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天の味方

 斥候の矢野(やの誠司せいじが、機嫌が良いのか悪いのか解らない態で戻って来た。


「どうしたの。」


 俺の質問に答えもせずに、彼はドカッと書斎の応接セットのソファに座った。

 何か思い詰めているようなそんな顔だ。彼は俺の知り合いでなく、相良から派遣されて俺達の所に来た男だ。

 二十三歳の若輩ながら、彼女の個人秘書を務めるほどに有能で、かなりの武道派でもあるらしい。

 確かに大柄な体に厳つい顔の見合わせは、それだけで威圧感があるだろう。


 彼は田辺を見つけると「酒を下さいよ!」と声をあげたが、田辺は優雅に眉毛を動かしてみせただけで、田辺にとっては若造でしかない彼にコーヒーを淹れに台所に向かった。

 仕方なく俺がサイドボードの酒瓶の一つを取り出し、サイドボードに飾ってあるグラスの一つにそれを少し注いで渡してやった。


 矢野は俺の所に来た時に、自分の身の上を「てんに売られた者だ。」と紹介した。

 彼は更紗の事を「天」と呼ぶ。

 更紗が周りにそう呼ばせていたらしい。


 更紗は相良に見せられた写真の姿そのままで、少年のように振る舞い暴れまわっていたそうだ。

 俺が側にいなくても更紗は更紗のままだったのだと喜びもあったが、彼女には俺の存在など不要だったのだという少々の空しさも感じた。


 どうして十歳以上も年下の少女に自分が何の影響力がなかったと認める事が辛いのか、自分は彼女を忘れ去っていた癖にと、自嘲しながらその時は矢野を促したのだ。


「売られたって?何だそれは?」


 尋ね返した俺に、彼は秘書とは思えない無作法さで、今のように俺の目の前の椅子に勝手に座り、右手で虫を払うような動作をしながら答えたのだ。


「ハっ、そのままだよ。」


「そのままって?」


「チンピラをやっているのは仕事がないからさってあのガキに嘯いたらさ、相良の所に連れて行かれてね。気にするな、お前が使えない男だって証明するだけだからさってね。むかついて与えられた職務に励んで相良に認められたら、私に感謝しろよ、だよ。あのガキを俺が殴る前に俺以外が殺したって許せないだろう?」


 俺は久々の更紗の暴虐武人な話に大笑いだ。

 矢野も俺に釣られて笑い、そして二人とも目尻の涙を拭ったのだった。


 彼は更紗の通う女学校近辺を流していたチンピラで、更紗の学校の女が数人の男にからまれている所を助けた時に知り合ったのだという。


「お前いい奴だなって、偉そうに言うか?普通。まぁ、俺はさ、女が男に痛めつけられるところが嫌なだけだよ。男相手なら幾らでも悪さが出来るからね。でもあいつは暴れたいだけでね、困ったもんだよ。」


「暴れたいだけって、他にも何かあったのか?」


 矢野はウーンと片手で口を隠して数秒考え込んだ。


「どうした。」


「一杯ありすぎてさ。手軽に話せるって言うとあれかな。違法喫茶って知っている?半裸でいちゃいちゃして、それを客同士お互いに見せ合う目的の場所ってヤツ。茶ではなく破廉恥行為が目的だからカップル以外は入店お断りってね。俺は普通に人のいない所で邪魔されずに最後までやりたいけどね。」


 俺は矢野のあからさまに思わず噴出した。


「それで笑えないのが、そこに女学生が連れ込まれちゃったって所。外から覗け無い仕様の喫茶店に数人の男に連れ込まれちゃったのよ。あとは判るでしょ。」


「あの子は多勢に無勢で考え無しに飛び込んだんだね。そこを君が助けたんだ?」


「いや、計画通りって奴。」


「君の?」

「天の。」


 彼は嫌そうに右手を顔の前でヒラヒラさせると、続きを話し出した。


「連れ込まれたのが天。あいつはわざと連れ込まれたんだよ。ある女が乱暴されて一人で仕返ししようとして。その女が俺の仲間の女でね、俺達も奴らを探していたから間に合って良かったよ。相手も知っていて天を狙って連れ込んでいたからさ、喫茶店には愚連隊一同がお待ちかねって奴で。」


「それでそいつらは。」


 矢野は両の眉毛を上下させ、ニンマリと悪そうに微笑んだ。

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