葬送(はふり)の儀
夜九つがもうすぐ終わり、丑の刻に差し掛かる頃、黄泉軍では勝鬨が上がった。
常闇の御門はすっかりいつもの雰囲気に戻り、違うのは伊邪那美命の傍に控えていた五十穹の姿の代わりに、別の女官が控えている事くらいだった。
淤加美神の辺りはその神力でもって雪嵐となり、邸に入り込む前に真っ白な結界に阻まれ、それを防寒した八雷神が次々と討ち取り、あっという間に片付いたらしいと聞かされる。
「それにしても、あの竜巻は凄かったですね。」
やや興奮気味に話しているのは八雷神達で、雅に淤加美神達の辺りが見えていたように、八雷神達にも雅の放った竜巻が見えたそうだ。
「御方様の愛し子と噂に聞き及んでいましたが、あそこまでの力を引き出せるとは思わなんだ。」
「本当に、あの規模の魔力を使うとは人魑魅とは思えぬ。我らどころか淤加美神や闇御津羽神と同等程度に使いこなしていたように見受けたぞ。」
雅の竜巻の威力の話は他の黄泉軍の口々にも上っていたが、とうの雅はどこ吹く風で、にこやかな笑みと会釈で卒なく躱して伊邪那美命の元へと戻った。
玉座にいる伊邪那美命を前にして片膝をつき、「ただいま戻りました」と報告する。
伊邪那美命は雅の姿を見つけると、玉座より立ち上がり、急ぎその場から離れて雅の元へと駆け寄った。
そして、手を差し伸べられ、立ち上がるように促される。
「御方様、如何なさいましたか?」
雅が訊ねると「早う、こちらへ」と促される。怪訝に思いながら、伊邪那美命に付いていくと別室に案内される。そこには真っ白な光溢れる柱があった。
「ここは?」
「心の太柱への入口の一つよ。」
そして、雅に部屋の真ん中に立つように促して伊邪那美命は膝をついて伏した。
「御方様――?」
訝しんで訊ねれば、途端に床が青白く光り、魔法陣が展開し始める。雅は途端に身の内に抑え込まれていた何かが蠢き出すのを感じた。
「幽冥主宰大神よ。」
伊邪那美命の呼び掛けに、雅は「大己貴命」とは違う別の何かに呑み込まれそうになった。そして、自らに力を与えていた大いなる力の源がこれだとも感じた。
「誰だ、我を呼び起こす者は?」
雅はやけに遠くに自分の声を聞く。自分の身体なのに儘ならない。
「黄泉の国を取り仕切るように仰せつかりました伊邪那美でございます。渾沌の地の古き神よ。」
「伊邪那美であったか。して、黄泉の国の神が幽世に何を願う?」
「高天原、黄泉の者を問わず、多くの者がこの地で鬼火と化しました。どうか哀れな鬼火達を幽世へ迎えていただけないでしょうか?」
すると、雅の意に反し、視界は暗くなり、黄泉の国の色々な様子が思い浮かぶ。自分の身体を乗っ取っている何かは、やがて「よかろう」と言うと目を開けた。
「その祈りを確かに聴き届けよう。」
そう言うと雅は《心の太柱》へと近付く。白く輝くそれに、雅が手のひらを翳すと、籠目の紋が浮かび上がり全体に広がっていく。
開いた 開いた 何の花が 開いた――。
六芒の星の真ん中に五芒の星を書き足すと、中からは春風のような優しい風が吹き出でてくる。
雅の身体を動かす何かは、生大刀を生み出すと刀身を仄かに紫色に輝かせる。
「阿波礼、空蝉の世に定め無き物は有らず。此の世を神去りて、久方の天路遙かに幽世に帰り求む魂を、百歳千歳に言祝ぎて受け容れん。」
静かに朗々たる声に導かれたのか、雅の周りには現れた鬼火はゆらゆらとしたものから、粒状の珠に変じて心の太柱へと還っていく。
「お主は還らぬのか――?」
伊邪那美命の傍を離れまいとする鬼火に訊ねれば、不思議と雅にはそれが五十穹の魂だと分かった。そして、自分の右手の甲の唐草文様を見ると、伊邪那美命を見下ろす。
ひとつだけゆらゆらと残る鬼火に手を差し伸べると「主が気掛かりならば葛と為せ」と呼び掛ける。
すると、五十穹の鬼火はまるで三つ編みをするかのようにして縒り合わさり冠の形を成した。
「伊邪那美よ、我は再び眠る。天地が再び閉じんとするならば、幽世への鍵を持つ扉の開き手を連れて来よ。さすれば、道は開かれん。」
「承知致しました。」
その言葉を最後に、身体を動かしていた何かは再び自分の身の内の深い所に沈んでいく。代わりに表層に出られた雅は、身体に力が入らなくてその場にどっと崩れ落ちた。
「雅信か。」
伊邪那美命に声を掛けられる。
「ええ、そうです。」
辛うじて踏ん張って返事はしたが、気を抜くと意識を持っていかれそうになる。
「あれは何です?」
「真の黄泉神であらせられる方。そして、かつて《八岐大蛇》と呼ばれしモノ。幽世に一度落とされた事のあるお主はあの方とも混じりあっているでしょう?」
「なるほど、それで神降ろしの憑坐としたのですね。」
「ええ、巨大な竜巻を見て、あの方にお願い出来ると思ったの。」
私の力では葬送出来る量ではないから、と。
「五十穹もこれで次の世に行けましょう。」
そう言って立ち上がる伊邪那美命に、雅は右手に掴んでいた冠を差し出した。
「それは?」
「五十穹です。五十穹は御方様といる事を選んだ。」
その言葉に伊邪那美命は目を見開き、雅からそっと葛の冠を受け取った。
「お馬鹿ね、こんな姿になってまで私の傍にいようだなんて。」
伊邪那美命が撫でると、仄かに青く輝く。雅はとても嬉しそうに笑った伊邪那美命の姿を見ると、そのまま意識を失った。
◇
「ここまで来たのに、なんで肝心な人が見つからないのーッ!」
約束の丑三つ時はとうに過ぎ、もうすぐ夜明けが近づいている。
聞かされていた通り、丑の刻には戦いに決着がついた様子だったから、怖い思いをして黄泉の国の再奥地、常闇の御門までやってきたというのに、大己貴命の姿を見つけられず、紫苑は半泣きの状態になった。
隠密の呪を使って潜入したは良いものの、玉座の間の辺りでその姿を見たという話を最後に、大己貴命の足取りはふっつりと消えてしまっていて、一人、きょろきょろしながら、城内を探し回っていた。
須勢理毘売命に譲り受けた、紫雷の石を握り締め、進んでいくと冠を付けた女の人の姿と、そこに片膝を付いて話を聞いている武将の姿が見えてくる。
「雅信の様子はどう?」
「はい、大己貴命が魂は今は隣の部屋にて眠っております。」
「そう、かなり無理をさせてしまったから、心配したけれど。今はそっとしておきましょう。時々、様子は見てあげて。」
「御意。」
そうして、しずしずと二人で立ち去っていくのを見送ってから、「隣の部屋」と言われた扉を押し開ける。
紫苑は眠っている雅の姿を見つけると、扉も閉めずに駆け寄った。
「主様、お目覚めくださいませ。」
呼び掛けても反応のない雅の様子に、八咫烏はそっと譲り受けた紫雷の篭った石を雅に握らせた。
「どうかお願い申し上げます。」
祈るように声をかければ、雅はその声にようやく気が付いたのか、雅の瞼が震えた。
「ああ、良かった。お気付きですか?」
「どなたです・・・・・・?」
「かつて、貴方の眷属として仕えていた、八咫烏の紫苑にございます。」
紫苑が捲し立てるようにして話しても、雅はぼんやりとした様子で「紫苑?」と名前を繰り返すばかりだ。。
「ええ、左様にございます。よもや黄泉のこんな奥深いところに坐わすとは思わずにおりました・・・・・・。」
雅は「んーッ」と唸りながら上体を起こす。そして、掌に握っている石に気が付くとギュッと握る。
「助かりました。これがなければ、まだ三日、四日、動けなかったでしょう。」
「こんな風になるまで酷い戦だったのですか?」
「いや、それ自体はそこまでではなかったのですが・・・・・・。」
六芒星の封印に五芒星を書き込んだ事で垣間見えた、蓮の咲き乱れる穏やかな世界。
そして、そこへ吸い込まれるようにして消えていく鬼火の光。
しかし、それ以上は自分でも何が起こったのか上手く言葉に出来ずに、雅は「無理が祟ったみたいです」と言葉を濁した。
「ところで御方様より私をお呼びだと、伺って参りましたが・・・・・・。」
「ああ、何用とのことではないのだけれど、貴女にしか頼めぬ、お願いがありましてね。」
そして、「これを加代子さんに渡して欲しい」と小箱を手渡す。
「それだけですか?」
「ええ。」
「このためだけに、こんなところまで呼ばれたと?」
「ご不満ですか?」
不満そうな紫苑に、雅はくすりと笑うと東京の夜景が映り込む大鏡を指差した。
「空を翔ける事のできる貴女なら、帰りは鏡渡りで目立たずに現世に戻れるでしょう?」
「ええ、まあ、そうですが・・・・・・。」
雅が「他の者では闇に紛れて黄泉に来たり、高天原の者に見つからずに空を翔けられませんよ」と言うと、紫苑はようやく納得したようで渋々ながら小箱を受け取った。
「貴女専用の扉を作りますので、着いたら目印にこれを結んでいただけますか?」
貰ったのは紫色のリボンで呪が架けられているようで、雅は「それと、これは石のお詫びです」ともう一本を八咫烏の髪に結び、「よく似合いますよ」と褒めた。
紫苑は「仕方ないですね、今回だけですよ」と笑うと、東京の夜景の映る鏡の前に立つ。
「それでは失礼致します。」
紫苑はその本来の姿である八咫烏に転じると、大鏡を抜けて、月下の東京の空を駆けていく。
星屑の代わりに無数の人の営みの灯が灯る。
雅の姿の映りこんだ穴は小さくなり、紫苑は左右反転した東京の空を翔け抜けた。




