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この子に人は殺せない

 しかし、小悪党は小悪党でしか無いのか、ハハハハと和泉は気に触る笑い声をたてただけで、それで俺への返答代わりにした。

 その上、そのわざとらしい笑いをひとしきりあげると、彼はその残酷な本性を表に出して更紗を攻撃してきたのだ。


「罰ですよ。人殺しは罰を受けねばなりません。警察に突き出せば天野家に連なるものが完全に恥辱に塗れる。ですが、人殺しは罰を受けねば。そうだろう、更紗。美緒子はあれでも私の愛する妻だったのだからね。君が美緒子を苦しめて殺したのだ。その咎を受けさせたいと私が考えたのは仕方がないだろう。それとも警察に渡した方が良かったかね。」


 親友の少女が殺されてその敵を討つためにと、頭を自分で刈り込んで一年間少年の姿をして計画を練った少女だ。

 記憶を失っていてもそのままの気性であるならば、彼女には和泉の言葉は堪えただろう。

 だからこそこの男が許せないと、俺は思った。


「連れ帰りますよ。このまま更紗は美緒子として暮らさせます。人を殺せば無期懲役か死刑です。彼女には罪を償ってもらいますよ。さぁ、戻ろうか?」


 和泉の伸ばした手に、更紗は手を伸ばそうと動いた。

 矢野と相良は動けない。

 当たり前だ。

 和泉は更紗が戻らなければ、彼女を殺人者として警察に密告する可能性もあるのだ。

 更紗を守りたいが為に、彼らは更紗を守りきれない状況に陥らせられたのである。


「戻りませんよ。」


 俺は更紗の後ろに回ると、更紗が伸ばそうとする手をグイっと自分の方へと引っ張り上げて、彼女のその左手を両手で握り締めた。


「簡単な話じゃないですか。あなたは妻の記憶が戻ったら妹の方だったと警察に伝えれば良いのですよ。それで更紗は生き返る。更紗はね、どんなに人を憎んでも人を殺せない子なのですよ。婚約者の私が保証します。」


 再び和泉は笑い声を上げ、シャツををまくって自分の左腕を見せつけたのだ。


「この傷を見ても?彼女はとても攻撃的だ。」


 そこには肉をえぐられた醜い傷跡が残っており、俺は愉快になって大笑いだ。


「流石だ。素晴らしい。この子はいつでも戦士だ。」


 俺は更紗を今度は体ごと自分に引き寄せて、彼女を後ろから抱きしめた。

 七年前のあの夏の時のように、「さすが相棒だ」と彼女を褒め称えていると、ガタっと和泉が立ち上がる気配がした。


「いいのか?ここで美緒子として私と帰れば全てが丸く収まるよ。竹ノ塚の家族の事も考えてごらん。スキャンダルは政治家には痛いだろうね。」


 更紗は俺を押し退けようとしたが、俺が許さなかった。


「この程度のスキャンダルで失職する程度の男だったら、政界にいらないだろう。逆に俺の親父に君は喰われないかねぇ。あれは悪食だよ?」


「そういえばそうだ。あっちの方が大物だ!」


 矢野がワハハと、俺の言葉に同調の声をあげて喜んだ。

 だが、黒幕で事情通であれば、いくらでも毒は撒けるのだ。

 戦争は情報戦でもある。

 和泉はそれを実践するべくか、俺の更紗に止めを刺した。


「美緒子が金と男の賛美だけに拘ったのは、愛人の子に父親を奪われた身の上だったからだ。父親を求めていたのでしょうね。そんなあいつは拓郎が父親を殺した事を知って私に助けを求めた。あれは君に殺される前には改心していたんだよ。」


 和泉はスッと踵を返して応接間の扉を開けると、後ろも振り返らずに出て行った。

 俺の腕の中の少女の心を引き裂いて。

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