私が私であったがために!
「竹ノ塚さん、ごめんなさい。七年前に恥をかかせてしまって。記憶を失う前の私は本当に馬鹿な女だったのだと思うわ。」
「君が謝る事じゃない。」
彼は目を伏せて答えた。
「俺が結婚をしたくなくてのあの結果だからね。君は悪くないよ。」
その言葉に私がなぜ悲しく感じたのか、それは悩むまでもない。
私がロクデナシだからだ。
この人が私を求めて七年間独身でいたのだと勝手に思い込んでいて、私と結婚したいわけでもなく独身でいたかっただけなんてと、知らされて勝手に悲しくなっているだけの話だからだ。
でも、竹ノ塚が結婚を望んでいない人だとしたら、これからの自分にはがっかりな情報では無いか。
がっかり?なんと私は利己的なのだろう。
夫が駄目だから次の男に乗り換えようと企んでいたのか?
やはり和泉の言うとおりの淫乱なあばずれなのかもしれない。
「どうしたの?やっぱり傷が痛い?」
私は首を振った。
「これから先のことを考えていたの。まず、夫と離婚したい。それから、働く所と住む所を探さなければ。」
「まず怪我を治そう。」
彼は柔らかくハハハっと笑いながら、左手を出して私の右手を握った。
それも軽くだ。
それなのに、握られたそこが電気のようにビリっとして、私はそれが信じられない気持ちで彼の顔を見上げた。
彼は私の握った手をぐっと自分の方に引き寄せ、私も引き寄せられ、なんということだろう、私は初対面の男性と口づけを交わしたのだ。
吃驚だ。
口づけと言っても軽く、唇に彼の唇が当たっただけだ。
けれどもそれだけで私は再び全身がビリっとしたのだ。
「あぁ、ごめん。」
彼は謝り、それだけでなく、凄く慌てた風にポケットからハンカチを取り出している。
ハンカチ?
私はそっと自分の頬を触り、涙を流して泣いていたのだと知った。
和泉に肩を触られただけで嫌悪感に見舞われていたはずが、今は初対面と同じような男と口づけなどをしたというのに、胸が高鳴っての完全なる幸福感に包まれているのである。
それなのに泣いている?どうして?
「和泉は私が愛人を捨てたから更紗が殺されたと言ったわ。もしかして、私は拓郎を捨ててあなたと浮気をしていたの?だから貴方がこんなにも好ましく感じるのかしら。」
私の頬をから涙を拭おうとした男は、ハンカチを握り締めたまま動きを止め、私の目の前で彫像と化してしまった。
「あの。」
竹ノ塚はやりかけていた私の涙を拭くという行為をしようとする自分の手元を見下ろし、そして、ふっと微笑むと、私にハンカチをそっと手渡した。
どうして拭ってくれないの?
そこで、私は気づく、私の顔には傷跡が残っていると。
目を瞑って手で傷跡を触った。
見えているときと違って凹凸が良くわかる大きな傷跡。
「やっぱり、傷のある女は嫌よね。」
「何を言っているの!」
私の思わずの呟きに、物凄い早さで叱責が飛んできた。
「そんなの全然傷跡じゃないだろう。白い綺麗な月が浮かんでいるだけだ。」
私は彼の言葉に、彼を惚れ惚れと見上げた。
私と同じようにして、この傷を月だと見てくれたのだ、と。
「ごめんなさい。私が貴方を選んでいれば、私は綺麗なままであなたに差し出す事が出来た。でも、私の傷跡をそんな風に言ってくれるのなら、私はあなたが欲しい。」
どうしてここまで初対面の、記憶を失った自分にとって昨日まで完全に他人だった男に拘るのか解らないが、私は涙が止まらなくて、とにかく恭一郎に抱きしめて欲しいと願うだけだった。
そうすれば全てが怖くなくなる気がした。
しかし私の告白に恭一郎は私を抱きしめるどころか、素晴らしい形の眉を眉間に寄せただけだった。
そして子供にするように軽く頭をポンと撫でると、私を置いて部屋を出て行ったのである。
取り残された私は、七年前に彼を捨てた自分を殺してやりたいと、真っ暗で何も見えない自分の過去そのものを憎むしかなかった。




