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あの子は大丈夫かな?

「あの生き物はなんですか?」


 俺が相良家に何事もなく到着して玄関ホールに入ると、田辺が人払いをしたのか使用人の姿も見えず、間接照明だけの薄暗い寒々とした雰囲気の豪華な空間に出迎えられたのである。

 ホールにあったソファセットから立ち上がった田辺が俺の元へと動き、俺は薄暗い室内で思いつめた表情の田辺に、何を聞かされるのかと構えたところに、お疲れ様も何もなくその一言だ。


 俺には何事もないが、一応襲撃という難をかわしてきたのだから、「怪我はありませんでしたか?」くらい声をかけて欲しいと思った。

 自称「執事」ならば、主人の心配をまずしてあげようよ、と。


「どうしたの?」


「あれは女の子ではないですね。」


 田辺は更紗について信じられないという風に首を振りながらも、更紗について確信しているという風に言いきった。

 酷いな。


「今はどうしている?元気か?足の爪が剥がれているって聞いたけど、彼女の身体は大丈夫なのか?」


 俺の質問に田辺はフーと大きく溜息をつき、熟睡中ですよと、答え方はなんとも投げやりだ。


「車の中で運転席をガンガン蹴っていたと思ったら、こてって眠りこけてそのままです。相良が呼んだ医師が怪我の手当てをしましたが、その間も一切起きませんでした。何ですか?あれ。矢野はずーとその様子に笑っているだけで役に立たないし、相良も全然気にしていないしで、何ですか?あれ。」


 俺が田辺の言葉に笑いを迸らせていると、田辺は考えの及ばないという顔をして肩を竦め、それから言いにくそうに今一度口を開いた。


「背中の傷跡は酷いものでした。」


 その告白に、更紗が記憶喪失になるほどの大怪我を負ったのは事実だったと痛感した。


「その傷跡で体に変調を来たしているようだったかい?」


「おかしいです。」


 常に動いて飛び回っていたかんしゃく玉が、「痛い、痛い。」と縮こまっている姿が頭に浮かび、俺は後悔と罪悪感で胸がぎゅうっと絞めつけられた。


「おかしいって?」


 しかし、大怪我をして傷まみれだという彼女に田辺は同情した様子が一切無いどころか、普通に変だと彼が思ったままに答えただけだ。


「傷跡が子供の描いた線路みたいでしょうと、嬉しそうに自慢されました。」


 風呂敷を纏って猿飛佐助の真似事をして喜ぶ更紗の姿を思い出し、更紗が七年前の悪魔の子供のままだと知って、俺は彼女への懐かしさと嬉しさがこみ上げた。


「あれはね、女の子の姿をしたケダモノなんだよ。」


 田辺が「何を言っているんですか。」と答えるかと思ったら、「あー解ります。」だった。

 一体更紗はどんな風になっているのだろう。

 二年間の監禁が彼女を壊していないと知って安堵もしたが、壊れての、幼児退行してのその姿なのかもしれないと思うと、胃がキリキリと痛んだ。


 一年に一度、彼女の誕生日に会って様子を見るぐらい、俺はどうして考え付かなかったのだろう。

 彼女の誕生日を知っていながら、俺は彼女に誕生日プレゼントを贈ることさえしなかったのだ。


 二年前の五月十二日。


 俺が約束のその日を忘れ去ってしまったから、彼女は、閉じ込められることが大嫌いな彼女が、その日から虜囚という酷い目に合ったのだ。

 そして、俺の薄情さの答えのように、今日までのその間も俺は彼女の何の助けにもならず、そして俺の助けなど必要ともせずに彼女一人で解決してしまった。


 またしても。


 情けない自分だが、まだできる事はしないといけない。


「田辺、すまないが二年前の更紗が心中したという事件を少し探ってくれないか?死体が更紗でなく美緒子だとして、洗い直した方がいいだろうと思ってね。」


「良いですよ。これから参ります。日光は良い所ですからね。」


 俺から旅費の封筒と車の鍵を受け取ると、田辺はそのまま相良家を後にした。

 ボーンとホールの大時計が時を告げる。

 俺は屋敷の階上を見上げ、そのいずれかの部屋で眠りこけている更紗の事を思った。

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