和泉の目的
居間に飛び込んだらそこは無人で、更紗たちは応接間に移動したのだと女中の一人が伝えてきた。
俺達は黙って踵を返して、応接間に再び走って急いだ。
「来るとは思わなかったよ。すごい厚顔だ。」
「更紗を美緒子にしておきたい理由はなんだろうな。」
ぱたと、矢野が立ち止まり、俺も彼の隣で足を止めた。
「どうした?」
「俺は大事な事を忘れていたよ!」
叫ぶと矢野は再び凄いスピードで走り去って、弾丸のように応接間に飛び込んでいった。
彼が応接間に飛び込むと、大きな声がそこから響いた。
「こいつは美緒子じゃなくて更紗だ。何の権利もないお前はさっさと出て行け!」
俺が矢野の怒号の後に応接間に入ると、更紗はがっしりと矢野に守るように捕まれて、矢野は殺気をみなぎらせて和泉を睨んでいた。
一方相良は息子待遇の男の勇姿に目を輝かせながら紅茶をすすり、睨まれた和泉は悠然とソファに座って矢野の視線を受け流していた。
また、和泉は俺が応接間に入るや茶を配る女中を自分が主人のようにして下がらせて、俺には小間使いのように部屋の扉を閉めて鍵まで閉めろと命令してきた。
更紗が矢野に守られているなら大丈夫だろうと俺はその通りにした。
俺が和泉を血祭りにあげるにも、人目のない此方の方が都合が良い。
「すいませんね。内密の話をしたかったもので。それにしても、雇って有能だと目をかけた男が、あの有名な相良のツバメだったとはね。どうりで人を誑し込むのが上手い筈だ。」
和泉は俺どころか、矢野と更紗にまで座るように王様のように手で促した。
「俺達はここで。どうぞ気になさらず。」
矢野は更紗を完全に背に隠す勢いで立ち塞がり、相良は両目に殺意を漲らして和泉を睨んでいる。
「私も立っていますよ。どうぞ、話したいことを話して、更紗を解放してお帰り願いたいものですね。」
扉の前に立つ俺に、和泉は蔑むような目線を寄越してから口を開いた。
「その姿じゃ嫁取りに必死になるのはわかりますけどね、彼女は人殺しなんですよ。姉と従兄を殺した殺人犯です。」
「こいつが美緒子と拓郎を殺す理由はないだろう。」
矢野の返しにハハハと笑い声をあげた和泉は、小馬鹿にした顔付きで矢野に向き合った。
「君だって調べて知っていただろう。美緒子と拓郎が更紗の大事なお父様を殺して財産を奪った事を知ったから殺したんだよ。更紗は気性が荒いからね。」
俺は和泉の言葉に、あのフワフワした人を疑う事を知らなそうな大学教授の面影を思い出した。
矢野の話から亡くなっているとは考えたが、事実を突きつけられて心が痛んだ。
「あの二人はお金が大好きでしたからね。最初は妻の所に押しかけていた義母を騙して連れ去って、そして彼女から盗んだ金がなくなると今度は正造だ。その上、私の会社の金まで盗んでの駆け落ちです。正義感に溢れた更紗が行き過ぎてしまったのは仕方が無いでしょうね。」
更紗は矢野の背からふらっと出てくると、力なくぺたんと相良の横のスツールに腰掛けた。
相良は青い顔で震える更紗を、母鳥が雛を守るようにしてぎゅっと抱きしめた。
矢野は更紗のその様子を目にして、彼もスッと近くのスツールに腰掛けた。
もちろん、何があっても自分が相良と更紗の盾に動ける位置の椅子だ。
「それでどうして更紗を美緒子に成りすまさせたんだ?」
何があっても更紗を守ると決めたらしき男は、何者にも揺るがない体で和泉に挑み、そして和泉は俺が答えるだろうと考えていた台詞を口にした。
「更紗を守るためですよ。当たり前でしょう。人殺しを隠すためだ。」
考えていた通りの台詞なら、こちらも簡単に言葉を返せるものである。
「違うでしょう、和泉さん。心中事件で済んだ事件だ。あなたが更紗をわざわざ美緒子にして連れ戻す必要はないはずだ。別の真相もあるのではないですか?」
例えばお前の罪を隠すために。
記憶喪失の女の記憶がいつ戻るのか、お前は怯えているはずだ。
あるいは天野家の遺産相続のため。
愛人の子でない美緒子として、更紗に成りすまさせる必要があるだろう。
俺は自分の目の前の和泉、俺が小悪人だと見做した男が次に吐くであろう台詞を待った。




