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胡蝶の夢  作者: みなきら
胡蝶の夢、我となれるか
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玉響(たまゆら)

 加代子が眠りについてもうすぐ一刻半が過ぎる。


 しかし、加代子に全く目覚める気配が無いことに、記憶を見せている素戔嗚尊の方が眉間に皺を寄せた。


(一体、何をしておる・・・・・・。)


 当たり障りのない記憶だけを見せるつもりだったのに、本人が「須勢理毘売命」としての記憶を思い出そうとしているのか、記憶を読み取るスピードが予想以上に遅く、未だ三分の一も読み取りがされていなかった。


(しかし、途中では遮れぬ・・・・・・。)


 小笹には、今日、続けて記憶を見せるのは無理そうだと告げて、傍に控えてもらっているが焦れてきているのを感じる。


「今の読み取りの速さでは、今夜は夜を徹する必要が出てくるやもしれぬな。全く何を思い出しているのやら。」


 そう小笹に聞こえるように独り言ちて、羽織るものを持ってきて欲しいと告げる。小笹は「承知しました」と答えると衣擦れの音をさせて去っていった。


 それにしても――。


(攫うようにしてこの地より須勢理を奪っていた「大己貴命」が《鍵》とはいかんともし難い状況だな・・・・・・。)


 奇稲田姫の事も、須勢理毘売の事も、「荒ぶる伊邪那美命を鎮められればあるい助かるのでは」と思わぬでもない。


 しかし、逆にあの男がその身に宿した八岐大蛇の力で全てが渾沌に消える可能性も残っていた。そうなれば、奇稲田姫どころか、須勢理毘売も失ってしまう。


 素戔嗚尊はすやすやと眠る須勢理の頭を、幼き頃にしていたようにふわりと撫でると、溜息をつく。


 幸せにあれ――。


 いつだってそう思うのに、儘ならぬ現実に素戔嗚尊は加代子に向かって「早う、目を覚ませ」と呟いた。


 ◇


 遠き過去の記憶の中で、須勢理は常闇の御門の一室で目を覚ました。


 青白い鬼火があるのは淤加美神の邸と同じなのに、そこよりももっと底冷えがする感じがして、須勢理は目を覚ましたことを後悔した。


「漸く目が覚めたようね――。」


 背筋の凍るような冷たい声色に、須勢理は身体は起こしたものの、ずりずりと後ろずさりをした。


「お前の処遇が決まったわよ。」


 鋭い牙を見せてニタリと笑う女の様子にガチガチと歯を鳴らす。須勢理は逃げ出したくて堪らなかった。


「お前は妾の櫛にすることになったわ。」

「櫛・・・・・・?」

「ええ。高龗を除き、お前を元の世に戻す必要はないとの判断が下りたのよ。その身を櫛に変じさせ、いずれ素戔嗚尊か淤加美神に下賜してやりましょう。二人がどんな顔をするか楽しみね、()()()()()()?」


 名前で縛られると胸が潰れるように痛み、苦しくなる。


「ああ、苦痛に悶えるその様を見せる方が良いかしら。」


 須勢理が苦しむ様を見て、伊邪那美命は恍惚とした表情をする。


「高龗がお前の命乞いをして来るとは思わなかったけれど、お前はあれに何をしたの?」

「な・・・・・・、にも・・・・・・。」


 息も絶え絶えに答えたが、答えが気に食わなかったのか、身体中が引きちぎられんばかりに痛む。


「須勢理ッ!」


 聞きなれた母の声がしてくる。


「また闖入者みたいね――?」


 今日はやけに多いと、伊邪那美命は零す。


「どれ、誰が来たのかくらいは見てあげましょうか?」


 そう言うと、伊邪那美命はパチンと手をうち、観音開きに扉を開けさせた。


 朦朧とした意識で、扉の方を見れば奇稲田姫が入ってきて伊邪那美命と対峙する。そして、膝を折るとその場にひれ伏した。


「畏み、畏み、申し上げます――。どうか娘を、須勢理をお返し下さいませ。」


 懇願する奇稲田姫の姿を見て、伊邪那美命は面白くなさそうに見下ろす。


「その子がこの地に足を踏み入れてしまったのは、私めの落ち度にございます故、どうか娘だけは・・・・・・。」


 その言葉に伊邪那美命は「人の魂に過ぎぬお前が身代わりになり、何になる」と嗤った。


「須勢理を櫛とするのは、黄泉神の総意。」


 そこへ雪崩込むようにして、淤加美神も隣に伏せると「おたあ様」と呼び掛ける。


「我からも畏み申し上げます――。」


 泣き腫らしたのであろう、南天のような瞳の白目の部分を充血させ、「どうぞお返しください」と嘆願した。


「ならぬ――。高龗よ、お主、数多(あまた)の黄泉神にも逆らうつもりか?」

「しかし、その娘を櫛に変えると言うのは黄泉神の総意ではございませぬ。我は認めておりませぬ故。おたあ様、せめて私の分だけでもその娘に猶予をお与えくださいませ。」

「何の猶予じゃ?」

「須勢理毘売命は、素戔嗚尊と奇稲田姫が娘。もしかしたら我が身に巣食った八岐大蛇を目覚めさせ祓えるやもしれませぬ。櫛としてしまうのは時期尚早かと存じます。」


 伊邪那美命はその言葉に二人を眺め見て「八岐大蛇か」と話す。そして、何を思ったのか「良かろう」と言うと、須勢理の目の前で奇稲田姫は湯津爪櫛に変じ、カランと音を立てて床に落ちた。


「か・・・・・・か・・・・・・様?」


 息苦しくても涙まではこぼれなかったのに、大粒の涙がぽろぽろと涙が零れ出す。


「かか様ッ!!」


 須勢理が悲痛な声を上げた。しかし、伊邪那美命はそれに気を止める様子もなく、無造作に湯津爪櫛を拾うとするりと髪に挿す。


「最早、お前にかか様はおらぬ。これは妾の櫛だわ。」


 そして、須勢理を見るとにこりと笑い、「罪人は首輪(目印)も付けておかなくては」と言って、指先に魔方陣を生み出すと須勢理の胸元に埋め込んだ。


 胸が灼けるように痛む。須勢理が堪えきれずに悲鳴を上げると、淤加美神は耳を塞いで蹲った。


 やがて須勢理が意識を失い、だらりとすると伊邪那美命はとても嬉しそうな笑みで淤加美神を見た。


「八岐大蛇は贄を素戔嗚尊に奪われ、その身を屠られた。それなのにその娘が八岐大蛇の贄になったなら、素戔嗚尊はどのような顔をするのかしら?」


 伊邪那美命は「ほんにお前は、妾の思いもつかない妙案を時折言う」と淤加美神を褒める。


「褒美として、この娘はお前に与えましょう。お前が根の堅洲国に返したいのなら、そうなさい。しかし、この娘がお前を裏切るようなら、その時はお前自身で片を付けなさい。」


 淤加美神は悔しさに眉間に皺を寄せ、歯噛みをしながらも、その場に伏したまま「承知しました」と答えた。


()()()()()()、お前にもう用はない、この地を出たらここでの出来事はすべて忘れるが良い――。」


 そして、淤加美神と気を失った須勢理を残して部屋を去っていく。淤加美神はぐったりとした須勢理になんと声をかけたら良いか分からずにそっとその涙を拭った。


「須勢理ッ! 奇稲田ッ!!」


 遅れて扉が大きく開き、血相を変えた様子の素戔嗚尊が姿を現す。


 淤加美神はその吹き荒れる嵐のような気配に気圧されて須勢理から離れた。


「須勢理ッ!?」


 周りなど見えていないのだろう。淤加美神が見ていても、素戔嗚尊は躊躇なく須勢理を抱き上げるとその腕に抱え込んだ。


「須勢理、須勢理ッ!」


 何度か呼びかけると、須勢理は薄らと目を開ける。


「てて・・・・・・様?」

「須勢理、大事ないか? 奇稲田はどうした?」


 それを聞くと須勢理は目を潤ませて、うわっと泣き出す。


「てて様、かか様が、かか様が・・・・・・ッ。」

「奇稲田が如何した?」

「私の代わりに伊邪那美命の櫛にされてしまったの。てて様、かか様を救けて。」


 それを聞くと素戔嗚尊は目を見開く。そして、悔しげな、それでいて悲しげな表情に変わり、須勢理を強く抱き締めた。


「須勢理、すまぬ。櫛にされたとあらば、奇稲田は手遅れだ――。」


 大粒の涙をぽろぽろと零し、須勢理が泣くのを慰める。


「伊邪那美命は黄泉大御神にあらせられる。かの方が決めた事に逆らえるだけの力をお持ちなのは幽世主宰大神、伊邪那岐命。その他に解いてくださるとすれば、伊邪那美命ご本人がご撤回なさる時だけだ。」


 たとえ今、撤回くださるようにお願いしても、認められることはあるまい。むしろ無事であった須勢理をも変えられてしまう可能性すらある。


 素戔嗚尊は須勢理を連れ帰る方が優先と判断すると、むずがる須勢理をしっかりと抱えて立ち上がった。


「素戔嗚尊でいらっしゃいますか――?」


 不意に声をかけられて、咄嗟に佩いている太刀の柄に手を掛ける。しかし、自分の傍に立つ少年が須勢理と同じ年頃の子であるのが分かると素戔嗚尊は警戒を緩めた。


 銀糸のような髪に、黄泉の国特有の赤い瞳。透き通るような白い肌の少年は、髪上げをする前のみずらを揺らし、とても目を引く容貌をしていた。


 素戔嗚尊が「誰だ」と問えば「高龗と申します」と答える。


「なぜ、かような所に加具土命の子がおる?」

「我は伊邪那美命より出でた者。この風貌より、伊邪那岐命に請われ、こちらに籍を置いております。」


 そして、須勢理が奇稲田姫の嘆願と自らの嘆願により執行猶予の身の上になった事を話した。


「さらば、須勢理をこの黄泉に留めよと申すか?」


 ピリピリとした空気で素戔嗚尊が言えば、淤加美神は首を横に振る。


「須勢理毘売命は、そちらの世界にお連れ戻し下さい。」

「なぜ・・・・・・?」

「今はまだ護る事も能わぬのです。」


 今までこのままでも良いと思っていたが、そうは出来ぬと気が付いた。


「その力を付けたなら、迎えに行きたいのですが、お許し頂けないでしょうか?」


 素戔嗚尊はそれを聞くと表情を固くした。


「須勢理を黄泉に縁付かせる事は能わぬ。」


 それを聞くと淤加美神は哀しげな表情になる。


「黄泉と根の堅洲国が縁付いたとあらば、高天原が黙ってはいまい。」


 好きや嫌いの問題ではなく、政治的な問題だと伝えると淤加美神は表情を固くする。


「天つ神であった我が、根の堅洲国に降りると言っただけで、全勢力を持って潰しに来る輩だぞ? あの時は誓約をして事を収めたが、須勢理をそちらにやれば均衡が崩れる。我は須勢理をその渦中には置く気もない。」


 高天原と中つ国、根の堅洲国と黄泉の国。この四つが絶妙なバランスで成り立っている今、根の堅洲国としては黄泉の国とだけは手が組めなかった。


「お主には須勢理を助けて貰った恩義がある。須勢理以外のものであれば、望みのものを与えよう。」


 淤加美神は憂いを帯びた表情で首を横に振ると「何も望まぬ」と呟いた。


 何も要らぬ、須勢理毘売命以外なぞ――。


 常闇の中、凍てついたままならば良かったのに、垣間見てしまったが故に、余計に春の陽射しが怨めしい。


 どうあっても手に入らぬ者ならば、誰の者にもなってくれるな――。


 幼い淤加美神はそう願うと、銀糸の髪を揺らして走り去っていく。


 素戔嗚尊は遠くなっていく淤加美神の姿が見えなくなるまで見送った。

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