天野家
「あなたは妹の方が気に入っていたのよね。弟のように可愛がって。」
俺は自分の右手の欠けた指を見て、そして銀のスプーンに写る自分の影を悲しい思いで見つめた。
俺の顔には、右の頬と額に凍傷で皮膚が剥けたためにできた赤い痣がある。
シベリア抑留で受けた傷跡だ。
右手の指もその時に失った。
薬指と小指の第二間接から上が、凍傷によって腐れ落ちたのだ。
戦争が終わった三年後の昭和二十三年、その年にようやく俺は日本に戻り、婚約者だった女性が弟と結婚して、弟が父の後継者として俺の後釜に座っていた事を知った。
だが、それはどうでもいいことだ。
疲れきって帰国した俺は、愛してもいなかった婚約者と、継ぎたくも無い家を受け持ってくれた弟に感謝さえしていたのだ。
けれども、そんなことは家族にも他人にもわからない。
俺は可哀相な存在として、東京近郊の山村で疎開を続ける天野家に療養という名で送られてしまったのだ。
美女と名高い美緒子の婚約者として。
勝手に決められた婚約者だが、田舎で子供を持ちのんびり百姓をするのもいいかとも考えて了承した。
このご面相になってからの俺は、上流社会の集いにおいて結婚したい男から見るのも嫌な男に変わってしまったのである。
可哀相と近付かれては、まず俺の顔を真っ直ぐに見る事も出来ないと目を背けられ、背けた先にある俺の右手の指の欠損を知って眉根を顰められ、去られていくの繰り返しだ。
それで俺は両親の言うがままに旅行鞄に新品の服を詰め、帰って来たご褒美と買い与えられた車に乗って天野家に向かったのだ。
実を言うと俺は車に夢中であった。
乱暴に消されたどこぞの社名が車体に残る、戦中戦後に徴用された15T型ダットサンのライト・ヴァンだったが、この老兵を与えられた時の喜びは筆舌に表せない。
実は動かないと父に告白されても、俺は「お父様!」と抱きしめてキスをしたいほど、帰還してから初めて心が浮き立ったのだ。
俺は毎日何時間も車の整備に没頭した。
車体は大好きな空色に塗り直し、エンジンを解体して修復してのこの作業は、自分を再生している様でもあり、車と一緒に自分の心体までも回復していくような気がした。
そうしてこの車で遠出をしたいと考えていた処での療養話である。
一も二もなく受けるのは当たり前だ。
そこは東京から車を一時間ほど走らせた所で、七月末の真夏の青々とした田んぼに点在する民家の趣が、戦争の傷跡など見当たらないのどかさを醸していた。
俺はその風景にようやく故郷に帰れたような気持ちになったのだ。
それも、天野家に着くまでだったが。
東京の有名な政治家の息子が婿になると喜んで出迎えながら、俺の外見に父親は息を呑み、美貌の婚約者もその母親も歪んだしらじらしい笑みを見せるだけだった。
「生きて戻られて良かったですよ。あそこは本当に酷いところだったと聞いています。」
婚約者の父、天野正造は話してみると妻子と違い、実に気持ちの良い男であった。
大学教授の彼は、彼の帰ってこない教え子達の事を俺の傷跡を見て想ってしまったのだそうだ。
彼は自分の振る舞いと姿を消した無作法な妻子の事を何度も謝り、俺に一通り身の上や戦地の事を尋ねた後に、単刀直入に結婚の事を口にした。
「娘も妻もきつい性格ですからなかなか縁談が決まりませんでしてね。恭一郎さん、あの美緒子で本当によろしいのでしょうか。」
「よろしくないです。美人ですけど好みじゃないです。」
そう反射的に返したい気もしたが、男の方から縁談を断るのは無作法きまわり無く、滞在中に「縁談破棄」を天野家からして欲しいなと考えながら、当たり障りの無い返答をするに留めた。
丸顔に天辺が薄くなった癖のある髪を乗せた男は恰幅もよく、少々しょぼくれているところが「大学の教授」そのもので、俺は彼を気に入って義父と呼んでもいい気になってもいたこともある。
「まだ、お会いしたばかりですから。」
そこで、悪魔のような子供の笑い声が響いたのだ。
俺が振り向いて見たそれは、ソレとしか言いようがない子供であった。
それが更紗であった。