでしょ、と言う。
挨拶?挨拶か?今の。
「こんな似合わない服をさっさと脱ぎたい。一昨日仕掛けた罠の様子も見たいからいいでしょう。」
気持ちの良い教授は消えた妻子どころか、本当に無作法な子供を叱る事もせずに、「うんうん」と嬉しそうに娘に頷くだけであり、笑顔を満開させてもいる。
「今日はうなぎかな?」
「多分ね。誰も仕掛けられない所だから。それに大雨で昨日は川がかなり濁っていたもの。捕れていたら父さんが捌いて下さいよ。」
「君がやりなさいよ。」
「嫌ですよ。捕まえるのは楽しいけど、うねうねして面倒なんだもの。」
「うなぎはきゅうって鳴くから、僕だって嫌ですよ。」
客人の俺をそっちのけで「うなぎ」をどちらが捌くかで揉め始めた。
俺はこの近辺を歩いて癒されたい気持ちになってきたが為に、「私がしますよ。」と口を挟んでしまった。
「お前、少し使えるね。」
「ハハハ。」
俺は自分の情けなさに跪かないでいるのが精一杯だったが、その後すぐにこの無作法親子からは開放された。
そこで悪魔の家を抜け出した俺であったが、散歩途中で見かけてしまった悪魔の子の後を何の気なしに付けていた。
別に幼い子が好きなわけではない。
甚平を着てうなぎを入れるバケツを持って、テクテク山道を歩いて行く姿に興味を持っただけである。
彼女はどう見ても普通以上にやんちゃな男の子の姿でしかなかった。
あんな小さな体で誰も仕掛けられない所に罠を仕掛けたなどと吹聴したのだ。
罠というものに一見識あると自負する俺としては、見届けたいと考えるのは当たり前だ。
テクテクと歩いていた更紗がピタっと止まると、俺にクルっと振り向いた。
「どこに仕掛けたか見たいの?」
「見たい。」
俺の即答に彼女は目を輝かせ、本当に嬉しそうな笑顔になった。
それは、この子は美人になるのかもなと、なんとなく思わせるほどの笑顔だ。
「付いて来て。でもね、見るだけだよ。私が沢に降りてもついてきちゃいけないよ。」
「内緒の仕掛け場所を知られたくない?」
俺の返答に彼女は俺を見上げて小首を傾げてニヤっと笑った。
「着けば判るよ。」
言い放つと彼女は再びテクテクと歩き出す。
何事も無いように獣道を。
俺は子供の後を大人の威厳を持って余裕の顔で付いて行きながら、数分もせずに「子供じゃないからこんな獣道は楽しくないよ、もう帰りたい。」と心の中は後悔で一杯だった。
「俺は何をしているのだろうな。」
そろそろ余裕の顔が出来なくなった頃に、彼女はここだよと声を上げた。
俺は彼女の脇に立ち、その風景に心が踊った事を知った。
数メートル下に清流が流れる渓谷。
鳥の声が満ち溢れ、緑で彩られた世界。
暖かで涼やかな色彩に溢れた世界だ。
灰色で凍てつくだけの荒野のなかで、俺が毎晩、いや日中でさえも夢見た風景だ。
「じゃ、約束どおりにそこにいて。思った以上に濡れているから動かないでね。」
彼女の声にはっとして彼女を見ると、甚平の子供は、バケツをその場に残してツーと清流の近くの所まで降りて行ってしまったのだ。
この真下に仕掛けが?
川の流れは上からでも早く、そして水面を青く輝かせた川底がかなり深そうなのが土手の上からも見て取れた。
子供が落ちたら危険な場所だ。
「危ないでしょ。ここは駄目だよ。更紗!ちょっと!」
俺は大きく叫び声をあげるや、彼女を追って急斜面を降りていた。