昨夜の意味の分からない男と朝刊にある意味の分からない事件
日は昇りそして沈む。
同じ事の繰り返しの中、今日も無為に過ごすのだろうと、私は自分の不甲斐なさを呪った。
せめてみんなが望むように記憶を取り戻したいのに、頭の中は靄に包まれていて一向に思い出せないのだ。
やはり和泉の言うとおりに私が殺人を犯して、罪から逃げるために記憶そのものを捨てたのかもしれない。
誠司や相良、そして竹ノ塚が語った私の姿は私のようで私ではない気がするのだ。
私はそんな思い切った豪快な女ではない。
昨夜だってと思い返した。
昨夜というか今朝方のまだ暗い時分に、変な男が部屋に忍び込んできたのだ。
枕の下の箸を握り、何かされたら刺してやろうと構えた。
だが、男は忍んで来たくせに、寝室の明かりをパッとつけるや、私に「顔を見せて。」と言ったのである。
聞き覚えのある声に言う通りにしようと瞬時に考えたが、勝手に部屋に入ってきたうえに誠司の時ほど信用できない声だ。
それで私は被っているタオルケットを男に投げつけて逃げようとしたが、足を払われてベッドに飛ばされ、腕を捕まれて簡単に押さえつけられてしまったのだ。
「久しぶり、天。今日はこっちも違法行為中だから逃げなくても大丈夫だよ。」
中肉中背くらいの体型をしたその男は、童顔の人の良さそうな笑顔を浮かべている。
けれどもそれは、嘘吐きの顔。
誠司の顔を初めて見た時と同じく懐かしい感じはするが、誠司と同じく殴りたくなる顔だ。
なぜだろうかと私が逡巡している間に、男はぱっと私から手を離した。
「じゃあ、これで。」
そして部屋を出て行こうとするが、彼の手にはいつの間にか私が隠していた武器としての箸が握られていた。
「え?あなたは何をしに来たの?」
「こういう場面では、男に何もされなくて良かったって、女の子は考えようよ。」
意味のわからない男は、電気を消して意味がわからない私を暗闇に落とした。
「お休み。」
そしてそのままその男は去っていったのだ。
何だあれ?
私はその後一睡も出来ずに朝を迎える嵌めになったのだ。
何だあれ?と。
「どうした?ぼんやりして。変な顔だぞ。」
安心できる殴りたい男が、何時もの安心できる口調で私の目の前に料理を置いた。
彼は私を肥え太らせる事に決めたらしい。
彼の気持ちは嬉しいが、量が多い食事を頑張って食べるのは少し苦痛だ。
食べ終わるとお腹が重くて、牛か犬のようにゴロゴロしないと動けない。
「誠ちゃん、もう少し減らして。お願い。」
初めてのお願いだが、誠司は眉毛を上下させ、にっこり笑って自分の皿に私の皿の料理を少し取り分けて量を減らしてくれた。
もっと早くお願いすれば良かった。
なんだか負けた気がするけれども。
「ありがとう。」
「どういたしまして。それで、今日はどうしたって。変な夢でも見たか?」
私の向いに座り彼は新聞を開いた。
新聞で誠司の上半身はすっぽりと隠れたが、ひょいひょいと料理を掬うフォークが新聞から現れては消えていく。
その様子をなんとなく眺めていると、新聞のおどろおどろしい見出しに目が留まった。
作業現場で人骨発見?
和泉建設の黒い噂?
「どうせならもっと真っ直ぐ立てかけて、私が読めるように。」
誠司は私に見せていた面をチラッと確認すると、フハハハと心地よい笑い声を響かせてバサッと新聞の上部を折った。
誠司の顔は見えるが、私に見える新聞は逆さまの別面だ。
「いじわる。和泉がどうかしたのか知りたいのよ。」
私の抗議に、誠司は本当に嬉しそうに笑い声を立てた。
誠司の説明では、私は彼を兄のように慕い尊敬し、いついかなる時も頼り切っていたという。
嘘臭い。
「お前は女じゃないからさ。弟。俺の弟分なのよ。」
和泉に女扱いされていた気持ち悪さを思い出すと、彼のその言葉に頭にくるどころか清々しく嬉しくなったのに、竹ノ塚には女性に見られたいとは変な私だ。
「和泉はもうお前に関係ないから気にするな。それで、その変な顔はどうしたって?」
「いいじゃない。私だって意味がわからないのだから。それよりもまずその新聞の記事を先に読ませてよ。」
誠司は嫌味たらしく大きく溜息をつくと、子供に読み聞かせるように記事を読み始めた。
あくまでも私には新聞を渡さないつもりらしい。
もう!




