俺の更紗は狩人だった
あれは更紗で更紗じゃないものだった。
更紗の気性の上に作り上げられた、新たな別人格の人間だ。
あんなに優しくて俺に気遣いをしようとするあれは、傍若無人だった俺の更紗ではない。
長く濃い睫毛に縁取られた大きな目は黒曜石の瞳を湛えて煌めき、美しい卵形の小さな顔に納まっている。
唇は薄すぎず厚過ぎず、ぷっくりと膨らんでキスを強請る様に存在していていた。
さらに、坊主だった髪の毛は、今や腰までゆったりとウェーブを作って流れ、艶やかに漆黒の輝きを煌かせながら成長している体の線を際立たせていたのである。
ああ、俺の手の平に納まりそうな、あの細い腰に大き過ぎない丸い胸。
小さめの白いシャツに子供のようなズボンを履いていても、いや、その姿だからこそ、艶かしい女の姿を隠すどころかさらけ出していたのだ。
食事室のドアを開けて入ってきた女は、俺の夢の女神の姿そのものだった。
俺は彼女に思わず口づけ、そして、彼女自身の告白に、彼女が己を失ったまま美緒子だと思い込み、思い込まされたまま作り上げられた虚像に自分がキスをしてしまったと気づいて愕然とした。
これは、更紗が記憶を取り戻したら失われてしまう幻の女だと。
俺は一目で彼女の虜となり、虜となった事実と、絶対に失わなければならない恐怖を感じて、彼女の前から逃げ出すしかなかったのである。
なんて情けない男だ。
「あなたが欲しい。」
誰かにそう言われたがっていた事に、俺は今更ながら気がついたのだ。
誰も欲しがらない男になった自分を、実は情けなく思っていたのだと気づかされたのだ。
「お前は何て無能のろくでなしなんだ。」
あの日の更紗の言うとおりだ。
俺は壊された更紗の為に、あの女性を壊して更紗を取り戻さなければならない。
更紗は彼女とは違い捕食者で狩人だった。
キューピットを篭絡した美しきプシュケではなく、男を弓で射殺せる狩人で処女神のアルテミスだったのだ。
七年前の夏の日、俺は「行くな。」とわざわざ更紗に止められた蛇穴のある場所に潜み、更紗の計略を探ろうと試みた。
そして、その場所に着いて俺はすぐに、更紗の計略など探る必要もなく、その場所には既に更紗によって巧妙な罠が張られていたと認めるだけだった。
「誰をこの蛇穴に落すつもりだ。」
あの火薬では弾けて音が出る程度なことは俺にはわかる。
だが、それでも使い方によって罠をも作れる。
更紗が仕掛けた火薬の配置は、迷い込ませたものを脅して誘導し、最後には確実に蛇穴に落す目的のものだった。
「あの子は本当に子供か?」
危ないからと取り除こうとして、「絶対に弄るな。」と念を押されていたことを思い出した。
念を押して、近付くな。
「俺も仕掛けにいれたな、あの子供は。」
早朝に目覚めたのは、朝日を遮る障子が薄く開いていたからだ。
彼女は家を出る前に俺を起こして、俺にいつもと違う彼女の姿を見せ付けた。
あれはここに呼ぶための合図だ。
けれども、火薬の配置を見て別の事も悲しく気が付いた。
「俺が気づかなくても彼女一人で決行される。もしも俺が邪魔をしたら別の方法を使うだろうな。俺の居ない時に。」
これは更紗のメッセージでもあった。
邪魔をしないで見守るか、協力の二択しかないと。
「見守って協力だな。」
俺は溜息をついて身を潜める事に決めた。
もちろん、罠の修整をした後に。
仕方が無いだろう、俺は元工作兵だ。
罠は完璧を期さなければ意味がない。
また、落とす相手が大人の相手ならば、子供からは窺い知れない心理というものもあるのである。
俺による修正は必要不可欠だ。
いやいや、俺こそ罠を作るのが好きだと認めよう。
俺は鼻歌さえも歌いながら、更紗という新兵が作り上げた罠に手を加えるべく罠に向かい合った。




