もう帰れない
私は相良を見返した。
相良は私に母親の様な優しい笑顔を向けてくれた。
ここで席を立ったら彼女の元に戻れないと私の中の私は私に囁くが、それでも、私を抱き締めて慰めてくれたミヨに暴力は向かわせてはいけない。
私の脳裏に、和泉に殺されたトキの、散々に殴られていたらしい顔を思い出し、殴られて腫れた顔がミヨの顔に変わってしまった。
ああ、私は行かねばならない。
「ごめんなさい。耀子さん。私は部屋に戻ります。」
「誠司が信じられない?あの子に任せておけばいいのよ。あなたは昔はそうだったでしょう?ぜーんぶ誠司に放っていたわよ。だから大丈夫。」
相良は母親の顔で私に微笑むが、誠司は人殺しと対峙した事は無いはずだ。
「ごめんなさい。お腹が痛いの。誠ちゃんは私にご飯を食べさせ過ぎる。」
「確かにね。」
微笑む相良を残し、私はそばかすの女中に連れられて食事室を出た。
急がなければと気が焦りながら、私は階段を駆け上がり、自室に戻るや出来る限りの速さで着替えようとクローゼットを開けた。
サイズが合わないからと耀子が買い足してくれた服は、ワンピースやスカートばかりでズボンがない。
それも全て女性らしい優しいデザインだ。
「これじゃ戦えない。」
小さくても昔の服が無いかクローゼットの中を探。ながら、自分の呟いていた言葉の内容に気がついた。
「戦う?何言ってるの私は。目的は和泉と話し合いでしょう。」
自分の言った言葉を打ち消したが、それでも裾がフレアーになっている黄色のワンピースが一番動きやすそうだと選んで着た。
「うわ、これは思った以上に体の線が出る。」
ウエストでぎゅっと縛るせいか、胸が強調されてしまうデザインだった。
「奥様、お早く。」
女中が急かす声にストッキングを履こうとする手が止まり、面倒になってガーターも外した。
「素足でいいか。で、靴は。」
適当にクローゼットの靴箱の中を探ると、見事に華奢な靴しか置いていない。
「奥様!」
仕方なく素足でも履けるだろう、甲リボンで飾られたサンダルをつっかけて部屋から出た。
そして部屋の前で待つ彼女に連れられて相良の家を出ると、そこには既に用意されていた車が私を待っていた。
トキに誘拐された時の事を思い出して、胸が重苦しくドキンと鳴った。
「さぁ、奥様早く。」
「電車で向かわない?」
女中は返事代わりに私を車に押し込んだ。
「ご心配なさらなくても、旦那様は全てお許し下さるそうですよ。」
ニコニコ笑う女中にトキの姿が重なった。
彼女は私のことを考えて味方のような振りをしながら、完全に敵であった。
この人も、そうだ。
暫く走った車は、見覚えのある家に到着した。
「さぁ、家出は終わりだ。中に入りなさい。」
車のドアが開けられて、腕をグッと掴まれて引っ張り出された。
私は諦めて牢獄の前に立つ。
私が更紗ならば、いいえ、美緒子であっても身内を殺した咎を受けねばならないのは当たり前だと、覚悟を決めて一歩敷地内へと足を踏み出した。
「君は更紗に戻ったよ。私が君を生き返らせた。君が私のところで私の子を孕んだら、美緒子のままでは問題が出るだろう。」
自分が本当に更紗の方であったと理解した事よりも、背中に置かれた和泉の手に全身が逆毛立つ程の嫌悪感に震えた。
「更紗であなたの私生児を生めと?」
ハハっと和泉は笑い、耳元に嫌らしく囁く。
「ちゃんと結婚してあげるよ。美緒子の死で僕も晴れて独身だ。さぁ、家に入って書類を書いてしまおうか。ねぇ、康子。君が証人になってくれるだろう。」
康子という名だった女中は嬉しそうに、勿論ですと、答えた。
「彼女はね、矢野の恋人だったんだよ。君のせいで振られてしまった可哀相な人だ。君が矢野の庇護から抜ければ彼女が幸せになれると思わないかい?」
康子は和泉の言葉に頬を赤らめたが、反対に私が青くなった。
私は誠司の幸せまでも壊していた邪魔者だったのだと。




