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一年後

 逃げるチャンスはここ一年無かった。

 私が慎重になったからである。

 目が開いた事で自分を取り巻く情報量が増した事で、逃げる気力もなくなってしまったせいかも知れない。


 私はなんと怖いもの知らずだったのだろう。

 私を騙して誘拐したトキは、共謀していた男と共に殺されていた。

 新聞の記事を読めることで知る事が出来た事実だ。


 トキは裏切り者だ。

 けれど、私が「逃がせ。」とトキに頼んだ事も事実なのだ。


 私が大人しくなり怯える様になった事を、和泉はトキの事件のよるものと考えている。

 私の怯えと従順さに和泉は安心したのか、彼は仕事に出かけることが多くなり、彼の仕事の為に再び東京に戻って来ていた。


 しかし私の環境は変わらない。

 逃げようにも家は高い塀に囲まれ、私は庭にしか出ることが許されない。

 トキの事件から、唯一の朝の散歩と言う外出も、私から取り上げられたのだ。


 塀のそばの植木に登ったら塀を越えられそうだが、庭には和泉の黒服が監視している。

 よくもこんな環境で「東京」だと理解できたのは、移動する車の中で住所標識を読んでいたからに過ぎない。


 そして、東京で私付の女中は二人になった。

 互いに女中同士を監視させあって、かつ私の逃亡も阻止させようとの試みだ。

 おまけに夜の相手が二人交互に使えて和泉も満足だろう。


 二人とも二十代前半の派手な化粧の美人である。


 私は女中というよりも夫の愛人に監視される身の上だと考えた方が正しい。


 彼女達は本当に底意地が悪かった。

 目が見えない私が気づかないからと、様々な嫌がらせをしてくるのだ。

 私はその嫌がらせの数々に、自分が彼女達を思いやって逃げる事を諦めなくて済むと、彼女達に感謝さえしていたが。


「この女の顔を切り裂くぞ!」


 そんな脅しを聞いても、私は振り向かずに逃げ去るだろう。

 だが、彼女達は私に福音も与えてくれた。


「奥様は昔、婚約パーティの最中に婚約者を捨てて逃げたのですってね。」


「婚約者様よりは旦那様の方が何倍も素敵ですものね。」


 キャアキャアはしゃいで喜んでいる二人は、週刊誌なるものを開いてお茶をしていた。

 もちろん彼女達が高級茶のいいところで、私は出がらしだ。


 応接間の隅には黒服が一人座って女達の様子を見ている。

 これも一年前の逃亡劇の副産物だ。

 私と女中の造反を監視しているのだ。


 最近雇われたその黒服の彼を見てるとなぜか殴ってやりたい気持ちになるので、それとなく週刊誌に目を移した。

 週刊誌は図書館から借りてきたものか昨年のもので、開かれたページは相良耀子の相続人の天野美緒子の特集だった。


 トキもこれを読んだのだろうか。

 見出しが行方不明の相続人の、そのスキャンダラスで華麗なる過去、だ。


「その方はなんてお名前の方なのかしら。」


 私が捨てて逃げたという婚約者の名前を尋ねた。

 彼女達は私がお喋りでも機嫌が悪いが、無言でも機嫌が悪くなる。

 私が無口だと私を無視する虐めが出来ないからだろう。

 何て、間抜け。


「あら、忘れちゃったのですか?あんなに特徴的な方なのに。お可哀相。」


 クスクスと青いアイシャドーが大好きなミチが笑う。


「あの方と一緒だったら今はお似合いのカップルなのにね。つぎはぎだらけのフランケンシュタイン夫婦の出来上がりって。」


 毒々しい赤い口紅の佳代子が言うと、二人してキャーと大はしゃぎだ。

 私の元婚約者は傷がある男らしい。


 ふいっと黒服のむかつく男に視線を動かすと、彼の顎に刀傷がスッと走っているのが見え、それでこの男に無意味に頭が来るのかと至極納得した。


 最近雇われたこの男はかなり有能だったのか、雇われてほんの一週間近くで屋内の、それも私のいる部屋の監視係にまでなった。

 初めてこの新入りを外で見かけて以来、私はなぜか見つける度になぜかイラつくのだが、つい彼の姿を探してしまう。


 なぜだろうと、私は再び部屋に隅に座る男を眺めた。

 男は私の目線に気づいたか私の顔をまじまじと見つめ、すると彼の方が嫌そうに私から顔を背けた。

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