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胡蝶の夢  作者: みなきら
胡蝶の夢、我となれるか
30/34

雷轟電撃

 それは(おもむ)ろに始まった。轟が跳躍し、大鎌の攻撃に身構えていた雅の懐へ飛び込み、一気に間合いを詰めてくる。


 大鎌の間合いではない――。


 そう判じた雅は咄嗟に大鎌を消し、横へ飛び退いていた。前転をするようにして体制を整え れば、轟を見ればその手には大鎌とは別の武器が握られている。


「いい反応だ。今ので後ろに飛び退いていたなら、その首を落とせただろうに。」


 雅には轟の手に握られた月鎌状の剣に見覚えがあった。


布都(ふつの)御魂(みたまの)(つるぎ)ですか。」

「覚えているのか? 自らの首を掻っ切った剣のことを。」

「忘れたくとも、あの一閃は忘れられませんよ。」


 布都御魂剣は不死の神やメデューサの首を落としたという「ハルパー」と同じ形をした建御雷命の愛剣だ。そして、大己貴命としての自分を永遠に幽世に落とすため、死に至らしめたのがこの剣だ。


 青銅の剣を手にした数多の軍隊に守られて、輿の上で胡座をかいていた建御雷命の姿が思い出される。途端に言い様のない怒りが込み上げてきた。


 この感情の出どころは時任 雅(自分)のものではない――。


 雅は大己貴命の記憶と感情に呑まれそうになりながら、「今世の話ではない」と必死に自分に言い聞かせた。


 縄を掛けられた状態で建御雷命の前へと引き回されたこと。


 無抵抗の自分の首を掻っ切った冷たい刃の感触。


 記憶と感情が一度に流れ込んできて、轟が建御雷命だと思うと、血は沸騰したかのように身体中が熱くなり、少しでも気を抜くと怒りに我を忘れそうになる。


 雅は服の上から内ポケットに入れてある《龍の鱗》を強く握り締めると、何とか気を鎮めようと深呼吸をした。


「何が目的なんです――?」


 自分自身ではない《怒り》がふつふつと心の奥底から湧いてくる。そして、それらがひとつに収斂されていき、胸底で蠢くのを感じる。それでも雅はにっこりと笑うと、努めて平静に轟に訊ねた。


「加代子さんを《不和の林檎》と言っていた時と、今の貴方から受ける印象はかなり違う。たまたま私を目の敵にして、貴方と共鳴した轟の身に宿っているだけ、と違いますか?」


 雅が問うと、建御雷命は少し目を見開き、それから意味深長に笑う。


「そのような些事を気にしていたのか?」

「ええ、彼は私の大事な相棒ですからね。貴方が取り憑いているだけなら、祓わせていただきます。加代子さんをしつこく狙われるのも嫌ですしね。」


 その言葉に建御雷命は答えぬまま、布都御魂剣を手にして走り出す。雅も生大刀を生み出すと併走するようにして走り出した。


 一合、二合。打ち合わす度に、辺りには百雷、万雷と稲光が走る。


 雅の生み出す疾風と紫の雷、そして、建御雷命の生み出す青白い雷電が飛び交う中、局所的に辺りの気温は下がっていく。


「・・・・・・ッ!」


 違和感を覚えて、咄嗟に雅が防御の陣を張ると、かつて建御名方がその腕を怪我した時と同じように、楔形の氷が雹と共に無数の弾丸のように襲ってきた。


(雹・・・・・・ッ?!)


 身体の主だったところは守ったものの、腕や足など間に合わなかったところは撃ち抜かれ、血が滲む。それが止んだ途端、今度は側面から布都御魂剣の剣先に襲われる。雅は咄嗟に黒い風を纏って弾いた。


 変則的で、断続的な攻撃に雅も防戦を強いられる。建御名方命が、氷の刃にやられたのは強ち間違っていなかったようで、建御雷命からは緩急を付けながら氷を使った攻撃が混じっていた。


 埒があかない――。


 一瞬でも隙があれば一大刀を浴びせられるのに、布都御魂剣の動きは普通の刀や剣の動きとも、普段使う大鎌の動きとも違うから、迂闊に懐に飛び込む事も間合いを取ることも難しい。


 ましてや、第三者の介入などあれば、逆に足を掬われる危険すらあった。


「轟、お前は高天原を憎んでいたのではないのかッ!?」


 雅が叫べば、建御雷命と化した轟は可笑しそうに笑う。


「なんだ、今更、命乞いか? 投降するなら聞いてやろるが?」

「私の相棒だった轟は、誰かに乗っ取られるような男ではないと言ってるんですッ!」


 精一杯、声を張り上げれば、轟が睨めつけるようにしてこちらを見てくる。


「ほう? この器の男が我が支配から抜け出せると思っているのか?」

「ええ、思っていますよ。轟ッ、思い出してくださいッ、魂を葬送した日々をッ! 高天原の有り様に苦しみ、嘆いていたのは貴方の方でしょうッ!?」


 その一瞬、轟の身体は一瞬強ばる。雅はその瞬間を狙っていたかのように、生弓矢を生み出すと、矢を番え、弓を一気に引いた。


「く・・・・・・ッ!?」


 至近距離で放たれた矢は、大きな弧を描くことはなく、真っ直ぐに飛んで、轟の利き腕である右肩の肩口に深々と刺さる。反動で轟がバランスを崩す。


「貴様――ッ!」


 轟が乱暴に右肩の矢を引き抜いて、突進してくると、雅は再度矢を番え、狙いを定めて、同じところをもう一度正確に射抜いた。


 パリンと音がして轟の鎧の袖の部分が僅かに砕け散る。


 今度のは深く刺さったのであろう。轟の走り込む勢いが緩み、肩を押えぐらりと崩れ落ちた。


「その肩では剣は振るえないでしょう?」

「それは生弓矢か・・・・・・。」


 掃討作戦は上手くいったようで、すぐ傍まで黄泉軍が上がってきている。雅は弓に矢を番えたまま、じりじりと轟の近くまで間合いを詰めた。


「投降なさい、そうすれば御方様に取り成しましょう。」


 しかし、轟はくくっと笑うと、気が触れたかのように声を立てて笑った。


「何がおかしいのです?」

「我がお主に助命を乞うと思うているのか?」

「ええ、建御雷命(貴方)は乞わぬとも、私の相棒は生き延びるためならそうすると思いますよ。」

「この男の魂は既に我が配下にある。我を引き剥がせば、この男の魂は消えるぞ?」

「私の相棒がそんなにヤワだと思ったことはないのですが。」


 轟が痛みに動けないでいるのを確認してから、雅は生弓矢から生大刀へと再び武器を変化させる。


「この男を殺すか、大己貴命よ。」

「自らの死よりも護らねばならぬものがあると教えてくださったのは、図らずも貴方ではないですか?」


 そうして、「轟は返していただきますよ?」と言うと、轟の胸元にかかった勾玉を取り上げて生大刀の鋒で粉々に砕いた。


 途端、糸の切れた操り人形のように、轟が倒れ伏す。


 青毛の馬に乗り現れた建御名方命は、平原に佇む雅の姿を見つけると、馬上から「父上」と呼びかけてきた。


 砕けた勾玉は光をうしない、土塊へと変わっていく。


「こちらは片付きました。」

「そうですか・・・・・・。それでは御方様と三ノ宮に伝令を。勝鬨の時です。」

「はっ。生き残った者達は捕虜とすればよろしいでしょうか?」

「ええ。今回は防衛戦ですから、戦意喪失している者まで虐げて、無闇に恨みを買う必要はありません。ああ、但し、そこの男はそのままに――。」


 倒れ伏して意識のない轟の様子に、雅は「彼は私の旧知の者です。薬湯と傷の手当てをお願いします」と告げた。


「その者をお救いになさるおつもりなんですか?」


 羅刹に止められて離れた所でみていたものの、轟の使った業の数々は間違いなく建御雷命の業であったから、建御名方には「この倒れ伏している男こそ、建御雷命であろう」と読んでいた。


 父を捕え、事代主神を弑し、自らにタイマン勝負を挑んできながら卑怯な手を使った憎き敵。


 雅は轟を憎々しげに見る建御名方を見ると、「貴方の目に今の《私》はどう見えていますか?」と問うた。


「父上は父上でしょう?」


 しかし、雅はその言葉に首を横に振る。


「今の私は《大己貴命》ではありませんよ。」

「どういうことです・・・・・・?」

「《大己貴命》の記憶も持ちますが、既にあの頃の《大己貴命》ではないんです。《源 雅信》の記憶を持つ《時任 雅》という死神なんですよ。」


 そういうと雅は目を伏せて、東京タワーの上で見た加代子の姿を思い起こす。


《雅、だよね? 時任 雅。本当の名前は源 雅信の。》


 半分泣きそうな顔で自分の名前を確認してくる彼女を見たら、嬉しくて、嬉しくて、胸がいっぱいになった。あの瞬間、誰がなんと呼ぼうとも「ああ、自分は《時任 雅》なのだ」と思った。


 雅信の記憶が故に《琴子》を探して、一千年もの間、数多の魂を輪廻の輪に送ってきたと言うのに《加代子》に出会ってから、それすらも一変してしまったのだ。


「自分ですら分かっていなかったんですよ。今や、自分が《時任 雅》である事に。」


 大己貴命の記憶があっても、雅信の記憶があっても、今を生きているのは《自分》で、その自分が愛おしく思っているのは《加代子》だと気付く。


「それと、この者を救う事とどのような関係があるのです?」

「貴方の父上の大己貴命は、貴方の知るよりもずっと強かに生きていました。」


 ある時は口で丸め込み、ある時はハニートラップを仕掛け、またある時は素戔嗚尊の三種の神器をちらつかせ、長年迫害してきた八十神達を、八嶋士奴美神や少彦名命と共に次々まつろわぬ者達を平定していった。


「大己貴命は下剋上で成り上がった天下人でしたが、それは須勢理毘売命を始めとして多くの犠牲の上に成り立っていたのです。」


 しかし、生と死が人魑魅はその生を終えると記憶をなくす代わりに、一切の罪が許されるようになっていく。 


 雅は悲しげな目をすると「私も加代子さんももう人魑魅なのに、過去の記憶に囚われて続けているに過ぎない」と話す。


「業が深いのか、大己貴命として過ごした頃の記憶も、雅信として生きた記憶も持っていますが、感情だけは今の私のもの。そして、私の望みは建御雷命に復讐することではないのです。」


 加代子と二人、安寧に暮らせればそれで十分だと思っているのだと話せば、建御名方命はとても困惑した表情になった。


「死神は死する者を葬送したり、規律に乗っ取って取り締まりをしたりするだけの存在。今の私にはかつてのように断罪する権利がないのですよ。それをなさるとしたら天つ神、国つ神の役目。」


 そう話すと運ばれていく轟を見送る。


「そして、これは、長年、死神をしてきた《時任 雅》としてのポリシーでもあるんですよ。」


 雅はそう言うと建御名方命にくしゃりと笑ってみせた。

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